shin-1さんの日記

○わが町の風土と景観

 「風土100年景観1000年」という言葉があるように、風土や景観は長い長い年月をかけて形成されます。しかし1年一昔といわれる現代では風土も景観も100年、1000年といった長い年月どころか数年間で変わってしまう恐れがあるようです。風土はその地方の気候や地質・地形などの総合的な状態をいい、景観は景色、特に良い眺めと辞書には記されています。北国でさえ雪が積らなくなった温暖化や、私たちの町の漁師さんが見たこともないような魚が獲れると不思議がる異変も、まさに風土に何らかの変化が生じたからに他なりません。一年足らずで一山の緑が伐採されて裸山になったり、ブルドーザーが削り埋めて作ったニュータウンなど、地質・地形を無視した結果の災害は、まさに人間の身勝手が生んだ人災としか言いようがありません。変わらないといわれていた風土はこのように、日々刻々と人間の手によって変化しつつあるのです。そうした姿は当然景観にも現れ、遠望する瀬戸内海の島々にはまるでネズミがかじったような痛々しい土砂採取の跡が、無残な姿をさらしています。

 私が私の町の景観を意識するようになったのはそんなに昔のことではありません。20年ほど前夕日でまちづくりを始めた頃からでした。町が汚いことに気付いて花を植えたり掃除をしたり、蛍やメダカに熱中しソフトの部分で努力をしてきましたが、経済優先を旗印にハードな投資も随分考え公園などの人為的な施設を整備してきました。「何でそこまで」と良識ある人からは疑問の言葉をいただきました。確かにこの町は20年前と比べ見違えるように変身を遂げましたが、止むに止まれぬことだったとはいえ、昔の景観を無視したこうしたやり方に役場を退職した今、少なからず心を痛めています。

 まるで空襲警報だと悪評を外部の人から指摘されたサイレンの音は、穏やかな音楽サイレンに変わり、音景観は見えないものの見違えるようになりました。海岸国道の白く味気ないガードレールは16キロの殆どが、「自慢の美しい海が見えない」と難癖をつけてガードパイプに変えてもらいました。国道のあちこちに句碑を建てたり、松並木を造り修景にも気を配りました。またシーサイド公園の味気ないコンクリートの突堤は表面を石張りに変えました。これら全ては私の景観に対する意識の変化といえるでしょう。

 昨日全国街道交流会議が松山であり、私は分科会でこのことをパネラーとして発表しました。多分その分科会に集まった人の中には私の意見を確かめたくて、今日やって来るに違いありません。400メートルの一直線に造った人工砂浜が10年余りの時を経て、ものの見事にS字化している自然の力を私は驚きの目をもって見ています。私にしか見えない景観かも知れませんが、もっともっと景観という視点に磨きをかけて行きたいと思うこのごろです。

 「一の字がS字になつた砂浜を歩きしみじみ自然は凄い」

 「同じ海ガードレールの色だけで違って見える不思議発見」

 「わざわざと遠い町から夕日見に心染め去る仲間数人」

 「ハーモニカ小さいけれど束の間の音の風景心和ませ」

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“shin-1さんの日記” への1件の返信

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    こんにちは。
    11月26日の双海の夕日を若松さんと一緒に見た茨城県の職員です。
    その節は大変お世話になりました。
    実は私もブログを書いてます。
    「水戸梅日記」といいます。
    若松さんのことは、11月25日、11月27日、12月19日に書きました。
    良かったら見て下さいね。
    また、私のブログからリンクを貼らせていただきたいのですがよろしいでしょうか。
    今後ともよろしくご指導お願いいたします。

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