○夢に出た私
昨日の朝妻と二人で朝食をとっている所へ一本の電話が入ってきました。昨日は2期15年間無事務めた妻の民生委員の任期が終わる最後の集会があるので、そのことについて話しながら食事をしていました。妻も15年間とは長らく務めたもので、仕事と両立は大変だっただろうとねぎらいの言葉を掛けながら、この15年間に知り合った方々の顔を思い出していました。「ところで長浜の菊池さんは元気なんじゃろうか」と、妻がいうのです。菊池さんは長浜町の役場に勤め、若い頃は公民館主事として私とともに活動した人です。知的な人で公民館の論文募集に応じて全国の最優秀賞を勝ち得た折は、私が公民館優良職員として全国表彰された時と同じだったため、夫婦揃って東京へお互い子どもを連れて行ったことがありました。また私が愛媛県公民館連絡協議会の主事部会長の折は、副部会長で、小松の辻中さんとともに、公民館三羽烏として愛媛県内の公民館活動をリードしたものです。主事集団「煙仲間」を組織してゲリラ戦法を試みたのも今は懐かしい思い出です。
菊池さんは私より年齢が下ですが既に合併した大洲市役所を退職し自由人となっていますが、退職後まもなく民生委員に選任されたと聞いていました。妻との朝の会話に出てきたのは前置きが長くなりましたが民生委員菊池さんとしての話題でした。
何がどうなっているのか、菊池さんの話をしていると菊池さんからの電話です。電話に出た菊池さんの開口一番は、「夕べ若松さんの夢を見ました。ある会場でエレベーターに乗ったら若松さんが乗って来て、『菊池ですがお元気ですか』といったら、『あんたなんか知らん』と言われました。忘れられては大変と電話をしました」というのです。そんなことを言うはずがないと思いつつ近況を知りたく電話をしたそうです。
1年ぶりの電話は懐かしくて長電話になってしまいました。自分の近況、地域の変貌、合併後の市役所の様子、仲間の消息、家族の状態など多岐にわたって話しましたが、菊池さんは私のブログを毎日読んでいるそうで、私のことは実によく観察していました。それに比べ私は奥さんが保育園に務めているくらいしか近況が分らず、大変失礼な対応となってしまいました。
菊池さんも私も晩年働き過ぎ?が原因で体調を崩し、今もその尾を引いていますが、健康にはお互い気をつけようと確約し、再会を約束して電話を切りました。
私には菊池さんのような素晴らしい仲間が全国に散らばっていて、こうして離れていようとも気遣ってくれるのです。中でも菊池さんとは青年団、NHK青年の主張県代表、役場中途採用、公民館主事、県公連主事部会など、比較的よく似た経歴を持つだけに、三崎町の塩崎満雄さんと同じく長い間変わらぬ交友を深めているのです。それにしてもお互いいい歳になりました。六十路を越えて自由人を選んだ二人ですが、彼は草の根の民生委員をやり、私もまた昔の夢が捨て切れず、こうして活動の場を全国に求められるのは、若い頃菊池さんとともに様々な学習をしたからだと、菊池さんに恩人としての感謝の心を持つのです。
願わくばお互い元気で、これからの余生を社会のために尽くしながら生きて行きたいものです。
「夢を見た 電話の向こう 親友が こちらもあなた 話題にしてた」
「懐かしき 日々蘇えり 長電話 また会おうねと 再会約す」
「ご苦労さん 五期十五年 勤め上げ 今日で終りの 民生委員」
「東京へ 揃い出かけた 若き日を 昨日のように 思い出しつつ」