shin-1さんの日記

○使わなくなった風呂敷

 先日ある会合に貰った有名なお酒を持って行きました。わが家では長家を貰うともっぱら親父が寝酒程度にたしなむ程度なので、いつの間にか古くなって料理酒として使う程度になってしまうのです。私が酒豪?だった頃は知人・友人・親類からのお中元やお歳暮はもっぱらビールだったし、講演で招かれていただくお土産も地酒でした。しかし身体の都合で8年前に酒を断ったことを知っている人は、酒を私にくれなくなったのです。でも初対面で知らない人も相変わらずお酒をくれるのです。

 先日いただいたお酒は木箱に納められ、いかにも高そうなお酒です。私は思案した挙句その酒を風呂敷に包んで持参したのです。

 一枚の布でどんな形の物も包め、何度も繰り返し使える風呂敷は近年エコアイテムとして注目されるようになっていますが、その起源は定かではないようです。奈良時代に立てられた正倉院には、所蔵品が収納専用の布で包まれており、これが現存する最古の風呂敷とされています。こうした包み布は平安時代には「ころもつつみ」、室町時代には「ひらつつみ」と呼ばれました。包み布が風呂敷と呼ばれるようになったのは江戸時代で、もともと日本古来の風呂は蒸し風呂で、座る板場に布を敷いたり、布の上で着替えたりしていました。徳川家康の形見分けの記録「駿府御分物御道具帳」は初めて風呂敷という言葉を見ることが出来る文献だそうです。ここに記されている風呂敷は風呂の敷物のことで、徳川泰平が進むようになると庶民が銭湯にに通うようになると風呂道具や着替えを包むようになって風呂敷包みとなり、包み布全てを風呂敷と呼ぶようになりました。

 江戸時代以降庶民の間で急速に普及した風呂敷は物を持ち運ぶ道具としてだけでなく、屋号や家紋を染め抜き、今でいう包装紙のように利用されたり、婚礼の道具として使われるようになりました。明治になって生活が洋風化されても戦後間もなくまで風呂敷は庶民の暮らしに欠かせない持ち物として使われましたが、昭和の高度成長によって紙袋やレジ袋が登場し風呂敷は片隅に追いやられました。しかし近年環境への関心が高まり、再び何度も使える風呂敷への関心が高まろうとしているのです。

 風呂敷の大きさは横の長さ「幅」で表しますが、一幅は36cmで基本となるサイズは中幅から七幅まで10種類のようです。最近はその包み方や結び方にもデザインが考えられ、随分おしゃれになってきましたが、男の私などは無粋な結び方で、味もそってもないようです。女性が和服で風呂敷包みを持ち、和傘などをさして下駄で石畳を歩く姿は何とも風情のある姿です。

 昔から大言壮語な出来もしない話をする人を称して「大風呂敷な人」と呼ぶようですが、風呂敷は広げるだけでなくに包み込むことも寛容でしょう。

 私は随分前は風呂敷包みを持ってどこへでも出かけていました。しかし風呂敷包みを持ったら田舎物で東京ぼん太に似ているといわれ、木のカバンを手に入れてから、風呂敷包みにおさらばしましたが、今でも風呂敷包みへの郷愁を忘れていません。木になるカバンの中には小さな風呂敷を入れて持ち歩いていましたが、それもいつの間にか机の引き出しにしまわれてしまいました。もう一度風呂敷包み復活といきましょうか。

  「風呂敷に 酒を包んで 会合へ 粋な計らい 感謝されつつ」

  「若い頃 風呂敷包みを 持ち歩く 思い出彼方 そろり復活」

  「風呂敷は 風呂に使うが 語源とは 知らぬことゆえ 酒を包みて」

  「日本人 風呂敷ひとつで 用をなし 暮しの智恵は 今も生きてる」 

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