○親父の気弱り
このところ腰の具合と歯の調子が悪い以外は体の不調を訴えていなかった親父が、毎日35度を越す猛暑に参ったのか、少し気弱になってきました。今朝6時に親父の隠居へ朝のあいさつと腰にサロンパスを張りに出かけたのですが、呼んでも部屋の中から返事が返らず、散歩にでも行っているのかと思い、20分ほど過ぎて部屋に行って見ると布団の七課に臥せっていました。聞けば暑いため昨晩は気分が優れず余り眠れなかったというのです。今朝は日課にしている朝の散歩にも出ず布団の中で過ごしていました。それでも私の声を聞いて安心したのかやわら起き上がりサロンパスを腰に貼って一時話をしました。
親父の隠居は一戸建てで2DKとでもいうのでしょうか、座敷と寝室兼居間とダイニングキッチンの三部屋があります。周りには窓も沢山あって戸を開けていれば風が通って涼しいのですが、夕方4時ごろから6時頃までは夕凪とでもいうのでしょうか無風になって暑く感じるのです。今年は梅雨が早く明けた分暑い日が続いて、雨らしい雨は殆ど降らず、このままだと自分で育てている家庭菜園の野菜類も枯れてしまうという思いも、親父の気弱さの原因のようですが、言葉で勢をつける以外にないので、頑張るように話しました。
このところ親父の体が縮んだように見えることがあります。まあ後一ヶ月もすれば90歳になるのですから、当然といえば当然かも知れませんが、縮んだ親父を見ながら27年後の自分の姿をを見ているようで、何処となく複雑な心境になるのです。親父は若い頃大病を患いましたがその病気を克服しての長命ですから自分ではいつ死んでも納得していると口ではいいますが、ぜも人間は生きれるだけ生きていたいのは当然の願望なのです。私にとっても親父はかけがえのない人間だけに、出来るだけ長生きして欲しいと思っているのです。
最近親父より年下の友人知人が亡くなったり、自分の弟が亡くなったりする度に、盆が越せない、正月が越せないと、自分の寿命が少なくなったことを気にして、弱音を吐くようになりました。また知人友人が特別養護老人ホームに入ったのを聞けば、「わしは老人ホームだけには行きたくない」と予防線を張り、「この家の畳の上で死にたい」というのです。その都度「じいちゃん、心配せんでもいい」と話すのですが、そのことも気がかりのようです。まあこの歳になるまで自分のことは自分で出来たのですからもう十分なのです。
本当はもうここらで私も本当の意味でのリタイアをして、親父の話し相手や相談相手になって穏やかな日々の暮しをさせてやりたいのですが、セミリタイアの私には、もう少し社会のお役にもたたなければなりません。幸いわが家では親父と妻の親子関係も良好で、母が死んでから10年近くになりますが、毎日夕食は親父の体を気遣って体にいいものを手づくりして食べさせてくれています。また私の子どもたちも孫たちも来れば必ず大じいちゃんといって隠居へ立ち寄って話しをしますし、近所には娘や兄弟が住んでいて時折訪ねてきてくれるのです。特に私の姉は毎日のようにおかずなどを持ってやって来ます。
「後10年は生きて欲しい」と今朝も話しましたが、「10年なんて生きれるはずがない」と返事が帰って来ました。
「自分が子どもにしてもらいたいことを親にしてあげる」、そんなささやかなことしか出来ませんが、私のルーツだけにこれからも長生きして欲しいと思っています。
「もう駄目と 諦め続け 四十年 生きているから あと十年は」
「このところ 親父の背丈 縮んだが どうにか元気 百歳目指せ」
「二十年 先に私は こうなると 親父の姿 自分ダブらせ」
「冷房は 嫌だぞ俺は 扇風機 そのくせ夏は 暑くかなわん」