shin-1さんの日記

○これからの生き方を探る

 昨日は西予市にある愛媛県歴史文化博物館へ出かけました。県が威信をかけて造ったものだけに、施設は立派で金余り時代の遺物のようにも見えました。私も何度か企画展示と常設展示を見に出かけましたが、その度に施設や展示の素晴らしさに驚いたものです。しかし県の財政が逼迫し始めると博物館や美術館といったある意味での贅沢施設は矢面に立たされ、その管理運営の在り方が問われているのです。折から起こった指定管理者制度によって、この施設も見直しが迫られ、間もなく管理運営に手を挙げた会社が決まるのだそうです。

 日本の文化の、いや愛媛県の文化の薄っぺらさを露呈するような今回の見直しには、いささか疑問が残ります。というのも文化や教育施設、それに福祉施設などは損益や効果効率という物差しには馴染まないのです。世の中は今というテーマで考えると損か得か、好きか嫌いかで判断します。しかし長い目で見ると善か悪課の判断になって、この施設の果たす役割が見えてくるのです。確かに民間に管理委託をさせた方がいい場合もあります。行政のぬるま湯的発想では限界が来ているのかもしれません。でも博物館の命である展示による県民への文化的メッセージは、県の使命でもあるのですから、学芸員の数を減らして学術研究や展示を縮小することは何としても避けねばならないのです。

 科学博物館や歴史博物館を地方に分散設置したことは悪いことではありません。でも県都松山市に設置した美術館があれ程の善戦をしていることを思うと、やはり人の数をある程度計算できる場所に設置しないと経営が成り立たないことも分りました。歴史博物館を目の当たりにして、これほど素晴らしい施設ですから、必ず生き返らせ守っていって欲しいと思いました。

 さて昨日は歴史博物館が開いている南予コミュニティカレッジの特別コース、暮しの安心・安全講座に講師として招かれました。参加者は平均年齢65歳という私とほぼ同じ世代の20人程度でしたが、「これからの生き方を探る」というテーマで2時間ばかり話しをさせてもらいました。

 人間は過去と今と未来という大まかに分けると三つの時代を生き、これからも生きようとしています。自分が過去にどんな生き方をしてきたのかという過去認識、自分は今どんな状態に置かれているのかという現状認識、そしてこれからどんな目標を持ってどう生きようとしているのかという未来認識についてまず話しました。この認識作業が実は大切で、自分という分っていそうで分らない人間を見つけなければ生き方を探ることはできないのです。そのため生活設計という手法で自分を横軸で考えてもらいました。そしてその横軸を覆う社会の変化や家族の変化などを織り交ぜながら考えてもらいました。

 結局自分が何がしたいのか、何が出来るのかということに答える自分を発見しなければ、これからの生き方を探ることは出来ないのです。つまりこれからな生き方は自分探しなのです。

 幸せなkとに私は人間牧場という手法を通して自分の自分探しだけでなく自分以外の人の自分探しのお手伝いをしながら、他人から受ける感化によってさらなる自分探しをしているのです。お陰様で人間牧場が完成してから三年間で随分その成果が出て、幸福度がアップし少しでずつですが進化しているように思うのです。幸福度と進化度は人間にとって大切な生きがいの根源なのです。

 話が終って帰り際、短い時間の立ち話ながら何人かの参加者と感想も含めた対話をしました。一様にそれなりの自分探しをして、良くも悪くも自分を見つめて生きている人たちなので、意見も前向きで積極的でした。やはりその根源はこの暑い中を学ぼうとする意欲を持って参加したエネルギーにあるようです。人間は学ばなければ退化します。少しでも進化するよう私も頑張りたいと思いました。

  「博物館 人の気配も 落ち気味か 管理者制度 どこか気になる」

  「これからの 人生強く 生きるため 学ぶ人あり 自分を探す」

  「いい話 聞いたといって 去る女 握手求めた 温もり今も」

  「人様に 話するよな ことじゃない だけども俺は しっかり生きる」


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shin-1さんの日記

○住民自治に関する校区別学習会

 昨夕住民自治に関する校区別学習会に参加しました。役所を辞めた後地元灘町区の自治会長を2年間務め、その区長も一昨年に辞職しているのに私の元へ案内状が届いたのです。丁度別の用件への出席を予定していたため、欠席の旨を知らせようと、市役所支所が近いので連絡に行きました。ところがこの日は都合の悪い人が多く、延期になったというのです。次の予定日、つまり昨夜も出張先が遠いため戻れないと思っていたので、その旨も伝えましたが、そこを何とかといわれ、やりくりをして帰って来ました。そもそも私が何故呼ばれたのかの真偽も、「住民自治については詳しいので」としか伝えられませんでした。

 確かに担当者が言う通り住民自治は私たち市民にとっては今後のことを思うと大切なテーマであるは間違いのない事実です。問題は合併によって緊張の糸が切れた住民と市役所の関係修復から始めないと中々住民の盛り上がりは期待できないようです。

 昨日の学習会は学習会というよりは説明会に終始しました。出席人数も今一で、特にこの問題を担当すべきと思われる自治会長さんや公民館長さんすら欠席している人もいるのですから、私のような役職ではなく一市民として参加した者にとっては集まらないのか集めれないのかという疑問が少々感じられ、前途多難を思わせました。

 学習会は説明が殆どで質問しようにも分らない人も多かったようですが、私は敢えて質問しました。かつて役所の同僚だった人たちなので黙っている方が彼らにとっては礼儀かも知れませんが、「いい町をつくりたい」「町をいい方向に導きたい」という想いは一緒なので勇気を出しました。

 私の質問は2点です。まず説明の中で財政が厳しいという説明から始まりました。北海道夕張市の財政破綻が報じられて以来、日本全国の自治体の財政事情の厳しさは目を覆うばかりですが、財政事情が悪いから住民自治をという論法はどうも納得行きません。合併して3年余りが経ちました。色々な問題を抱えながらの合併だけに市政の運営は予想以上に厳しいものであることは察して余りあります。しかし市政運営のツケを市民に言われたって困るのです。一般市民はこの3年間、合併によって暮しがよくなると信じていたのです。というのも合併は暮しがよくなると説明を受けていたからです。行政は住民の不安を取り除かなければならないのに、不安をあおるような説明は少し考えた方がいいのかもしれないと思ったからです。

 もう一つの質問は、住民自治組織を作る手法です。まあ第一回目ですから仕方がないのでしょうが、上灘地区のデーターを基に話さないと都会で行っている犬猫テーマの話ではピンと来ないのです。地区住民の置かれている暮しの事情をもっと土台にすえた話しをしないと私のような一般市民は中々理解できないと思いました。

 市役所の言いなりにはならないというわがままな市民が多いため、最初からストーリーやスケジュールを見せることをあえてしなかった担当者の苦渋を思うと、もう少し市民主体という手法に軸足を置いて進めた方がいいような気がします。多分「意見を反映して」と理由を付け次にはそうするのでしょうが、他の事例を参考にし過ぎるとせっかくつくろうとしている自治組織がオンリーワンにはなりにくいのではないかと思うのです。双海町には自治公民館や自治会組織がこれまでの長い努力によって培われています。それらを地域個性として生かしてゆかなければいいものはできないのです。

 余り深入りすると巻き込まれそうなので、この辺にて質問をごまかし帰ってきました。まあ自分たちの住んでる町ですから他の地域に負けないようにみんなで智恵を出し合い、自治組織を作って行きましょう。

  「金がない だから自治だと いわれても それとこれとは 話が違う」

  「このままで ほっておいたら 駄目になる それなら分る つくろう自治を」

  「何となく 燃焼できず 終わる会 やろうと意欲 掻きたて欲しい」

  「本当は 黙って帰る はずだった でもこのままじゃ いけない思い」

 

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