○上灘川の源流を探る小さな旅①
私たちの町には大小20もの川が目の前に広がる瀬戸内海に向って流れています。いつの頃からか定かではありませんが、人々はこの川沿いに暮らし、くぁの水の恩恵を受けながら生産と生活を営んできたのです。しかしその恵みの水が一体どんな道筋をたどって私たちの元に届くのかは知る由もなく、また知ろうともしないのです。もし明日からといわず今日からこの水が途絶えるとしたら、人々は大慌てに慌ててその原因を探るのでしょうが、そんな困窮をしても、水を貯める貯水施設や水道管、それに水を管理する人たちへの問い合わせくらいで、水の命を素人はしないはずです。
私は常々自分たちが毎日使っている水が一体どんな場所で生まれ、どんな経路を経て来るのか知りたいし、そのことを子どもたちに教えてやりたいと思っていました。学校教育ではそれなりのカリキュラムがあってそんな余裕も口出しも出来ないため、幸い私が実行委員長を務める少年少女おもしろ教室のプログラムに「源流を探る」というメニューを加えたのです。
このところの暑さで温度計はうなぎ上りの状態で、数日前に近隣の大洲では38度を越えてその日の日本一を記録するなど猛暑日が続いていますが、子どもたちは元気に出発しました。
(市役所支所ロビーでの開会式)
(何時もの事ながらスタッフも沢山集まりました)
マイクロバスで下流域の灘町から上灘川に沿って上流域となる奥大栄を目指しました。車内では私と運転手を務める教育委員会の木曽さんがガイドを務め、子どもたちの関心を引くため、アドリブで川の長さや川に架かっている橋の数、目指す奥大栄の在宅戸数などをクイズとして出しながら山道を進みました。やがて麓に到着しバスを降り、いよいよ源流を目指して出発です。この集落も超々限界集落でかつては10戸以上ありましたが、今は在宅戸数は4戸であちこちに空き家や崩れし家が目立ちました。
(かつては棚田の美しい地区でしたが、今は田んぼも少なくなって、永年作物であるみかんも殆どなくなり、安定収入のキウイフルーツなどが栽培されているようです)
(大きな民家もこのように崩れしままとなって、余計寂しさを感じました)
子どもたちにとっては、説明をしなければこの集落がどんな意味があるのか知る由もありません。源流域の人たちの地道な暮しが水源を守っているのだと説明してやりましたが、果してどう聞こえたのでしょう。
私たちは森林の中を歩き、奥大栄の名所のひとつである花の石を目指しました。夏草に埋もれて行く道も分らないようになっていたそうですが、地元の人の協力で事前に道を刈り分けてもらっていて、随分助かりました。
花の石を後にした一行は沢まで下り森の中を源流を求めて沢沿いの道を上流へ歩きました。最初はかなりの水量だった沢もやがて水が殆どなくなり、源流を突き止めたのです。
(二本の丸木橋を渡って進む子どもたち)
(ここが源流と分り歓声を上げる子どもたち)
空から降った雨の一滴はここから長い旅に出ます。気の遠くなるような時を越え、途中で取水されながら海まで注ぐのですが森は海の恋人とはよくいったものです。この日は都合で木を植えることが出来ませんでしたが、山の恵みに感謝するため是非次の機会にここへ木を植えたいとみんなで考えました。
「源流を 求め旅する 子どもたち 水の尊さ 知ってくれたか」
「降りし雨 長い旅路の その果てに 海まで注ぐ 感心しきり」
「人住まず 崩れしままの 家寂し ここで生まれた 人はいずこぞ」
「日々飲みし 水はここから 流れ来る それを忘れず 生きて行きたい」