○水の教え
先日私が非常勤講師をしている愛媛大学法文学部の学生を引率してフィールドワークの授業で、松山市の沖合いに浮かぶ旧中島町大浦へ出かけました。中島町にはモーターボート競艇の収益金を管理するBG財団の援助を受けてプールを造っています。この手の類の施設は全国至る所にあって、モータボートと縁もゆかりもないと思われる山奥にまで事業が入っていますが、この総元締めが今は亡き笹川良一氏なのです。彼は自分の考えを普及するためというよりは、一人の人間の生き方のよりどころとして、BG財団支援施設には必ずといっていいほど、自分の名前を刻んだ記念碑を建てています。中島のプールの入口にもその記念碑はありました。もし記念碑文の末尾に笹川良一という名前がなければ、この教えはもっと普及していたかもしれませんが、私はこの水六則という言葉が大好きで、今までも度々引用して話してきた経緯があるので、学生たちにもこの文章を読んで聞かせ、説明してやりました。
水六則
1、あらゆる生物に生命力を与えるのは水なり
動物も植物も生物は水なしで生きていくことはできません。地球は水の星といわれるように水の存在が生物
を育てているのです。にもかかわらず人間は水を汚し水の価値を忘れているのです。特に日本は水の国と
いわれるように、蛇口から飲める美味しい水に恵まれています。生命の源として今一度水の恩恵を見直し感
謝したいものです。
2、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり
水は人為的なことをしない限り必ず高い所から低い所へと流れます。天から降った一滴の雨水は海を目指
して果てしなく長い長い旅を続けるのです。僅か1ミリの落差をものともせず低きに向って流れる姿はまさに
初志貫徹といったとこりでしょう。
3、如何なる障害も克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性を兼ね備えるは水なり
水の行く手には沢山の生涯が待ち受けています。ダムで堰き止められたり落差の大きい滝に出会っても、
むしろ障害に会うほどひるむことなく激流となって流れ落ちるのです。何という強い信念でしょう。失敗や反
に会うと直ぐに挫折してしまう人間の脆さを思うとき水から学ぶことは大きいのです。
水はどんな容器にも直ぐに順応します。丸い器、四角い器、長い器、短い器、それぞれの形に順応するの
です。
4、自ら清く他の汚れを洗い、清濁併せ容るの量あるは水なり
水は絶えず清く汚れたものを洗い落とします。また清と濁ともに同居する度量を持っています。しかも自然
治癒力を持っていて、濁った水もいつの間にか澄んだ水になるから不思議です。
5、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い、何ら報いを求めざるは水なり
水はその量を貯えれば発電のタービンを回して電気を起します。これはクリーンエネルギーとして人々の生
産と生活に大きな役割を果たしています。しかしそれとて代償を求めず下流へ流れ再び自然の循環によっ
て動力となり光となるのです。
6、大洋を充たし、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪に変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり
水には海水と真水がありますが、地球の殆どが海であるように大洋を満たしています。その海の水が自然
循環によって水⇒蒸気⇒雲⇒雨⇒雪⇒霰となっても、全て水の性格を変えることはないのです。
水を心とすることが平和と健康と長寿の妙薬である
水のような生き方をすれば人間が最も大切な平和や健康、それに長寿を得るのです。水そのものは命の源
ですが、水のような生き方をすればそれらを手に入れることができるのです。
これからも水に学びながら水の恩恵を受け、生きてゆきたいものです。
「ありふれた 故に人間 水などと 馬鹿にするけど これこそ大事」
「わが住める 日本はやはり 水の国 至る所に 水の風景」
「水かけず 水掛け論で 始まった わが町の花 水のお陰で」
「水利権 理由に水を 独り占め 今に天罰 水は共有」