shin-1さんの日記

○今月のメッセージ

 北海道での講演旅行から帰って10日間が経ちました。ブログにそのもい出を書きながら訪ねた町、出会った人を思い出しつつやっと名刺や資料の整理を終えました。美幌町観光ボランティアガイドの会のホッとあいず三浦さんからは、相変わらず薀蓄のある多少長めのメールが届いています。そのメールで私の弱点だったパソコン技術が、少しレベルアップしそうな気もしますが、相変わらず忙しくてまだチャレンジすることができず、気になっているところです。


 津別で出会ったオホーツク寒気団のメンバーに上杉さんという役場職員がいました。交流会の別れ際「今月のメッセージ」と書かれた一枚の紙を渡されました。「縁がつなぐまちづくり講演」というタイトルでこの文章に私のことが書かれているのです。右上にN060 平成21年3月1日と書かれているので、察するに毎月このような文章を書いているのだろうと思われるのです。

 私が前回大雪酷寒の美幌町を訪問して講演したのは2月23日でした。その降り私の話を聞いた上杉さんは私の話しを聞いた感想を書いてくれているのです。重要なポイントと思われる所は黒いゴチック文字で書かれていますが赤面の至りだと思いながら読みました。

 私の文章の下にほんの7行程度「到知3月号より「究極の幸せとは」という文章が載っていました。私も常々幸せとは何か」を解いているので興味深く読ませていただきましたので紹介しておきます。

若松進一ブログ
(上杉さんの今月のメッセージ)

 チョーク業界大手日本理化学工業会長の大山康弘氏が、「知的障害者に導かれたわが経営、わが人生60」を語っている。従業員の7割を知的障害者が占めるだけでも驚きである。知的障害者が人に幸せとは働くことだと気づかせてくれた。企業は儲けることも大事だが、人に喜びを与えられることが大きい。人間の究極の幸せは四つある。愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること、そして愛されること以外の三つは社会に出て働いてこそ得られるものと光り輝く言葉との出会いである。


 私が考える幸せには、人にしてもらう幸せ、自分でできる幸せ、人にしてあげる幸せの三つだと話していますが、私が思う究極の幸せとは人にして貰う幸せなのです。大山康弘氏が言っている人間の究極の四つの幸せとは多少とらえ方が違いますが、知的障害者が一生懸命生きて働くことは、ある意味人にしてあげる幸せかもしません。 私はある意味健常に生まれました。一生懸命生きている知的障害者から比べると何でもできるのですからもっと究極の幸せ、つまり人のためにしてあげる幸せを求めて行動しなければならないのです。自分のことしか考えない人が多い現代ですが大山康弘氏の言葉は思い言葉だと思うのです。

 そして人の話を聞いたり、本を読んで気がついたことをメモに書きとどめ、こうして活用している上杉さんも立派な生き方だと敬服しました。


  「本を読み 人の話を 聞いたとて 生かさなければ 何の役にも」

  「この人も ポジティブ生きる 術を持つ 人とお見受け 感化を受ける」

  「文章に 自分のことを 書いた人 赤面しつつ 出会い深める」

  「幸せは 一体何か 探しつつ 人生歩む 今日も明日も」

 

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shin-1さんの日記

○公民館職員研修会に招かれて

 公民館と言えば私が駆け出しの頃の13年間も務めた場所です。いわば地方公務員として35年間勤めたデビュー職場でした。そしてその職場で日本一の公民館主事を目指して様々な活動を試みて生きてきました。公民館がなければ私の人生もなかったと思うほどに私の人生にとって公民館は大恩人なので、ゆえに公民館から声がかかれば何はさておいて「恩返し」のつもりで馳せ参じるのです。

 昨日は西条市中央公民館の招きで職員研修会に出かけました。西条市には2市2町が合併したこともあって30近くの地区公民館があるそうですが、合併したこの4年余りで画一化が進み、館長・主事さんともに非常勤化を目指して館長・主事2人体制化が進んでいるようです。

 昨日の集会には館長と主事のどちらかが残らなければならず、主に事務職員の女性主事さんが集まっていました。ゆえに余り難しい専門的な話をしても理解されないかもしれないと思い、前半は私がかかわった公民館人生を語り、後半は今の公民館を見ての感想を交えた「ないないづくしの公民館10カ条」について話します。

 
若松進一ブログ

  ないないづくしの公民館10カ条

 ①一山100円で特徴が見られない公民館

 ②子どもと青年と婦人が集まらない公民館

 ③職員のやる気が感じられない公民館

 ④事業バランスが崩れている公民館

 ⑤金がないし知恵もない公民館

 ⑥公民館運営審議会が機能していない公民館

 ⑦いのちとくらしに役立たない公民館

 ⑧地域の自治能力が向上しない公民館

 ⑨行政に当てにされない公民館

 ⑩未来性がない公民館


 それにしても県内とはいいながら、また対象が違うといいながら同じ街へ二日続けて招かれるのもめずらしいことですが、前日は担当課長さんが知人であること、昨日は公民館が恩人であるゆえの講演となったのです。

 昨日講演が始まる前に館長さんや主事さんと講師控室で雑談をしました。「若松さんのブログを見ると朝4時なんて記録がありますが、一体一日何時間くらい寝るのですか?」と尋ねられました。「朝4時に起きてブログを一本書き、寝る前にまたブログを一本書く、寝るのは12時ころです」と答えると、「エッ、じゃあ一日4時間しか寝ないのですか?、それでよく体が持ちますね」と返ってきました。

 そういえば私の体内時計は役場に入った40年前からこのリズムで変わらす動いていることになるのです。ゆえに一日8時間寝る日本人の標準就寝時間から見ると毎日朝2時間、夜2時間も多く起きて働いている計算になるのです。これに40年をかけると膨大な時間になるのですから驚くと言うほかはないのです。身近な比較はわが妻です。私より毎日4時間も長く寝ているのに、毎日眠たいと寝不足を訴えています。果たして二人の違いは長くも短い人生においてどんな差が生まれるのでしょうか。

 先日「人の睡眠時間」について面白い話を聞きました。あるノーベル学者は私と同じ毎日4時間でした。でもその人は医者でありながら自分の寿命を述べることができず83歳で亡くなっています。近所のある平凡なおじいちゃんは毎日10時間寝て100歳を超えて生きました。年齢的にはノーベル学者の方が短命なのですが、どう生きたかと問われたり、何時間働いたか問われるとどちらとも言えないのです。要は人それぞれなのです。


  「公民館 私にとっては 大恩人 恩返しする 当り前だと」

  「何時間 寝るの?と問われ 四時間と 答え驚き 自分発見」

  「若松さん 寝ないと今に 寝たきりに 言われ驚き 昼寝決め込む」

  「わが妻と 夫婦同床 四十年 だけど毎日 たかが四時間」


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