○私は先生ではありません
「先生」と呼ばれる人は学校の教師、お医者さん、政治家などがありますが、教師や医者などは誰でもなれる訳ではないので、「先生」と呼んでもいいと思うのですが、政治家は志を持てば免許も要らないので誰でもなれる可能性がありますから「先生」と呼ぶのには少し違和感があるような感じがするのです。最近は政治の混迷が続いているため国会答弁などがよくテレビで紹介されていますが、質問する側に対して質問される側が、「先生・先生」と相手を呼んでいるのを聞くと、まるで「質問をお手柔らかに」とゴマをすって持ち上げているようにも思えるし、質問する本人もまんざらではないような、少し鼻高々の感じさえ見てとれるのです。
議員さんには市町村の議員から国会議員まで様々な議員という職があります。いずれも選挙で選ばれるのですが、平成の大合併で合併したとはいえ100票そこそこで当選する議員もいるのです。
先日仲間と飲み屋へ行きました。酒を飲まない素面の私が目撃し聞いた話です。隣の席で飲んでいた胸にバッジをつけた市会議員さんが、対応しているお店の女性に、「私は○○市の市会議員だ。まあ先生と言われる職だ。私の事をみんなが先生と呼ぶので、先生と呼んでくれ」と言っているのです。その議員は顔見知りの人なのですが、その話をさも回りに言いふらそうと言わんばかりの大きな声で話していました。私は思わず噴出しそうになりました。「何が先生だ」と行ってやりたかったのですが、相手の議員はかなりメーターが上がっていたので、喧嘩にでもなったら大人気ないとその場は聞いて聞かぬふりをしました。お店の女性に聞いた話ですが、その議員はこの店に来ると「俺の事を先生と呼べ」と強要しているそうです。しかしこの議員の姿を見た市民は一体どう思うでしょう。大体プライベートで酒を飲みに来るのに胸の議員バッチも外さずに堂々と店にやって来るのは非常識もはなはだしいと思うのですが如何でしょう。たとえ店の女性が「先生」と敬語にも似た持ち上げをしても「私は先生ではない」と否定するくらいの度量がないと、市会議員などは務まらないものなのです。
自由人である私が「仕事柄」というべきではないのですが、人の前で話す機会が多い私も、講演先のステージに上がると垂れ幕に「若松進一先生」とか、紹介の折、「若松先生は・・・・」なんて歯の浮くような紹介をされて、穴があったら入りたくなるようなことが日常茶飯事あるのです。その都度「私は先生ではありません」と打ち消してから始めるのですが、そんな時間も勿体ないのでついついそのまま話を続けてしまうのです。また私は大学の非常勤講師をしているので、学生から「先生」と呼ばれることがあります。授業中は先生と生徒の関係が成立するので仕方がないにしても、街中で学生に会うと「先生」と呼ばれて面食らうことだってあるのです。
先日も学生がフィールドワークの授業でわが家へやって来ました。私の事を「先生」と呼ぶものですから、妻がゲラゲラ笑いました。妻にとってはタダの田舎のおじさんなのにです。
学生には授業の始まる新学期に「先生」と呼ばないように、「若松さん」と呼ぶよう説明をしてから一年の授業を始めるのですが、学生は日常の癖で「先生」と呼んでしまうようです。先日も「先生」と呼ぶので無視したところ、「先生は最近耳が遠くなったのですか。先生と呼んでも反応がない」と言われました。私は即座に「私は先生ではありません」と答えてしまいました。
最近はハガキの話しにつられて沢山のハガキが舞い込みます。中には「若松進一先生様」などと丁寧に書いているものもあり、届けた郵便局員は思わず吹きだしたに違いないと、汗顔しきりです。
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」という言葉があります。本当の先生でもない人に先生と呼ぶのは止めた方がいいと思うのですがいかがでしょう。
「先生と 呼ばれ戸惑う 私見て 耳が遠いの? 学生戸惑い」
「わしのこと 先生呼べと 強要す 市会議員の 愚かな言葉」
「ああ今日も 先生呼ばわり されそうで そこから話す 愚かな話し」
「昨日来た 手紙に先生 困ったな 郵便局員 えっ誰のこと?」