○私の活動の場は松山市が圧倒的に多いです
最近になって気がついたのですが、私の活動の場所は自分の住んでいる双海町より、25キロも離れた松山市が圧倒的に多いのです。毎週講師として通う愛媛大学も、毎月一回出席するコープえひめの理事会も全て松山市だし、また講演依頼で招かれる各種の会合だって県庁所在地の松山市で開かれることが多く、私はその都度自家用車を走らせ松山~双海間を往復しますが、その積み重ねが車の走行距離21万キロとなっているのです。
松山へ行く場合の私のルートは主に国道378号と国道56号を走ります。途中の松前町にエミフルという大ショッピングセンターが誕生してから1年余りが経ちましたが、以前よりは松前町と松山市の境目付近にかかる重信大橋付近の交通量が多くなり渋滞気味になってきました。それでも早ければ40分、遅くても1時間弱で県庁まで行けるのですから、過疎地に住んでいると言いながらすこぶる便利な暮らしをしているのです。
しかし、この便利さも自家用車を運転できるからで、もし私が明日から自家用車に乗れなくなるともうお手上げで、唯一の公共交通機関であるJRを利用して松山へ行くなら病院へ行くのも所用をするのにも、朝早く出て夕方帰るといった一日がかりになって行動範囲や要件が狭められてしまうのです。
双海町に住んでいる私にとって今は何不足はないのですが、公共の足が殆どないことは大きな不安で、もし車に乗れなかったら、また歳をとって車に乗れなくなったらと思うとかなりネガティブな考えに陥ってしまうのです。
昨日から今日にかけてわが家のオープンカー軽四トラックが、車検のため使えなくなっています。私の車とトラックを使い分けて乗っている妻は、この二日間私が乗用車を使っているので、買い物にも行けず、僅か二日間だけなのに多少不満を漏らしているのです。
私の親類に、私と年齢が同じくらいの叔父と叔母がいますが、仕事がら漁船の船舶免状は持っているものの車の免許証を持っていません。二人は何処へ幸にも公共交通機関しか利用できないため、行動範囲は私たち夫婦に比べ非常に狭いようです。勿論車を持たないため車の購入費用も車検費用も必要でなく、車で出歩かないので暮らしに費用がかからないのです。でも車万能な社会にあってどこか私たちと意見が合わないと思うことが時々あるのです。車を運転しない叔父や叔母にとって日々の暮らしの距離基準は、昭和30年代と同じ自転車で行ける距離なのです。そんな行動範囲を叔父と叔母と比較しながら、やがて私も車になれなくなる日がそんなに遠くはないと感じながら、今日も車の恩恵にあずかり、朝松山へ出かけて会合を済ませて夕方にはわが家に帰りました。松山が遠い叔父と叔母、松山が近い私と妻、人生はどちらが正しいか、それは人それぞれの価値観のようです。
「今朝車検 二日車が ないだけで 不便と感じ どこかぎくしゃく」
「活動の 場所は殆ど 松山か 何時の間にやら 古里離れ」
「後少し 歳をとったら 自転車か 乗れなくなって 行動狭まる」
「免許証 返した隣の 叔父さんが 何処か寂しく 歩く姿を」