○和歌山への旅
先日、大阪駅から特急くろしおという列車に乗って日本一の梅の産地といわれる和歌山県南部町を目指しました。和歌山は様々な土地へお邪魔をしているので、久しぶりに来たというのにどこか懐かしい感じがして、大阪駅で仕入れた何冊かの本を読みながら、車窓を流れては消え行く風景を飽きることなく眺めていました。次は何処の駅と車内放送がある度に、訪ねた町の記憶を思い出しつつ、近づきつつある目的地に思いを馳せました。和歌山へは途中に関西空港があるためアクセスもよく、あっという間に着くのですが、そこから向こうは白浜はいざ知らず新宮などは同じ和歌山とは思えないほど遠いのです。私の目指す場所は南部町と書いて(みなべまち)と呼ぶ紀淡海峡とも太平洋ともとれる、列車の名前の通り黒潮が流れる温暖な土地なのです。晩秋だというのに無霜地帯だけあって、早くもエンドウの花が咲いていて南国を思わせる雰囲気でした。
ついウトウトしてハッと目が覚めると車窓に何やら風変わりな橋が見えました。カエルの格好をした面白い橋です。
南部が近づくにつれて、海の彼方に細長い半島が見えてきました。多分見えないあの向こうには潮岬があるのだろうと思いつつ、デジカメで一枚車窓の風景を撮りました。
やがて列車が南部の駅に着きましたが、一便早く着いたので駅界隈を散歩する事にしました。駅の入り口に新聞少年の銅像「働く少年の像」が立っていました。珍しいので裏の碑文も珍しいので写真に収めました。昔はこの働く少年の像のように、苦学して学校へ通う人を何人も見ましたが、今は学校へ行きたくないのに学校があるような感じで世の中も随分変わったものです。私は現在愛媛大学の夜間主の授業を担当していますが、この大学の夜間主も例外ではなく、自分の知能に合った大学を選び通ったからやって来ただけの学生もいて、私たちの考えるイメージとは随分違うようです。
南部の駅から歩いて5分ほどで海沿いの砂浜に出ました。この日の集会が予定されているホテルが遠望できる美しい自然海浜は、想定される南海地震への備えなのか防潮堤のように門が取り付けられていました。砂浜では側にある南部中学校の子どもが砂浜に沢山下りていて、人なつっこく話しかけられデジカメに応じてくれました。縁とは不思議なものでその引率の先生が愛媛大学の出身で、私の知っている堺先生などを知っていたのには驚きで、ついつい立ち話をしてしまいました。
駅前に戻ってみましたが、相変わらずタクシー乗り場はタクシーも出払っていて、駅員の話だとそのホテルまでは歩いて20分もかかるというので歩く事を断念し事務局の人に電話を入れました。運良く準備のために和歌山から高速道路で近くまで来ていて、乗り合わせるとのことでホッとしながら、駅前のベンチに座り、持ってきたハガキを2枚書いてポストに投函し車上の人となりました。
和歌山県の町村議会委員長研修での講演は午後からなので、事務局長さんが南部の町を案内してくれる事になりました。前述のとおり南部は梅の産地です。そこここに梅の木が沢山植わっていて、春先の梅の花の頃、初夏の梅の実の実りの頃を想像しながら見て回りました。ご当地だけあって梅のミュージアムも思考が凝らされていましたが、残念ながらシーズンオフであったり、少しアカデミック過ぎるため、客の姿は殆どなく、私たちだけが貸切のような形で見学しました。中でも100年前の梅干しにめぐり合ったのが印象的でした。塩漬けのために梅干しは長く持つのだそうです。また私の干支は申年ですが、十二年ごとに巡る干支のにちなみ、申年の梅は縁起がよく珍重されるとあって、少し得意になった気持ちになりました。
会場となったロイヤルホテルからの眺望は素晴らしく、昼食も梅にちなんだご当地バージョンで工夫の後が読み取れ、満足な料理に舌鼓打ちました。
研修に参加した県内町村の委員長さんもみんなそれぞれ熱心で、あっという間に90分の持ち時間を終え、ホテルの車で南部の駅に送ってもらいましたが、事務局から送られて来た特急の時刻表が間違っていて、次の特急は2時間もまたなければならず、とりあえず普通電車を御坊、和歌山と乗り継ぎ、結局和歌山から快速電車で大阪まで帰る羽目になり、あわやその日に帰れないハプニングに見舞われました。これも旅のよき思い出でしょうか。
「もう一度 梅花咲きし 春の頃 訪ねてみたし 南部の郷を」
「愛大を 卒業したと 先生が 懐かしがりて あれやこれやと」
「申年の 私がもしも 梅ならば 干支で一番 重宝がられ」
「あるはずの 特急なくて 鈍行で これも旅ゆえ 思い出記す」