shin-1さんの日記

○煙会所界隈

 我が家の敷地は田舎なのでしょうか、とても広く都会では考えられない660坪もあります。日本家屋の母屋、隠居に加え、庭付き、畑付き、セカンドハウス(煙会所と名前の付いた茶室風の一戸建て)付き、資料館付き、東屋付きと一応は何でも揃っています。しかし広いのも良し悪しで、草萌える春から夏になると雑草が一面に生えて、親父はその対応に追われています。季節が巡ってやっと草の勢いが止まったので今はホッと一息ついたところです。

 親父はいじりが好きで、石や植木をあちらこちらに配置して楽しんでいますが、庭の手入れも全部自分がするほどので、近所の庭木屋さんが驚くような腕前の持ち主です。

 煙会所の前には立派な鯉を数匹飼っていますが、ヤマモモの庭木が少し弱ったので、取り除き池を広げることになりました。数日前から池の水を抜き、大きな水槽に鯉を移転させ、土木業者がはつって池を広げる作業をしていましたが、この程完成しました。池は今までの倍に広がり、立派な池専用に浄化槽ポンプが取り付けられましたが、88歳になるというのに衰えない親父の発想と行動力にはただただ驚かされます。妻は歳を重ねている父を気遣って池に落ちては大変と、今度の工事には大反対しましたが、ガンとして聞く耳を持ちませんでした。

 言ってはいけない話かもしれませんが、親父がかりに100歳まで生きるとして後12年です。時折「疲れた」とか「わしゃあ来年はもう庭木の手入れや刀の手入れ、草取りはようせん」と弱音を吐くようになり、体力・気力の衰えを感じるようになっていますが、果たして親父のやっている日常の作業を自分が全て受け継ぐことにはまったく自信がないのです。そのことが不安のひとつでもあります。しかし親父の好きなようにさせてやりたいと思う心根の優しさも私は持ち合わせているものですから、無理には反対しません。が、私から息子の代になるとこれまた大変です。

 煙会所界隈は進化しました。緑が消えた分少し殺風景になりましたが、それでもすっきりして見違えるようになりました。この煙会所も私が青年の船で建国200年のアメリカへ行ったあくる年の昭和51年に建てたものですから、もう30年の時を刻んでいます。全国から沢山の人を迎え入れて着ましたし、私の人生にとって様々な深い縁を結ばせてくれました。私の発想の原点は色々ありますが、人間牧場の構想も多分この煙会所から生まれたものと思われます。

 小さな囲炉裏を切った4畳半のちいさな庵の煙は「来る人拒まず去る人追わず」を庵是年、この煙会所の煙は、青森県から鹿児島まで分家の数何と17にまで広がっています。

 煙会所を造ったころ、窓辺の向こうに長い鉄橋が見えていました。その後周辺には家が立ち並びその風景は一変しましたが、銀河鉄道と命名した特急が鉄橋を走る姿は姿を消し、少し寂しくなりました。また窓からは港の赤い灯台や夕日も見えていたのですが、これも外へ出ないと見えません。でもそのロケーションは人間牧場に座を譲ったと思えばいいのですから・・・・・・・。

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