○弟と「人間牧場」へ
息子の結婚式出席のため里帰りした弟を「人間牧場」に案内しました。お墓参りを済ませ親父と弟嫁を、妻専用の軽四に乗せて登って行きました。里帰りは時々しても少年の頃の思い出の場所へ行くのはめったにないとあって、弟は感慨深げでした。弟の少年時代は物のない貧しい時代でしたから、「人間牧場」の建っているこの場所へは、細い道を歩いて登り、みかんやサツマイモ、麦などを背負子にかるって下ろしましたから思いでも一入のようでした。
特に遠望や眼下に見下ろす豊田漁港の変貌ぶりには驚いた様子でした。また「人間牧場」の構想や出来上がった「水平線の家」は、そこそこのアイディアに感心もしていました。多分そんなに頻繁にはここを訪ねることはないと思いますが、いい帰省のお土産になったと喜んでいました。和歌山出身の弟嫁もこのようなセカンドハウスに関心があるらしく、盛んにうなずいて見学していました。
近くに我が家の荒れた畑があるのですが、その畑をこれから手を入れようと思っているのですが、さてその後、つまり息子がその手を入れた畑を受け継いでくれるかと考えたら、「うーん」と考え込んでしまいます。そのことを当然息子の仕事だと強要するような時代でもないのですから・・・・・。
弟の里帰りは、私の今の立場を考える上でよい機会となりました。昨夜は二人の違った人生観について意見を述べ合いました。兄弟といいながら40年も別々の道を歩んだ二人の人生観が違うのは当たり前のことかも知れません。しかし私たち兄弟は類似点多く、40年目にして弟の人生観も知りました。
明日の朝、再び帰って行く弟に、これからが大事と私の心情を話しました。「人間牧場」は兄弟の心をオブラートのように優しく包んでくれました。ふるさとを後にした多くの双海町出身者の望郷の念は死ぬまで絶える事がないことも知りました。