shin-1さんの日記

○三津の渡し

 新幹線で大阪から東京まで3時間もかからない、こんなにスピードの速い世の中なのに、ゆっくりのんびりした世界があるものです。私の親友河野正彦さんは昨年市役所を定年退職しました。遊んでいるのも何だからと、再就職をしたのですが、その就職先は何と愛媛県松山市三津浜の運河を行き交う渡し舟の船長だと聞いて少し驚きました。彼は海技免除を持っているためその職につきましたが、何人かでチームを組んでその運行に当るのですが、行き交う船の数は相当多いようで、その中を縫うように走る渡し舟は、ゆっくりのんびりどころか朝7時から夕方まで、安全第一故に気の抜けない仕事のようです。

 この渡し舟は庶民の足として近所に住む人たちに長年親しまれてきただけに、財政難や行政改革、車優先の社会になった今、廃止について色々取りざたされているようですが当分は続くようです。

 数日前私は広島へ行く機会がありました。折角だから彼の雄姿を一目見ようと途中立ち寄りました。7時からの運行にそなえ準備の真っ最中でしたが、対岸から私の姿を見つけ、お客さんもまだ姿を見せていないので、こちらの岸に舟を走らせてきました。聞けばこの渡し舟は不定期で時刻表がなく、お客がいれば運行するという面白いものです。手を挙げれば対岸まで迎えに来てくれるのですから、これこそ庶民の足というべき乗り物でしょう。

 ところでこの渡し舟の歴史は古く、1469年に遡るそうです。伊予の守河野通春が湊山城主であったとき、この渡しを利用したのが始まりといわれています。あの有名な小林一茶も1795年に乗ったという逸話もあるほどです。大正の初めは水竿で運行していましたが、その後は手漕ぎ櫓となり、昭和45年にエンジンがつけられ現在に至っています。

 現在の正式名称は松山市道高浜2号線と呼ばれる道の一部なのです。海の上を私道が走っている珍しいもので、運河の幅は妬く0メートルだそうです。


 私は何度かこの舟に乗った経験があります。漁師をしていた若い頃ヤンマージーゼルの会社が三津浜にあって、エンジンを修理にやって来た時、対岸の造船所からこの渡し舟に乗りました。未だその頃は手押し櫓漕ぎだったと記憶していますあ。いにくこの日は先を急いでいてこの渡し舟に乗ることは出来ませんでしたが、河野さんの運転する渡し舟に是非一度乗ってみたいものです。

  「時刻表 なくも運行 渡し舟 手を挙げすれば タダで迎えに」

  「のんびりと 港の景色 眺めつつ 対岸渡る 長閑けき渡し」

  「渡し舟 乗らず歩けば 三十分 それがたったの 五分で向こう」

  「長閑だが 客を乗せ行く 仕事にて 目と気配りを いつも忘れず」

   

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○真夏のレオマワールド

 妻と孫の三人で香川県へ一泊二日の旅をしました。孫にとっては迷惑な旅の同行に報いようと、夏休みになったこともあって、孫の希望を汲み入れてレオマワールドを目的地に選びました。レオマワールドは金毘羅さんから近い場所にあるテーマパークですが、一度経営破たんしたことがありました。その後食品メーカー加ト吉が経営に加わり再会されたようですが、今度はその加ト吉に疑惑が持ち上がりかなり苦労をしているようです。

 午前中善通寺で早々と霊場参りを終えたため、香川だったら名代讃岐うどんを食べて行こうと、とある店へ入りました。間もなく昼飯時とあって店内は少し混み合っていましたが待つこともなく店内へ案内されました。妻と孫は釜揚げうどん、私は大根おろしうどんの大を注文しました。どちらも何のトッピングもないシンプルなもので、特に私の大根うどんは下しガネで自分で下し大根を作らなければなりません。少し多めにすり下ろしてうどんの上に乗せ、そこへ生醤油をかけるだけなのですが、夏の大根はかなり辛くうどんの本当の味を楽しむことが出来ました。だし汁もなく生醤油だけでうどんを食べることなど愛媛では余り馴染みがないのですが、近頃はテレビの旅番組などで度々紹介されているので、一度は食べてみたかったのです。

(うどん屋の店先で記念撮影をする朋樹)

(孫はブロック館でブロックの組み立てをしたかったようですが、ここで抜いた

 腹も太っていよいよレオマワールドへ到着しました。園内は正午過ぎの最も暑い時間帯なのに夏休み最初の日曜日とあって沢山の車が詰め掛けていましたが、駐車場はまだまだ余裕があってそれ程の混雑ではありませんでした。この日園内では農機具展示会が催されていて、子どもに関係のないような雰囲気が漂い、日焼けした農家の人たちが広い園内を汗だくになって右往左往している姿をよく見かけました。



 私と朋樹は4種類の乗り物に乗りました。冒険ワールド、クルリン自転車、足漕ぎボート、観覧車です。孫はまだ乗り物が怖いようで、乗る度に気乗りがしないようでしたが、冒険ワールドは室内に作られた夢の世界を気球に乗って一周するもので、とても楽しい旅でした。クルリン自転車は空中を二人乗りの自転車タイプの乗り物で一蹴するもので、かなりスリルがありました。足漕ぎボートは妻も一緒にボートに乗って池を20分航海するものです。足の届かない孫は真ん中に乗ってもっぱら船長さん役で体力のない妻は殆どブレーキのようで、私一人が20分にわたって漕ぎました。お陰で私はまるで潮吹き鯨のように汗びっしょりになりました。

 最後の乗り物は観覧車でゆっくり動くのでそんなに怖くはありませんでしたが、さすがに一番上に上がった時下界を見渡すと足元が怖いような錯覚に見舞われました。怖いといっていた孫は、伊予鉄高島屋のスケールの大きい観覧車に乗った経験があるらしく、涼しげな雰囲気でした。

 手も顔も出ている体中に太陽が照りつけ少し疲れたので午後3時早々にレオマワールドを出発し、高速道路を使って帰路に着きました。途中温泉に入って汗を流し夕食は孫のリクエストに応えて回転寿司でした。3人で30皿も平らげました。

 その足で下灘港祭りの会場まで車を走らせ、対岸のコミュニティセンター裏で花火を見学しました。二十年に渡って主催者として港祭りの企画や運営にかかわって、花火など見学する余裕もなかった私にとっては考えられないようなひと時でした。



 昨年は台風がやってきて皆と祭りも花火も中止となっていたため、昨年度の予算を使ったためか何時になく見事な花火だと、見ている人は大きな口を開け夜空を眺めながら拍手や歓声をあげていました。

 孫にとっても私たちにとっても、この二日は久しぶりにリフレッシュした休日となりました。孫は今日午後、迎えに来た両親と弟に連れられて、帰りたくないのにしょんぼりと帰って行きました。カブトムシの世話は私に頼まれました。

  「小旅行 孫と過ごした 二日間 写真見ながら 回想楽し」

  「来年は 学校入る どうなるか 今年最後と 思い出つくる」

  「フィナーレは 孫と一緒に 花火見て 爺婆も 幸せ浸り」

  「又来ると 泣きべそかいて 帰る孫 カブト飼育は じいちゃん頼む」 


[ この記事をシェアする ]