○梅の一生
昨晩梅畑のブログ原稿を書いたら「梅酒大好き」という人から早速メールが入りました。嬉しいものです。わが家の食卓のテーブルの上には常時小さな梅壷とラッキョウ壷が置いてあって、家族誰もが思い思いに食べています。ラッキョウはカレーを食べる時に、梅干はお茶漬けにと主食に寄り添う形で食べられて名脇役をこなしています。孫はまだ3歳なのに梅干が大好きで「シュイー」と口を酸っぱくさせて食べています。このように日本人の暮らしには梅干が上手に使われているのですが、最近は成人病が何かと心配で減塩梅などが売り出されているようです。
もう何年か前のことでしょうが、私の友人女性が編集していた「あいり」という田舎の雑誌に「梅の一生」というのが載っていました。これは面白いと思って当時使っていたワープロに入力した記憶があるので、古いワープロを引っ張り出して、片っ端から検索してみました。なにせ100枚を越えるフロッピーの数ですから、若番で見つかるとラッキーだと思いながら、フロッピーを指し込み目次を検索し始めました。100枚のフロッピーを最後まで調べると心に誓ってやり始めたのですが、30枚目くらいで何となく不安になり、「ひょっとしたら異動の時処分したかなあ」とか、「なかったらムダ骨だなあ」なんて考えが頭をよぎり始めました。その時です。「梅の一生」という目次が目に飛び込んできました。何か宝くじにでも当ったような嬉しさがこみ上げてきました(実は私は生まれてこの方、宝くじは買ったことがありません。したがって「宝くじが当った」ような表現はものの例えなのです)
嬉しくなって画面に出しましたが、残念ながら感熱紙がありません。カートリッジの印字用リボンも既になく、結局は感熱紙を入れていた直射日光を避ける入れ物に入っていた既に印字されている感熱紙の上に印字し、混在する文字の中から読み取って以下の文章を完成させました。苦労の末の作品ですのでとくとご覧下さい。
梅 の 一 生
(大正初期の国語読本より)
二月三月花ざかり
うぐいす鳴いて春の日の
楽しい時も夢のうち
五月六月実がなれば
枝からふるい落とされて
村からまいへ持ち出され
何升何合の計り売り
元より酸っぱいこの体
塩につかって辛くなり
紫蘇につかって赤くなり
七月八月暑いころ
三日三晩の土用干し
思えばつらい事ばかり
これも世のため人のため
しわが寄っても若い気で
小さい君等の仲間入り
運動会にもついて行く
まして戦のその時は
なくてはならないこの私
いやアー、実によく表現してますねえ。当時は国民皆兵、戦争を戦(いくさ)というあたりに時代がしのばれます。私はこの文章の面白さもさることながら、文章を再生したワープロという機械にも頭が下がるのです。電子文字はペーパー化すると膨大なものですが、これを機会とばかりに検索すると出ること出ること、他の仕事をそっちのけで見入ってしまいました。でもこのフロッピーももう消え行く運命にあるのかと思うと、エネルギッシュに夜なべをして文章を打ち込んだ昔が懐かしく思い出されました。
「思い出し ワープロ取り出し 文字を出す 出た出た欲しい 梅の一生」
「へえ凄い 昔の子ども こんなこと 習っていたのか 暮らしの知恵が」
「戦など なくなり世の中 平和です 兵隊さんに ならなく済んで」
「一粒の 梅にもあった 物語 教え伝えて やりたし孫に」