shin-1さんの日記

○三井典行さん55歳のご逝去

 最近私の身の回りで、私より早く人生を終える人が目だっています。今日は前双海町商工会長だった三井典行さんが亡くなり、その通夜が営まれるというので伊予市の葬祭場へ出かけました。最近は葬儀どころか通夜までも葬祭場でするため、私の町のように葬祭場のない地域では車で出かけなければならず、車に乗れないお年寄りは参列したくても中々参列することが出来ず、心残りな人もいるようです。

 それでも三井さんの生前の幅広いご厚誼を物語るように通夜には沢山の人が参列していて、在りし日の三井さんを偲びました。

 三井さんは私の末の弟勝彦とおない年の55歳です。若くして商工会長の副会長や会長を歴任し活躍したため、それ相応の年齢に勘違いされましたが、今朝の新聞のお悔やみ欄を見て皆一様に歳の若さに驚いたようです。今日は喪主の奥さんと典行さんのお父さんが列席していましたが、若くして夫をなくした奥さんも、自分より先に逝くお父さんも無念の涙を流し、参列者の涙を誘いました。

 三井さんはいわゆるUターンです。広島に支店のある銀行に勤めていた頃奥さん(多分広島県尾道辺りの出身では)と知り合い、船に乗ってお輿入れした瀬戸の花嫁なのです。この話題は数年前NHKのテレビで小柳ルミ子が下灘駅にやって来た折全国に紹介されました。

 彼はUターン後酒屋と旅行業を興し、様々な活躍をしました。小さな田舎の酒屋でありながら全国の名だたる銘酒を扱い、特に銘酒の誉れ高い久保田の特約店として、松山辺りからも買い求めにやって来るほど知名度の高いお酒屋さんなのです。旅行業を営むため酒店はもっぱら愛嬌のいい奥さんが切り盛りしていましたが、おしどり夫婦と呼ぶに相応しい仲でした。旅行業も小さな田舎ながら活発に展開して、何度も一緒に旅をしましたし、その都度遅くまで夢を語りながらお酒を一緒に飲みました。

 商工会は今年の春中山町と双海町が合併し双海中山商工会となりましたが、合併直前の会長であり新組織の副会長に就任していましたし、そのご縁でシーサイド公園を管理運営する第三セクター有限会社シーサイドふたみの代表取締役として活躍されました。数日前も所長さんと三人で話し合った矢先の訃報に驚いてしまいました。三井さんは銀行に務めていたため経済に明るく、それでいて新しいことにも挑戦するなど常に前向きな人でした。1年前くらいから体調を崩してただでさえ痩せた体がさらにほっそりして、周りを心配させていましたが、それでも気丈な方で弱音を吐かず最後までシーサイドの運営についても心配をしていたようです。

 今日の通夜では久しぶりに何人かの人に出会いました。親父の同級生で今は他所の町に住んでいる井上サカエさんは90歳ながら変わる様子もなく矍鑠として通夜に参列していました。「お父さんは元気」と親父のことまで気にしてもらい恐縮です。三井典行さんと親類の三徳電器社長の三井新太郎さんとも久しぶりの再会です。新太郎さんは私の直ぐ下の弟と同級ですがご活躍で、これまで様々なご支援をいただいているので懐かしい出会いです。また元商工会長で私と従兄弟の西下芳雄さんとも久しぶりに出会いました。奥さんが少し病弱で炊事をするなど苦労しているようですが、まあ元気に歳をとっていました。また関西汽船の浜田さんにも出会い、さらには懐かしい私の生まれ在所の方々の顔にも出会い旧交を温めました。これも三井典行さんのお導きと考え、冥福を祈りながら葬祭場を後にしました。

 明日は重要な仕事があって葬儀には参列することが出来ず、帰り際最後の分かれてして亡き典行さんのご尊顔を拝ませていただきました。穏やかな死に顔でした。

  「また一人 早いあの世の 旅立ちを 涙ながらに 寂しく送る」

  「穏やかな 死に顔拝み 葬祭場 フロントガラスに 消えては浮かび」

  「酒愛し 旅を愛した 男逝く これも生き方 短き命」

  「抹香を 手向けて煙 立ちのぼる 涙こぼれて ハンカチ拭う」  

 

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shin-1さんの日記

○新しいパソコンが届く

 パソコンに不具合が生じると決まったように電話をかけて何かと世話になっている娘婿に、不具合の状態を診てもらっていましたが、パソコンの中から異音が聞こえたり、アクセスが出来なかったりするようになって、いよいよ末期症状だと余命宣告されていました。「今の間にパソコンに入っているデーターを移佐内と、故障してからでは遅い」という娘婿の助言を受け入れ、ついにパソコンを買う事にしました。まあパソコンの値段は高いといってもひと頃ほどではないといいながら、リタイアのこの身では妻をないがしろにして臨時出費をする訳にもいかず、妻の財布から出してもらう事にしました。

 娘婿は私の都合を聞き、どの程度の機能を使いこなせる能力があるか、またどの程度の資金が適当かを判断し、インターネットで注文をしてくれました。2~3日前に娘を通じて電話が入りパソコンが手に入ったので夏祭りを兼ねてわが家へ来てデーターの移動をしたいということで、昨日わが家へやって来ました。娘や孫は前日から来ていたため予讃線海岸周りの鈍行列車に乗っての合流です。私はあいにく入れ替わりで3時から友人の葬儀に出席しなければならず、日頃は余りつけない客間のエアコンをつけて、その中での作業でした。葬儀から帰ってみるとその作業は仕上げにかかっていたようでしたが、私は孫の面倒を見ながらその時期を待ちました。

 やがて夏祭りの花火見学にやって来た長男家族も揃い、賑やかな食事の後、そろってシーサイド公園への花火見学です。前夜長浜の花火見学をしているため、私たち夫婦と孫朋樹にとっては花火の梯子とでも言えそうです。

 昨日の今日とでもいうべき花火の比較が出来ましたが、やはり長浜の花火の規模から比べるとふたみの夏祭り花火はかなり見劣りがしました。でも花火を見る角度やシチュエーションは劣ることなく、むしろ一枚上のような感じもしましたが、これも我田引水なのでしょうか。


 花火の寄付を集め花火の打ち上げ計画を立て、許可を得て当日の運営をするといった裏方としての20年に比べると、他岸の花火としゃれ込むのは何とも贅沢な感じがしましが、今もかつての私と同じように努力する裏方がいるのですから、花火が上がる度に人一倍大きな拍手を送りました。今年の花火もいい花火だったと見学した誰もが満足して帰りました。5歳になる孫は花火より夜店での買い物、1歳になった孫2人は花火よりも眠気と、花火が終った頃には花火の音など何処吹く風でスヤスヤ眠っていました。

(孫尚樹君とお母さんとおばあちゃん)
(孫希心君とお母さん)
(孫朋樹君)

 「お父さん、パソコンは一応使えるようになりましたので、何か不具合があったらこの箱の中の説明書を読みながら使ってください。分らない時は電話してください」といって、家族とともに帰って行きました。真新しいパソコンは私の机の上に、新旧比較という感じで並べられています。今日は大学のフィールドワークの授業があって出かけるし、明日から今週は忙しい日程が組まれているため、本格的な始動は来週からになりそうですが、さてこのパソコン、私のいうことを聞いて働いてくれるでしょうか。

 使いこなせるようになるためには、これまた私の進化が必要なのかも知れません。パソコンが2台になって何となく安心していますが、妻はこの際私のパソコンを下取りしてインターネットを始めようかと、要らぬ考えを持ち始めています。「不味い」と思っています。これまで妻の悪口を散々ブログに書いているだけに、読まれてはいけないのです。これからは想定外のことを想定に入れて書かなければならないようです。少し憂うつです。

  「新しい パソコン入荷 娘婿 半日かけて データー移す」

  「黒基調 若者向きの パソコンが 机の上に 眩く光る」

  「機能より 使いこなせる 技術力 妻の財布に 感謝をしつつ」

  「ただ唖然 見ているだけの わが身にて パソコン使う 婿の頼もし」

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