○動く広告塔に電光掲示板
私は自称「動く広告塔」と人から愛称をつけられ、自らもお遊び的に自分の名前をアメリカの顔だった高官と捩って、「愛媛のキッシンジャー」などといっていました。自分の町と自分の町に沈む夕日を徹底的に売り出すために、とにかく自分の町と夕日をまるで看板のように背負って歩きました。そして何処かまわず宣伝したのです。その結果双海町という下から数えた方が早かった町が随分有名になり、私自身もいつの間にかこんな顔でも覚えてもらうようになったのです。しかしふり返ればそれはなりふり構わぬほどで、時には道化師のような涙ぐましい努力の結果であることを知る人は少ないのです。
今ではすっかり有名になった木になるカバンを提げて歩くパフォーマンスも、一日三枚のハガキを書くことも、また時には高座に上がって人を笑わせることも全てそんな止むに止まれるフットワークから生まれた成果なのです。そして今ではすっかり日々の暮らし溶け込んでいる、一日2本のブログを書いて自らが情報発信することも、元はといえば町を売り出す手段として始めた事なのです。
先日三重県伊賀上野へ講演に出かけました。その模様や近鉄電車が故障して思わぬハプニングに会ったことはブログで詳しく紹介しましたが、その折大阪の街中をとっさな思いつきで、新居浜の加藤さんから国土交通省主催の観光カリスマ塾開催の折、人型パネル作製にちなんでいただいた名刺サイズの電光掲示板をこともあろうか、自分のネクタイに強力マグネットで着けて歩いたのです。普通ならこんな恥かしいことはしないのでしょうが、やはりこれも遊び心の表れでしょうか、胸を張って堂々と歩きました。
電光掲示板には「『夕やけ徒然草』著者:若松進一 自費出版、定価500円 好評発売中」と出てくるのです。胸に何やら光る文字があると通行人は一応に驚き私の胸の当りに注目してショートコメントを読みながら横を通り過ぎるのです。そして通り過ぎざまに私の顔を一瞬「変わり者」という雰囲気で立ち去り、また振り返って私の姿を追いながら去って行きました。
効果は抜群でした。多分私の奇抜なパフォーマンスを目の当たりにした通行人は、どこかで酒の肴にでもしながら、見知らぬ私の話しをしたに違いないと、してやったりの心境で愛媛に帰って来ました。私は町の観光協会事務局長を長年やりましたが、その折りもゼロ半ライダー観光宣伝隊というこれまた一風変わった宣伝隊を出して、世間をアッと言わせました。バイクの後に宣伝幟を立てて10台もが隊列を組んで街中を走り、時には繁華街の真ん中でハンドマイク片手に自分の町を宣伝しまくり派う夫レットやチラシを撒き散し、その足で放送局まで乗り込んでその日の夕方のニュースに飛び入りまでしたのですから、これはもう尋常ではないのです。今にして思えば顔から火の出るような恥かしい話ですが、それでも平常心のような顔をしてやったものです。
今ではすっかり武勇伝となりましたが、その折「恥かしいから嫌だ」としり込みした新人職員に「嫌だったら役場を辞めろ。お前の変わりは幾らでもいる」と脅しまくり参加させました。驚いた事にその新人職員が今は町の観光の仕事をしているのです。
恥かしいなんて気があったら、観光宣伝などやれぬしその成果も期待できません。要はやるかやらないかなのです。
「電光の 掲示を胸に 大都会 知らぬ土地ゆえ 恥かしがらず」
「夕日亭 大根心の 芸名で 作った本を ピーアールしつつ」
「その昔 私愛媛の キッシンジャー 誰がつけたか 動く広告」
「看板を 背負って歩いて 四十年 今じゃすっかり 有名になり」