○叙勲祝賀会に参加して
秋の叙勲がマスコミを通じて発表されました。私の知ってる人も何人か叙勲に浴され、インタビューされた喜びの声が新聞やテレビで紹介されていました。叙勲などにはまったく無縁の私にはその賞の重みや種類がどの程度あるのか知る由もありませんが、長年その道一筋に生きてきたことが認めれれての受賞だけは間違いありません。その事を素直に喜び受賞者に対して大きな拍手を贈るのは当然のことなのです。しかし同じような仕事をして、同じ若しくはそれ以上の功績を上げているにもかかわらず、一方は受賞し一方は受賞しないあいまいな受賞基準や、人に序列をつけるような制度に対し叙勲の度に問題になっていることも事実のようです。また教育文化や社会福祉といった崇高な功績ランクが下で、公務員や政治家などが上位ランクを占めるのもどこか可笑しい気がしないでもないようです。
昨晩は双海町で医院を開業している梶原忠弘先生の叙勲祝賀会があり、ご案内をいただいたので出かけました。先生の今回の叙勲は学校医としての功績だそうですが、先生は長年文化協会の会長を務めるなどむしろ医療分野より地域文化の貢献の方が相応しいほど地域の文化活動に貢献をされていて、昨晩集まった方々もその方面の知人友人が多かったようです。八十歳を過ぎてもなお矍鑠として往診に回る姿を見ながら、見習いたい生き方だと頭が下がるのです。あれもこれも叙勲に値すると思いながら発起人や祝辞を述べる人の話を聞きました。先生はお礼のあいさつで自分の少年時代の思い出に触れ、大分県耶馬渓町に生まれ中津の中学校へ進学した頃の社会情勢を話されました。戦時中だったため多くの仲間は戦争に行き特攻隊などで命を落としたようですが、先生は体に自信がなかったため生き残り医者になったそうです。
母親の思い出にも触れられ、自分が今日あるのは「三つ子の魂百まで」と言われるように母親の教えが大きく影響しているとも述べられました。
人は一度は死ぬ宿命を持っていますが、死ぬまでの生きている間をどう生きるかは本人の努力次第でいかようにも変えられるものです。何かの望みを持ち、しかも世の中のために尽くすことは容易なことではありませんが、それでも少しでも世の中のお役に立って死ねたらいいと思います。残された余命を軸足を少しだけ「世のため人のため」に移して生きてみようと、殊勝にも思いながら満月の夜道を胸を張ってわが家まで歩いて帰りました。妻が待つわが家へ・・・・・。
「叙勲者の 祝賀の宴の 帰り道 まん丸月に 精進誓う」
「学校の 先生死んだら 叙勲する どこか可笑しい 言いつつ酒を」
「勲章は 戦功あれば 貰うもの そんな話を 子ども心に」
「瑞宝章 言われ聞いても どれ程の 値打ちなのかは チンプンカンプン」