shin-1さんの日記

○やっとかまど小屋が完成しました

 昨日かまどの工事がやっと終わったようです。私は昨日大学生のフィールドワークの授業で一日中忙しくしていましたが、設計や工事監理を担当した息子は昨日も夕方遅くまで工事の後始末をしていたようです。8月の2日に着工しているのですから2カ月も経った計算になります。その間人間牧場へ行く機会は大幅に増えて、何度出かけたことでしょう。また息子と時には同行し、時には意見の食い違いから少しだけ反目したこともありましたが、何とか完成にこじつけました。

 息子は設計の仕事をしていますから妥協を許さず、少しでもいいものを造ろうとします。しかし私の懐には限界というものがあって、息子と意見が合わないのそこだけなのです。結局は当初目論んだ金額の倍もの予算に膨れ上がって終息しようとしているのです。今回のかまど小屋の計画には21世紀えひめニューフロンティアグループも財政的支援をしてくれて、昨日の朝会計係の佐々木さんが支援金をわざわざ自宅まで持参してくれました。ツリーハウスの時も支援していただき、今回も甘んじて受け入れましたが嬉し限りです。

若松進一ブログ

(すっかり完成したかまど小屋)
若松進一ブログ
(土間は息子の発想で石張りです)
若松進一ブログ

(二段棚の一番上棚は大理石で周りにタイルを張りました)

 写真が一枚欠けていますが二段棚のこちらには収納できる畳半畳分のカマチが設けられていて、息子は昨日一日をかけて棚やカマチの内装ペンキを塗ったようです。土間は切り石張りでとてつもなく立派です。また息子が友人から貰って倉庫に置いていた大理石の板は短かめにカットされ2段棚の上にはめ込んで、周りに白いタイルを張りお洒落に仕上がっています。

 電気器具類も凝っていて、インターネットで購入したこれまたお洒落な器具が天井かにぶら下げられていますが、支払いのことを思うと少々気が重いようです。まあいいものを造った息子に免じて何とか資金の工面をして応えたいと思って諦めているところです。(最後は私を巻き込まないでという妻の財布を当てにしなければならないかも知れません・・・・。)


 人間牧場の施設群はある意味設計を仕事にしている息子の実験場です。水平線の家もロケーション風呂も、今回のかまど小屋も息子のアイディアがふんだんに取り入れられています。そのため思った以上に事業費がかさみました。しかし設計料はタダですから、設計料込みだとまあこんなものかと諦めがつくのですが、この施設を私が使えるのは年齢的にたかだか10年余りです。その後は長男である息子に譲るつもりですから、息子もそのことを承知で色々と口と手を出しているのです。

 金持ちのオーナーならどういうことはないのでしょうが、まるで自転車操業のような小銭を少しずつ貯めつつ使う貧乏なオーナーですから息子も時々頭にくることもあったものと思われますが、まあ何とかこれで5年計画の最終幕を引けそうで喜んでいます。

 息子はこれ以外にもまだ露天風呂などやりたいことがあるようですし、私も竹のやぐらを目論んでいて、これから資金を稼がなければなりません。息子のために親が力になることを第一に考え人間牧場の挑戦は当分続くのかも知れません。


  「牧場は 息子設計 実験場 オーナー私 頭が痛い」

  「いいものが 出来た内心 喜んで これを生かして 新た楽しさ」

  「設計料 思えばこれも 安いもの ない袖振れぬ そこが問題」

  「この施設 やがて息子に 譲るもの これを使って 社会貢献」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○思い出に浸る秋はそこまで

 残暑とでもいうのでしょうか、このところ日中は連日30度近くまで気温が上がり、「今日も暑いねえ」何て言葉が交わされています。先週北海道で「涼しく心地よい」初秋を体感してきただけに、少しうんざりしています。昨日は大学生がフィールドワークの授業に双海町を訪ね、わが家へ入った途端短い時間ではありましたが激しいースコールのような雨が降り、これまでの暑さが少し遠のいたような感じがしました。こんな雨が降る度に、40数年前のことが一瞬頭をよぎります。私は高校3年生の時宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に出かけました。設備の整っていない船内の風呂は機関循環水を引き込んだ海水風呂でした。ゆえに真水の風呂に入りたいといつも願望していましたが、時折急に降るスコールはとても貴重で、みんな自然のシャワーだと思いこんでスコールが来ると大騒ぎしてはしゃいだものでした。しかしスコールが来ると予測して石鹸をつけて待っていると、スコールが突然向きを変えて当てが外れることもあり、石鹸が肌にこびりついてヒリヒリしたハプニングも何度かあって、大笑いしたこともあったのです。

 最近季節が少しずつ変化していることに気づきます。道の駅の屋外売店には秋の味覚と言われる極早生ミカンや栗の実が沢山顔を見せ、大根の間引き葉野菜も並ぶようになって、「ああ秋だなあ」と実感するのです。

 昨日人間牧場を訪ねて帰る途中道端で木からぶら下がったアケビの実を見つけました。これは子どもの頃の思い出なのですが、アケビは私たちにとってはイタドリ、野イチゴ、ヤマモモなどとともに自然から授かる最高の贈り物でした。この頃になるとガキ大将仲間と山に分け入り、アケビを見つけてよく食べたものです。アケビは熟すと割れて中から実が飛び出るのです。少し早いと割れないし遅いと虫たちが集まって食べてしまうので、その時期を見計らって木によじ登り危ない目をして収穫し食べたものです。アケビは熟すとバナナのような甘い味がしますが、殆ど種ばかりで食べるところはほんの少しです。口いっぱいに放張り思い切り種を飛ばしたことを覚えているのです。

 最近の子どもはアケビなど見向きもしないので、このように私の目でも確認でき取ることができるのです。イガの中から顔をのぞかせた栗も、紫色に熟したアケビも机の上や玄関先に飾るとインテリアに変身するため、イガ栗とともに2~3個収穫して持ち帰り玄関先へ並べてみました。妻の活けたススキの穂とともに初秋を見事に演出してくれているのです。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 わが家の菜園の隅には甘夏ミカンやポンカンなどのかんきつ類が植えられています。その中に一本だけ極早生品種のみかんの木があって、このところの朝晩の気温低下で色付き始めました。「♭青いみかんが実ったふるさとの丘に 今年も取り入れの歌が聞こえる 甘く酸っぱい胸の思いを 心を込めながら小籠に摘んで 遠くの町のあなたにも送ってあげたい~♯」なんて素敵な歌を思い出しました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ


 青切りのみかんを見る度に10年前に逝った母のことも思い出します。海の見える現在人間牧場に変身しているみかん畑で、忙しそうにみかんを摘む母の顔はとても幸せそうでした。母の摘んだみかんを木箱に入れて背負子で一緒に坂道を下ったことを今でも覚えているのです。秋の夕日が真っ赤に海を染めて落ちる姿とともに・・・。


  「道端の 見上げた空に アケビあり ああ秋来たと 昔思いて」

  「菜園の 隅に色ずく 早生みかん 母植え遺し 木々の数々」

  「目にさやか 秋が来たなと 実感す 真夏日残暑 厳しきけれど」

  「口いっぱい ほおばるアケビ 種ばかり 大息ついて 種を飛ばしぬ」

 

[ この記事をシェアする ]