○よい子・悪い子・普通の子
昔テレビの番組でよい子・悪い子・普通の子という言葉が流行りました。昨日夕方妻と二人で食事をしながらテレビを見ていたら、「自分の親に毒を・・・・・」というショッキングなニュースが飛び込んできました。さらにブログにこのことが掲載されているというので二度びっくりしました。妻いわく「うちの子供は普通じゃねえ、普通・普通・普通が一番」というのです。妻が言うまでもなく私には女・男・男・男と4人の子どもがいますが、特に勉強が出来るわけでもなく、取り立てて才能があるでもなくふつうの子として育ち、今は大人の仲間入りをしています。
長女は助産師として普通の?男子と結婚し一人の子どもを働きながら育てる普通の奥さんです。長男は設計士を志しながら設計事務所に通い、先日結婚したばかりの普通の男です。次男は8年間勤めた会社を辞め看護師になるため看護学校に通いながら演劇にのめり込む普通の学生です。3男は4年間勤めた会社を辞めプー太郎をしながら公務員試験にトライ、やっと念願の合格をした普通の青年です。こうしてみると、勉強もスポーツも普通だったため東京には行かず、手の届きうる近くに住んで普通の生活をしているのです。
普通の子どもに育つのには大きく分けて二つの条件があると思います。まずひとつは親が自分の能力がオール5ではないという認識でしょう。今は私のように子ども沢山生む時代ではないから、少なく生んだ子どもに過期待をします。私など4人も子どもがいるものですから余り優秀だと安月給のサラリーマンゆえに教育費がかさむので適当でよいと思っていました。また私も妻もオール3程度の普通の子どもでしたから、二人をたして2で割ると丁度普通になるので、親以上は無理と内心思っていましたので、普通の子どもに育ちました。もうひとつは自分の子どもは出来るだけ多くの人の中で普通の人間になるよう育てました。勉強よりも人間としての優しさを求めたから無人島キャンプにも連れてゆきました。だから友達や私の仲間が普通の子に育ててくれました。(教育ではなく共に育つ共育)
私の誕生日に4人の子どもが小遣いを出し合ってビールのつまみである柿の種を新聞に包んでプレゼントしてくれたことや、結婚記念日に小遣いがないので二人の肩を100回づつ叩いてくれたことも記憶に残っている普通の子どものやることです。
人は誰でもお金持ちになりたい、幸せになりたい、成功したいという3つの願望を持っていますが、お金はチャップリンのライムライトに出てくるようにサムマネー(少々の蓄え)でいいし、幸せも自分で出来る幸せや人のためにしてあげる幸せで十分で、人にしてもらう幸せは求めるものではありません。また成功とは自分サイズの成功でよいのです。
結局私たち普通の夫婦は普通の子どもしか育てられませんでしたが、それはとりもなおさず普通の幸せだとしみじみ実感しています。普通に生きることは自然体、でも普通に生きることは感謝の心や目標を持って生きてこそ実現するのであって、ひょっとしたら普通に生きることも難しいテーマなのかも知れません。
(この記事はパソコンのトラブルでブログに登録することが出来ず、2回書きました。2回書いて書き直してもこの程度の文章しか書けませんでした。ほんの10分前に書いたことをブログ上で再現することが出来ないくらい、今は過去へと去って行きます。今が過去になる前に普通に生きるためのトレーニングをしたいものです。)