○私のペンネームは大根心
かつて私は教育委員会に勤務し、公民館活動をやりながら町の広報を書いていました。タブロイド版とはいいながら毎月2回の発行はすさまじい仕事量で、寝る暇を割いて紙面づくりに明け暮れました。10年間で240号をたった一人で発行したのですから、立派というほかはありません。当時はワープロもパソコンもなく鉛筆と消しゴムの原稿書きでしたから、机の下は消しゴムのカスと間違って書いては丸められた原稿用紙が所狭しと散らかって、まるで売れない貧乏作家の部屋のようでした。
しかし今思うに若さにまかせて何の屈託も疑問もなく、使命感を持って望んだこの仕事が、実は「書く」という大きな宝物を得ていたのです。私にとって「書く」という作業は喋ることや実践することと同じくらい重要な意味を持っています。インターネットが普及しブログに雑文を書く作業も、雑誌依頼の原稿を書くことも全て「書く」という行為で、随分書けることによる恩恵を受けてきました。まさに「鉄は熱いうちに打て」の格言そのままの修行をしました。私の書棚にはファイルに納められた240号の広報がしっかりと収納されています。
町の広報は町の歴史そのものでもあります。ひとつひとつの記事には取材で出会った町民の顔や声が秘められており、懐かしさでいっぱいです。
その広報に「こちら編集局」というコラムを私的タッチで書きましたが、その時のペンネームが「大根心」だったのです。時には痛烈な行政批判を隠し味として書いたため、町長や議会からクレームをつけられたりもし増したが、読者たる町民からは様々なエールが送られてきました。町名変更の責任を取って異動させられた時まで10年間にわたって書いた「大根心」の戯言は自費出版「町に吹く風」にまとめられ発行しました。
「大根心」というペンネームのいわれは、大根は根の白い部分を食べるのですが、ついつい緑の葉っぱに人の目が行きがちです。でも本当は地中に埋まって隠された部分が値打ちなんだと、自分を戒めるつもりで名付けました。
大根が美味しい季節になりました。我が家の畑の大根もやっと大きくなって、もうそろそろ食べごろです。昨日始めて収穫した大根ですり大根を作り、水炊きのタレに入れて食べましたが中々の味です。そろそろおでんとして煮込まれることでしょう。また葉っぱは菜飯、根は沢庵に漬け込んだり、最近よく食べる大根サラダとしても重宝です。今年は早く種を蒔いたため残暑で害虫にやられてしまいましたが、それでも自家には問題ないようです。
「大根を見る度思うペンネーム良くぞ書いたね10年間」って心境ですが、お陰で今朝もブログに走り書きしました。