○オホーツク海のほとり紋別に行きました(ルポ・②)
オホーツク海に面した紋別の夕暮れは早く、後援を終わった4時半頃には既に外は薄暗く、さすが北の街だと実感しました。多分明日の朝は早く太陽が昇るだろうと、少し期待をして家と変わらず4時には起床しましたが、暖房を切って寝たため少し寒さを感じながら窓のカーテンを開けました。まだ外はうっすらと明かりが感じられる程度だったので、暖房とテレビをつけ、例によって東京で仕入れた2冊の本を相手に早朝読書を試みました。
気がつくと外はもう明るくなっていて、知床半島方面からきれいな朝日が昇っているのが窓越しに見えました。今日は天気予報だと曇りのち雨のようでしたが、朝空はよく晴れわたっていました。
今日は会場では分科会が行われるようでしたが、私は無罪放免で教育委員会の浜松係長さんの案内で、市内を散策させてもらいました。この浜松さんは紋別市きっての情報通で、紋別のことならこの人に聞けと言われるほどだと、昨晩の懇親会で他の人から聞いていたので、期待をしつつ待ち合わせの時間を待ちました。9時ジャストにホテルへ来るあたりさすがと思い、公用車で4箇所ほど案内してもらいました。一番最初に行ったのはガリンコ号の係留されている港でした。2月になるとこの海は流氷で埋め尽くされるのですが、その流氷見学の船が砕氷船ガリンコ号なのです。船としては余り優美には見えませんが、まるで海のブルドーザーにも似ていて、その名が示すように、かなりユーモラスな格好です。この船体が回転式ローラーで流氷の上に乗り上げ氷を割って進むのです。この船は北海道遺産に登録されている、日本を代表する船なのです。
港の近くには回虫展望台やアザラシの飼育場がありましたが、展望台は歩いて行かなければならないためと、ガリンコ号と距離があるため苦戦しているようでした。アザラシは20数頭飼っていて、若い女性が調教をやっていました。いずれも公開されていて身近に体験できる気安さがあり、情報発信次第では紋別の新しい顔になるような気がしました。私もアザラシに出会わせていただきましたが、しっかりと調教されていて感動物でした。
次に訪れたのはオホーツクを丸ごと体感できるミュージアムです。広大な敷地にポツンと立っているミュージアムの外観からは無機質な感じもしましたが、中に入った驚きは凄いものです。何せ年中マイナス20度の厳寒とブリザード、それに流氷が直接体感できるのです。
(流氷が体験できるオホーツクミュージアムの外観、地下は冷凍施設になっていて、マイナス20度が年中体感できるのです。私も傍観具を身に纏って中に入りましたが、とにかく寒いという印象でした。紋別の人たちはこんな寒さの中で冬を過ごすのです。南国四国の私には到底考えられない世界です)
(意味ありげな入口のポール、何だと思いますか?。ヒントは温度です)
(ミュージアムのロビー)
(念願だったオホーツクの天使クリオネにも出会い感動しました)
(オホーツク海n向って立つステンレス製のモニュメントも印象的でした)
次に訪れたのは流氷岬でした。この海岸を流氷が埋め尽くすのだそうです。海岸では鮭を釣るために何本もの釣竿が立っていました。
(ここからは寒いため氷点下20度になると真四角になる旭が見られるのだそうです。いつか訪ねた北海道留萌の黄金岬で見た氷点下15度の真四角な夕日を思い出しました)
最後の目的地は紋別の街が一望できる大山という小高い山でした。実にいい眺めです。右の彼方は知床、左の彼方には釧路辺りになるのでしょうが、弓なりのオホーツクの海をバックにした紋別の街はとても美しく見えました。
簡単な昼食を済ませて空港へ行くと船木さんはじめ多くの方々が見送りにきてくれました。この空港は飛行機へはタラップまで歩いて搭乗するのですが、2階の送迎デッキから寒い中をみんなが手を振って送ってくれました。人なつっこい北の大地に生きる人たちの優しさを感じながら、北海道を後にしました。
(多くの方が手を振って見送ってくれました。ちょっぴり涙が滲みました)
「先々で 出会う人有り 温かく 少し涙の 別れ寂しく」
「クリオネと アザラシ出会い 嬉し旅 流氷体験 全て心に」
「マイナスの 二十度こんな 土地にでも 逞し生きる 人間凄い」
「もう一度 必ず訪ね たい思い 今度は妻も 同伴したい」