○山二つのありがたみ
私たちは『便利」という名の基に、何でもかんでも自分の近くに置こうという癖があります。松山まで僅か25キロの地域であるわが町のまちづくりも、実はそんな発想からスタートしています。道が開かれてからというものは、多くの人が住んでいる県都「松山」を意識して随分道をよくする運動をやって来ました。県道から国道への昇格運動、国道の改良陳情などにどれ程の知恵を出し努力をしてきたことでしょう。その結果25キロという距離は今も昔も変わらないものの、大幅にスピードがアップして2時間もすれば松山へ行って帰って来れるような便利さを手に入れました。過疎だ高齢化だと町の持っている負の部分を嘆いて「もっと便利に」が今も変わらず合言葉なのです。しかし近くなればなるほど、便利になればなるほど松山へ行った時の感動が薄れてゆくのは何故でしょう。非日常が日常に変化したからなのです。人間は日常の暮しだとだと感動しません。日常の暮しに飽き足らず非日常を求めるからこそメリハリがついて人生が楽しい思い出となるのです。
江戸時代の儒学者に熊沢番山という人がいました。番山は家が落ちぶれて寒村で貧しい暮しをしていました。山二つ越した所に日本の陽明学の祖中江藤樹が塾を開いていたので、番山はいつも講義の時間になるとやって来て、垣根越しに講義を聞いていました。その姿を門弟が見つけ中江藤樹に告げたのです。中江藤樹は番山を呼んで「そんなに講義が聞きたいか」尋ねました。「雨の日も風の日もこうして先生の話を聞くのが私の何よりの務めです」と答えました。中江藤樹は「聞くところによるとお前は年老いた母と一緒に暮らしているそうだが、うちの馬小屋が空いているからどうだそこへ住まないか。4時間も山を越えて来なくてもいいではないか」。「ご親切なお気持ち感謝してもし切れません。しかし私は山二つ越えて来るからこそ辛抱のしがいがあるのです。私の心の励みとしてどうぞそのままに」と涙ながらに答えたといいます。
今の私たちにはその気になれば幾らでも勉強に機会は与えられています。でも教えを体得するのは巻き返し繰り返しが大切なのです。
今の便利な時代、熊沢番山のような生き方をする人もいないでしょうが、せめて不便さの中であえて学ぶ心を持ちたいものです。幸い人間牧場には距離的や空間的に非日常が存在します。家の横に30年前に造った私設公民館「煙会所」が非日常から日常に変わった今、人間牧場の非日常こそ心を鍛える場所としては最適だと思います。熊沢番山の歩く速度だと人間牧場は一つ山越す2時間程度だと思います。一度自分の足で自宅から歩いて人間牧場を往復してみたくなりました。そう是非実行してみたいものです。私たちはいつの間にか足があることを忘れていました。
「番山の 生き方学ぶ 気構えが あれば学びに 心こもって」
「何時の間に 足で歩くを 忘れたか 便利という名の 車に乗って」
「直ぐそこに 中江藤樹の 大洲あり 偉大な足跡 訪ね学びし」
「この歳に なっても未だ 山越えず 何をしてるか 早くしないと」