○家庭教育学級と金銭教育講演会
一昨日の夜は伊予市の家庭教育学級、昨日の午前中は八幡浜市保内町の金銭教育講演会と、相次いで出かけて行きました。私へのリクエストは相変わらずジャンルが広く、言葉の表現は悪いのですが揺り篭(幼児教育)から墓場(高齢者教育)まで様々な内容の話しをしなければなりません。浅学非才な私としては少々骨が折れますが、公民館大学を修了している私としては応じない訳にはゆかないのです。
「えっ、公民館大学って何処にあるの?」と思われるかも知れません。確かにそんなな前の大学は日本全国探しても何処にもないのですが、私が勝手に作り出した造語なのです。もう30数年も前の話です。当時私は役場に勤め、教育委員会で社会教育の仕事をやっていました。私のやった公民館活動や青年教育は当時その現場では斬新な企画として注目を集めていました。当然お声がかかって今のような講演依頼ではありませんが事例発表であちこちでお話しました。ある日のこと愛教研という先生の団体から鼎談の企画への出演依頼が届きました。文教会館での鼎談の出席者は県校長会長さん、愛大教育学部長さん、それに平の公民館主事である私なのです。顔ぶれを見たり聞けば普通の人は臆して出演を辞退するに違いないでしょうが、若かった私は喜んで火中の栗を拾いに出かけたのです。
鼎談が始まる前の控え室の出来事です。愛大の教育学部長さんはお茶を飲みながら雑談の中で、「ところで若松さんは何処の学府をご卒業ですか?」と問いかけてきました。多分校長会長さんと教育学部長の自分だから、相手たる私も相当の学歴があるだろうと勘違いしたのでしょう。私はとっさに「はい公民館大学を卒業しています」と反骨むき出しの澄ました顔で学歴偽証をやってしまったのです。教育学部長は「ほう、そんな大学何処にありますか?」とすかさず聞いてきました。私は「はい、公民館大学は全国何処にでもあります」と答え、怪訝そうな教育学部長はそれ以上私への質問はしませんでした。
やがて一室で三人の鼎談は始まりました。ランダムに幾つかの項目について雑談のような形でかなり長い座談は進み、時には同感し時には反論してテープレコーダーへの収録は無事終わりました。その後この模様はテープ起しされてぶ厚い本として出版され、圏内学校先生たちの話題をさらいました。
鼎談修了後帰ろうとする私を教育学部長さんは追いかけるようにエレベーターに乗り込み、私に対し「先ほどは大変失礼な質問をしてしまいました。お許し下さい。私たちはいつの間にか学歴で人の値打ちを判断するようになっていました。鼎談であなたの話しを聞きましたが、私のように机上の空論を並べ立てるのではなく、体験的な実学のお話を聞いて感動しました。学歴ではなく学習歴という表現には参りました。今後は気をつけます」と深々と一礼をされました。「それにしてもとっさに公民館大学とは名言ですね」とお互いわだかまりを解いて大笑いし分かれたのです。
私は今でもこのことを忘れることなく今も覚えているのですから、相当執念深いようですが、教育学部長さんには悪いのですがいつ思い出しても「してやったり」の心境でした。
さて伊予市の家庭学級と保内の金銭教育講演会も家庭の変化についてを内容としてお話しました。
(保内幼稚園での金銭教育講演会は殆ど全員の親の参加でした。出席率の高さに驚かされました。)
家庭の変化
①子どもの数が減った。
②子どもの毎日が忙しくなった。
③子どもの家庭的役割がなくなった。
④子どもの遊びが変わった。
⑤家庭的感動がなくなった。
⑥子ども部屋が出来た。
⑦物とお金が豊かになった。
⑧消えた仏壇教育。
⑨父親より母親が強くなった。
⑩家庭の最大の影響力はテレビになった。
「熱心に 勉強する母 素敵です 立派な子ども 育つはずです」
「俺たちの 時代と違う 環境で 子どもは苦悩 親も苦悩す」
「講演中 子どもチョロチョロ これもまた いい環境と 声を張り上げ」
「金銭に ついてわが家の 失敗談 今は語れる いい子に育ちて」