○お寺の奥様の会に招かれて
日本全国には数え切れないほどのお寺があり、そのお寺は本山と称するお寺を頂点として厳しい戒律と組織でその教えが長い年月伝統的にられているのでしょうが、末寺といわれる近くのお寺では日々のお勤めから葬儀の執行や墓地の管理に至るまで、これまた厳粛な掟にしたがって営々と営まれています。特に末寺を預かるお寺の奥様の苦労は並大抵では出来ないだろうなあと、いつも近所のお寺の姿を見て思って見ていました。
ところが最近ある知人の口利きでお寺の奥様の研修会があるからお話しするようにお誘いがありました。最初は説教を聞き慣れている奥様に大それた話など出来るはずもないと躊躇しましたが、「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」身軽さから引き受けてしまいました。今は合併して市内になりましたが、一山越した中山町の花の森ホテルへ出かけました。季節はもう初夏の装いで、渡る風も心地よく、窓を開けて風を取り込みながら会場となったホテルへ到着しました。
お寺の奥様はさすが教養や躾の行き届いた気品溢れる方ばかりで、これまで出会ったどの女性団体よりも素敵な笑顔とやる気が感じられる参加者にこちらもすっかり心を許し、時間オーバーまでする熱の入れようでした。中にはかつて若いごろ一緒に社会教育をやった関谷先生など、随分顔見知りの方もいて恐縮してしまいました。
「お寺は奥様に支えられている」ことを実感しながら、出来るだけ肩のこらない説教臭くない話をしたつもりでしたが、はて反応は如何だったでしょうか。奥様の中には私のブログを携帯でインターネットにダウンロードして読んでいる人もいて、気恥ずかしい感じがしています。でも私も色々なところに話に行きますが、お寺の奥様集団に話すのは初めてで、果て何を話してよいやらと考えましたが、考える間もなく、あっという間に終わってしまいました。少し反省をしている所です。
この奥様たちが所属する宗派の開祖といわれる道元禅師は「春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」と詠んでいます。日本の四季をものの見事に詠いこんでおり、私も好きな言葉として、渡米した時知人の書家に頼んでこの言葉を色紙に書いてもらいお土産にしてたいそう喜ばれたことを記憶しています。詫びや寂びといった日本の文化も次第に薄れ行く現代ですが、冷房や暖房に頼れなかった昔の人は写り行く自然に身を任せながら人生の機微を考えたのでしょう。
今日はよき人たちにめぐり合い、自分の生き方を改めて考え直す機会となりました。今一度ゼロに戻ってこれからもいい人生を組み立て直して行きたいものです。
「偉そうな 人に偉そな 話する 汗顔の至り 冷や汗出ました」
「ハーモニカ 山のお寺の 鐘が鳴る 吹いて気がつく 歌の文句に」
「寺守る 苦労笑顔で 越えてきた さすが仏門 心できてる」
「あの人の 見覚え顔が お寺とは 知らずに出会う 昔懐かし」