shin-1さんの日記

○地域づくり団体全国研修交流会愛媛大会の準備整う

 7月26日、えひめ地域政策研究センターから一通の書籍小包が送られてきました。封筒の左隅が切ってあり、切手は240円分が貼っていました。心待ちに待っていた手紙だけに早速封を切り中の冊子を取り出しました。表紙や中身からから受ける第一印象は愛媛らしさを表現したオレンジ色です。付け書には事務局の谷本さんの走り書きが添えられいましたが、この一年何度も実行委員会などの集会を重ねながら、この募集要項の作成に努力してきた谷本さんはじめ多くの方々の下積みな努力に感謝しながらページをめくりました。


 今年の11月14日と15日の両日、愛媛県で第26回地域づくり団体全国研修交流会愛媛大会が宇和島を中心に開催される予定です。「きなはいや伊予の国~広げよう地域づくりの輪~」が大会のキャッチフレーズですが、分科会会場は愛媛県下15会場という大きな大会なのです。既に昨年の秋実行委員会が組織され、はからずも私が実行委員長の重責を任されているのですが、実行委員長は一種の飾りであり、やはりこうした大会の切り盛りは事務局の根回しや企画力が大きく左右するものです。事務局はえひめ地域政策研究センターに置かれ、栗田所長さんや小方主任研究員と谷本研究員がタッグを組む強力布陣です。県庁市町振興課の北村課長さんも副委員長としてメンバーに加わるなど全面協力で成功・盛会を期そうとしています。

 さて、このパンフレットはこれから全国に発送され、地域づくり団体に所属する人たちの元へ届くのでしょうが、若しパンフレットが届かない私のブログを読まれている方には、希望すればご案内や説明をいたしますので、下記宛ご連絡下さい。

  愛媛大会事務局  財えひめ地域政策研究センター まちづくり活動部門

              〒790-0003 愛媛県松山市三番町4丁目10番地1

              TEL089-932-7750 E-mail:taikai@ecpr.or.jp

  実行委員長     若松進一

              〒799-3204 愛媛県伊予市双海町上灘甲5391-2

              TEL089-986-1301 E-mail:wakamatsu@yuuhi.jp


さて、愛媛県で開かれる予定の地域づくり団体全国研修交流会に来たいと思うあなたに実行委員長お勧めの参加方法を伝授します。まず基本的には折角愛媛県へ来るのですから、見たい場所や訪ねたい場所から検索する方法と大会の目的に沿って分科会のテーマの中で興味ありそうな会場から検索する方法の2種類があります。私はこれまで沖縄大会と茨城大会に参加しましたが、沖縄大会は石垣島に行きたいという思いで検索し、前回は分科会のテーマ「子どものためのまちづくり」でひたちなか市を選びました。いずれも正解で多くのことを学んで帰りました。

 「折角四国へ行くのだからついでに四国四県を回ろう」なんて甘い考えは捨てた方がいいような気がします。というのも四国は小さな島という印象が強いようですが、どうして松山から公共交通機関を利用して高知・徳島・香川へ行くのには少なくても一泊二日以上の旅プランが必要なのです。

 飛行機で松山入りするか、新幹線と列車を乗り継いで松山入りするかによっても随分と見所が違います。まあ一番いいプランを立てるには、若松進一さん(私のこと)のように、全国を歩き慣れた人間の助言を求めることをお勧めいたします。ただし私は公平公正を貫かなければならない実行委員長という立場なので、分科会のお勧めは相談には乗るものの原則としていたしませんので悪しからずご了承下さい。

 ちなみに11月のこの時期は愛媛では特産のみかんが山をオレンジ色に染めますし、海も空も青い国四国といわれるように澄みきっています。

 最近「愛媛では蛇口からみかんジュースが出るって本当ですか?」という問い合わせが私のメールに入ってきます。全体会の会場では本当にみかんジュースを蛇口から飲めるのです。このアイディアを検証するだけでも面白く、ましてや愛媛の特徴ある地域づくりを志す団体やリーダーと交流できるのですから、楽しみにお越し下さい。待ってます。

  「蛇口から みかんジュースが 出るという? 嘘か誠か 来なきゃ分らん」

  「きなはいや 土地の言葉で ラブコール 酒・食・人情 てんこ盛りだよ」

  「宇和島は 十万石の 城下町 みかんと真珠 日本一です」

  「ハラハラし ドキドキしつつ 最後には ジーンと来るよ 愛媛においで」

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○相次いで美味い物が届くわが家

 油が高くなったと嘆くのは全国一斉にストライキをした漁師さんだけではなく、わが町のお百姓さんだってみかんをハウスで作っているので、かなりしんどいようで、高齢化や跡継ぎ不足なのどに悩む農家では原油高が追い討ちをかけて、一気に農業離れが進むのではないかと心配されています。雨が降り過ぎると実った作物が美味しくないし、雨が降らないと木が枯れるし、豊作だと咲くもちの値段が安いし、不作だとお金が取れないしと、いつの時代も第一次産業というのは貧乏くじを引かされる運命にあるのかも知れません。ゆえに農家や漁家の親は勉強をして都会を目指せと向都離村の教育をするのです。

 少しでも農家のそんな窮状を助けようと、この時期としては珍しいハウスみかんを農家に分けてもらい、先日妻の手で全国の友人に発送しました。秋には漁師さんから煮干しを分けてもらいこれまた全国の友人に発送するのですが、リタイア年金暮らしの身ではいつまで続くかこれも心配なのです。

 さて友人から「みかんが届いた。美味しかった。また頼む」などと嬉しいメールや電話や便りが届くのですが、そんなつもりで送ったのではないのに、そこそこの土地から美味しいものが届くのです。

 島根隠岐西ノ島町の角市さんからは見事なアワビとサザエが届きました。北海道鵡川町の菅原さんからはメロンです。また高知県春野の乾さんからは珍しいフルーツトマト、高知県四万十市西土佐の和田さんと高知県馬路村の木下からは送りもしないのにそれぞれウナギとスーパーごっくん馬路村が届きました。送られて来た物は毎年楽しみにしている子どもや孫に殆ど全てを食べ尽くされ、私たち夫婦はほんの少しの味見程度なのです。それでも美味しいといわれる度に友人の名前や住んでいる所、その人の想いで話しを子どもや孫に聞かせてやるのです。

 春野の乾さんから届いたトマトは今まで食べたことがないような小ぶりで鮮やかに赤い甘いトマトでした。そのトマトが届いた頃からわが家の家庭菜園でもミニトマトが出来始めました。乾さんにいただいたような甘さはありませんが、それでも樹上で完熟させた真赤なミニトマトは毎日食卓に上り、夫婦はトマトで生きているというくらい食べているのです。今年はブルーベリー園を営む西岡さんのお陰でブルーベリーも沢山食べて、暑くてたまりませんが贅沢な夏なのです。

 去年もミニトマトは豊作でした。丸い品種から見たこともない長い品種に変えたための豊作だったと、トマトの品種名も分らず、妻と二人で苗屋に出かけ、口頭でドングリのようなトマトとお話したら、今日入荷しただけだともったいぶられ、トマトの苗を5本も買い求めました。最初は太りが悪く、丸いトマトに負けていましたが、その後ぐんぐん成長して、今では脇芽が沢山出て、鈴なりの状態です。トマトは普通脇芽をかいで育てますが、ミニトマトは脇芽にも沢山実を付けるので放任の状態でも十分なのです。最初は3日くらい置かねば収穫できなかったトマトですが、今は2日おきに収穫します。収穫したトマトは水荒らして小袋に分けて冷蔵庫に入れ、冷して食卓に並べられます。この品種は果肉が厚いのが特長で、丸いミニトマトのように表面が割れることも殆どなく、製品率は99%ですから凄く重宝です。

 トマトにどんな栄養や効能があるのか余り知りませんが、わが家では無農薬で安全保証付きです。大好物である完熟のトマトを好きなだけ毎日食べれる幸せは、やはり田舎暮らしの特権だと、都会の人に見せびらかし自慢したくてブログで紹介しているのです。

 まるで太陽の生まれ変わりのようなトマトは真赤な色をしています。地中の何処にそんな色の源があるのでしょうか。神秘的だと思えば思うほどトマトの収穫が楽しみなのです。

 明日からいよいよ8月です。暑中お見舞いがやがて残暑お見舞いに変わるころまでわが家の食卓はトマトが居場所を誇示してくれそうです。

  「菜園で 真赤に熟れた ミニトマト 食卓いつも 賑わせてくれ」

  「この赤は 土の何処から できるのか 野暮な考え 頭を巡る」

  「なくなった トマト送れと 催促が 孫も子どもも トマト大好き」

  「全国の 仲間に送る 送られる 思い出しつつ 相伴あずかり」

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○息子娘のいなくなった部屋

 現在わが家には応接間と座敷を除けただけでも空き部屋が4つあります。住宅事情の悪い日本では考えられないようなことですが、数年前まで4人の子どもたちがそれぞれ一つずつ部屋を占拠していたのです。そのうち娘が助産婦という仕事柄下宿して家を出、結婚して多分永久に帰らない部屋となっているのです。2階には座敷を入れると4つの部屋がありますが、建築の仕事をしている長男も、看護師をしている次男も、警察官をしている三男もそれぞれ家を出て行きました。時々帰るため部屋はそのままで、まるで抜け殻のようになっているのです。多分次男も三男ももうこの家に帰ることはないであろうと思う時、あの賑やかだった子ども時代が懐かしく思い出されるのです。私の方針で子どもたちは4人とも県内に就職していますが、長女は夫の仕事の都合や先方親との都合でどういう道を選ぶかまだ不明な所があります。でも長男夫婦が近々わが家へ帰る気持ちになっていること以外は不明だし、確実に3人の子どもたちはこの家に住むこともないようです。

 この週末息子と娘の家族が双海の夏祭りを見るため帰って来ると連絡がありました。暑い時期ゆえ大変だと思いつつ、寝部屋を確保するため三男の部屋を掃除する事にしました。男の子の部屋らしく調度品は殆どなく、本やビデオ、パソコン類などが殆どで、昨晩三男に妻が電話を入れて何処へ片付けたらいいか相談したところ、別に要らないから処分するように言われたそうです。はてさてパソコンの本体などは既に自分の居場所に移動しているのですが、それ以外のものは処分しようにもまったく分らないのです。

 三男の部屋を片付けていて再利用できそうなものがいくつか見つかりました。CDのデッキです。わたしのCDは故障して使えないのでお遊びで使ってみたいと思っています。また三男が体力づくりに愛用していた鉄アレーは、母校である松山工業高校の機械科時代に自分が製作したものなので大事に使ってやりたいものです。整理をしていて処分しそうになったものに、三男の危険物取り扱いや、ガス溶接などの資格免許証がありました。多分居間の職場では無用の長物と思って置いて行ったのでしょうが、発見できて良かったと思いました。後は処分の対象物でゴミ袋に入れてごみに出します。

 4人の子どもの思い出は切りがないほどあります。みんな同じように産んで同じように育てたつもりでもそれぞれ個性が違うし、進むべき道も随分違っているのです。娘は助産婦という職業を選び今もお産と養育で産休していますが、やがて復職する予定です。子ども二人にも恵まれ松山市で今のところは幸せに暮らしています。長男は設計の仕事をしています。結婚し子どもも生まれまあ何とかやっています。次男は適齢期を過ぎつつあるのにまだ結婚の兆しもなく、看護師として三交代の忙しい病院勤めをしています。趣味の演劇も辞めざるを得なくなりました。極楽とんぼの末っ子は警察官として県内で働き、今は寮に入って暮らしています。

 まあそれぞれの生き道を探し当てているので心配はしないのですが、わが家に帰る回数も段々遠のき、妻は寂しいと漏らしています。4人が言い争った兄弟喧嘩も遠い昔の出来事になりつつあります。それだけ私たち夫婦も歳をとったのでしょうが、親とはいささか寂しいものだと、息子の部屋を掃除しながら思った昼下がりでした。

  「家を出て 早幾月か 過ぎたけど いつかは帰る その日のために」

  「ああこれも 手に取り思う 過ぎし日々 今頃何処で 何をしてるか」

  「鉄アレー 手に取り力 出すけれど 十回までが 限界のよう」

  「この家は 夫婦二人の 住処にて 息子の帰り 住む日を待ちつ」


 

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○親父の気弱り

 このところ腰の具合と歯の調子が悪い以外は体の不調を訴えていなかった親父が、毎日35度を越す猛暑に参ったのか、少し気弱になってきました。今朝6時に親父の隠居へ朝のあいさつと腰にサロンパスを張りに出かけたのですが、呼んでも部屋の中から返事が返らず、散歩にでも行っているのかと思い、20分ほど過ぎて部屋に行って見ると布団の七課に臥せっていました。聞けば暑いため昨晩は気分が優れず余り眠れなかったというのです。今朝は日課にしている朝の散歩にも出ず布団の中で過ごしていました。それでも私の声を聞いて安心したのかやわら起き上がりサロンパスを腰に貼って一時話をしました。

 親父の隠居は一戸建てで2DKとでもいうのでしょうか、座敷と寝室兼居間とダイニングキッチンの三部屋があります。周りには窓も沢山あって戸を開けていれば風が通って涼しいのですが、夕方4時ごろから6時頃までは夕凪とでもいうのでしょうか無風になって暑く感じるのです。今年は梅雨が早く明けた分暑い日が続いて、雨らしい雨は殆ど降らず、このままだと自分で育てている家庭菜園の野菜類も枯れてしまうという思いも、親父の気弱さの原因のようですが、言葉で勢をつける以外にないので、頑張るように話しました。

 このところ親父の体が縮んだように見えることがあります。まあ後一ヶ月もすれば90歳になるのですから、当然といえば当然かも知れませんが、縮んだ親父を見ながら27年後の自分の姿をを見ているようで、何処となく複雑な心境になるのです。親父は若い頃大病を患いましたがその病気を克服しての長命ですから自分ではいつ死んでも納得していると口ではいいますが、ぜも人間は生きれるだけ生きていたいのは当然の願望なのです。私にとっても親父はかけがえのない人間だけに、出来るだけ長生きして欲しいと思っているのです。

 最近親父より年下の友人知人が亡くなったり、自分の弟が亡くなったりする度に、盆が越せない、正月が越せないと、自分の寿命が少なくなったことを気にして、弱音を吐くようになりました。また知人友人が特別養護老人ホームに入ったのを聞けば、「わしは老人ホームだけには行きたくない」と予防線を張り、「この家の畳の上で死にたい」というのです。その都度「じいちゃん、心配せんでもいい」と話すのですが、そのことも気がかりのようです。まあこの歳になるまで自分のことは自分で出来たのですからもう十分なのです。

 本当はもうここらで私も本当の意味でのリタイアをして、親父の話し相手や相談相手になって穏やかな日々の暮しをさせてやりたいのですが、セミリタイアの私には、もう少し社会のお役にもたたなければなりません。幸いわが家では親父と妻の親子関係も良好で、母が死んでから10年近くになりますが、毎日夕食は親父の体を気遣って体にいいものを手づくりして食べさせてくれています。また私の子どもたちも孫たちも来れば必ず大じいちゃんといって隠居へ立ち寄って話しをしますし、近所には娘や兄弟が住んでいて時折訪ねてきてくれるのです。特に私の姉は毎日のようにおかずなどを持ってやって来ます。

 「後10年は生きて欲しい」と今朝も話しましたが、「10年なんて生きれるはずがない」と返事が帰って来ました。

「自分が子どもにしてもらいたいことを親にしてあげる」、そんなささやかなことしか出来ませんが、私のルーツだけにこれからも長生きして欲しいと思っています。

  「もう駄目と 諦め続け 四十年 生きているから あと十年は」

  「このところ 親父の背丈 縮んだが どうにか元気 百歳目指せ」

  「二十年 先に私は こうなると 親父の姿 自分ダブらせ」

  「冷房は 嫌だぞ俺は 扇風機 そのくせ夏は 暑くかなわん」 

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○青春へのメッセージ

 県内にどれ程の数の高校があるのか知りませんが、縁あってこれまで県立高校の殆どへお話に行っているのです。高校生になると小学生や中学生と違って大人の言葉が通じるため、話す方は楽なのですが、その分自己主張が強く、面白くない話しをすると眠りこけたり、私語を話すなどもろに拒否行動を起されるので油断は出来ません。今日は昨年に引き続き鬼北町にある北宇和高校へ出かけました。この学校は毎年夏になると特訓セミナーのような形で3日間学習会が行われており、やる気を起させるために私が特別講師になって話すのです。「学力向上トライアル」と呼んでいますが、私は毎年この集会に招かれ、「青春へのメッセージ」と題して約1時間話すのです。

 北辰館という講堂に集まった学生は普通科2年生37名です。彼らを前にしてふと46年前を思い出しました。私は宇和島市にある愛媛県立宇和島水産高校に在籍していました。窓からは背後に鬼ヶ城という山が聳えていましたが、北辰館からも青い夏空に白い入道雲と一緒にくっきりと鬼ヶ城の山並みが見えました。宇和島湾から見る鬼ヶ城も北辰館から見る鬼ヶ城も同じ山なのに見る場所によって全く異なった山に見えるのです。これを世界地図に例えて話しました。

 私がジョン万次郎に憧れて、青年の船の班長としてアメリカへ渡った時、サンフランシスコの博物館で一枚の世界地図を見ました。その世界地図には日頃日本で見ているように日本が真ん中になかったのです。私はその世界地図を長い時間不思議そうに見つめていると、学芸員の方が英語で質問してきました。残念ながら私には英語の質問を理解できませんでしたが、彼は片言の日本語で「この世界地図の何処が可笑しいのか」と訪ねたのです。「世界地図の真ん中に日本がないのです」と話すと彼は、「あなたはすばらしい発見をした」と褒めてくれました。私にとってこの旅ほどカルチャーショックを得たことは他に例がなく、そのことを人間のものの見方に置き換え、多くの人に話したものです。今日も鬼ヶ城という山の見方と世界地図の見方を同じだと説明し、自分を見失わないようにと話しました。

 さて人間は様々な夢を持って生きています。他の動物と人間の違いは夢を持ち、夢を手に入れるために努力することなのです。しかしその夢も努力が足りないと見果てぬ夢に終ってしまう事だってあるのです。私だって夕日という何処にでもありふれたものに憧れ、雄飛を売る出そうと考えました。しかし100人中99人の人が反対するようなものを手に入れることは殆ど不可能に近いのです。でも私は諦めませんでした。その結果20年という長い年月はかかりましたが、やっと日本でも指折りの夕日の町になったのです。

 運命と宿命の話もそれとはなしにお話しました。人間は生まれながらにして自分の才能が決まっているように思いがちです。でも決してそうではなく、諦めていたものの殆どは自分が努力しなかった結果であることも気がつかなければなりません。宿命と諦めることなく少しずつ努力すれば運命は必ずや開かれてくるのです。

 高校生に話しをする機会が多くなり、今時の高校生について色々な書物を読んだり、話す機会が増えてきました。幸いな事にかつてPTA会長を6年間もやった松山工業高校の学校評議員もしていて、先生たちから色々な話を聞く機会に恵まれています。

 高校生に話した「青春へのメッセージ」は果して届いたでしょうか。

  「往復で 百五十キロの 道程を やる気触発 出来たかどうか」

  「校長の 指差す先に 鬼ヶ城 北から見れば こんな姿で」

  「トライアル 夏の暑さを ものとせず 若者たちの 熱気伝わる」

  「あちこちに 高速道路の 工事あり 道路特定 財源いずこ」  

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○夕日を語る

 町内の小学生が7月28日から3日間の日程で、ふるさと体験活動「ふたみ合宿村」を開いています。双海町には小学校が3校ありますが、いずれも小規模校になっているため、この事業が3校が連合を組んで毎年やっています。子どもたちにとってふるさとについて学習したり、ふるさとのよさを感じてもらうふるさと教育はとても大切なことなのです。しかし最近になってこれらの事業すらやり始めた頃とは随分様子が変わってきているようです。例えば食の安全などを考え、昨夕の献立は町内の業者といいながら弁当だそうで、食べ盛りの子どもたちにとっては、むしろ節制を強いるような感じもしますが、まあそれはそれとして容認しなければなりません。

 それでも昨日の第1日目は真夏の暑さの中、霊峰牛の峰に登山したり、今日はシーサイド公園でカヌーを体験したり、最終日にはボランティア活動をしたりと様々な楽しいプログラムが組まれているようです。子どもたちにとってはこの合宿村や、通学合宿夕やけ村、少年少女おもしろ教室など、官民一体でふるさと教育が行われていて、いい傾向だと思っています。大切なことはそれぞれのふるさと教育がそれぞれの特徴を出し合い、それぞれに個性を発揮しないと、子どもにとって非日常であるはずのプログラムが日常になってしまうのです。子どもたちは日常だと感動が半減します。逆に非日常だとハラハラ・ドキドキ・ジーンが子どもたちに伝わるのです。

 昨夕は合宿村から夕日の話しを頼まれて出かけて行きました。この頃になると天気も安定し夕日を見ながら野外で話が出来るので、毎年のことながら忙しい外出先での仕事を少し早めに切り上げて6時過ぎに会場へ到着しました。講話開始までは約1時間あるので、翠小学校と由並小学校の校長先生を相手に控え室で教育談義をしました。双海町内の3小学校の校長先生は今年から全て女性の校長先生で気配りのできる人だし、何かとご縁の深い人たちなのですっかり門外になった私にでも心を開いて話しをしてもらうので助かります。

(地上を焼き尽くし輝いてしずむ一度目の夕日)

 さて外の西日が潮風ふれあいの館に差込み、夕日が私を呼んでいるようだと思い外に出て見ました。今日北陸金沢や神戸では集中豪雨で大変なようですが、天気の不安定さはここまでは及んでいないものの、西の空の様子がどうも怪しいのです。先生にお願いして5分余り早く開会してもらいました。西の空には黒い雲がかかって、「夏の夕やけ川向こう渡るな」の諺を思い出させました。それでも西の彼方に沈む夕日は最高のシチュエーションで、子どもたちには雲間に消えようとする夕日を少しの時間しっかりと対峙しながら見てもらいました。

 私の話は約1時間です。小学生といえども高学年なので昨日はは大人に話す内容を話させてもらいました。子どもたちは、かつて私がコンクリート電柱を貰ってきて造った電柱ベンチに腰をかけての聴講です。

(青島辺りにしずむ感傷的な二度目の夕日)

 昨日は私の予告どおり、雲間に消えた夕日が再び雲間から姿を見せ、感動的な天体ショーを見ることが出来ました。しかもその夕日は真赤で一日で夕日を二度体験できたのですから、これ以上のことはないのです。

 このような美しいい夕日を眺めて暮らせる幸せは、そうそうあるものではありませんが、この地に暮す人にとって夏の西日はどちらかと厄介者で、夏の暑さの張本人を葦簾でさえぎっているのです。まあもう直ぐお盆を迎え、土用波が押し寄せれば夏も終るので、むしろ夕日を美しさの対象物として見て欲しいと思うのです。

 帰り際翠小学校の和田校長先生が「ツボ」の話をしてくれました。ツボは健康のツボとか話のツボとかよく使われますが、まあ極意とでも訳しましょうか。私の話の全てを見透かされたような落ちに思わずドキリとしました。子どもたちが浅学非才な薄っぺらい私の話しを聞いて何を感じたかは分りませんが、私の話のツボは夕日を切り口に、「ふるさとに誇りを持って生きる」「少年よ大志を抱け」「夢は必ず実現する」だったのかも知れないと、木になるカバンを単車の後に積んで、ほのぼのとした気持ちで夕闇迫る家路を急ぎました。

  「コンクリの 電柱ベンチ 皆座り 夕日見ながら 夕日を話す」

  「一日に 二度も夕日を 見るなんて 今日はついてる 夕日に感謝」

  「この子らも やがてふるさと 後にする せめて夕日を 心に刻め」

  「ツボさえも 押さえきれない わが身にて ツボの話に 思わずドキリ」



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○楽しいダンボールアート

 松山に住む五歳の孫が来ると、「おじいちゃん、遊ぼう」と盛んに私の懐に飛び込んできます。60歳も離れた私と孫では当然遊びも違うし、今時の子どもの遊びは中々理解し難く、何をどうしていいのか迷ってしまいます。夏時の今はカブトムシに凝っていて、マンション事情もあるためカブトムシの飼育はもっぱら田舎のわが家が担当しているのですが、これとて餌を毎日やらなければならず、ほとほと疲れるものです。それでも電話で「カブトムシは元気」と聞いてきたり、わが家へ来るなりカブトムシにご対面して喜んでいる姿を見ると、何となく嬉しいものです。

 そんな孫朋樹の一番のお気に入りは、ハサミとカッターとガムテープで作るダンボールアートなのです。妻は孫のためにお中元などのダンボールや菓子箱を捨てることなくストックしているのです。昨日は泳ぎに行ったり映画を見に行ったりとかなり忙しく過ごしていたため、すっかりダンボールアートのことなどお互いが忘れていましたが、夜私と寝る時孫が、「おじちゃん、明日はダンボールでロボットを作ろう」というので、「ああやろう」と約束してしまいました。三つ子の魂とでもいうべきか、孫は昨晩の約束を覚えていて、梅干しの天日干し作業が終るのを見はかったように二人で始めました。孫のテーマはロボットです。幼稚園で造った経験があるようで、自分では出来ないくせにあれこれと注文をつけるのです。結局自分のイメージを設計図として書かせましたが、まあ何とか分るような気がして造り始めました。

 妻が貯めておいたダンボールはかなり沢山あり、その中から菓子箱や洗剤箱を取り出し胴体を作りました。さて孫のイメージではやはり手と足が必要だというのです。しかも足は二本で立つこと、手は伸び縮みして変身することが条件なのです。交錯の途中で、誰に教わったのか「おじいちゃんは起用じゃなあ」と褒め殺しのよなお世辞をいって私を働かせるのです。自分はハサミとセロテープを使ってせっせと小物類を作っているようでした。

 やがて胴体が出来、足と手が出来上がりましたが、それらの小物をくっつけるのにはかなり苦労がいりました。それでも孫が満足するようなロボットが出来、頭には昨日映画に行った帰りにマクドナルドで貰った小型のロボットを埋め込む事にしました。

 さあ完成です。孫はマジックで絵を書き、昼休み昼食に帰る妻を驚かせようと、玄関の目立った場所に置いて帰りを待ちました。12時10分頃、妻が帰って来ました。玄関を開けるなり、孫のいつもの行動を知っていているため、「わー凄い」と誇張した驚きを表現したため、孫は大喜びで隠れていた場所から出てきました。さあそれから、さも自分が造ったような顔をして念入りな説明をしていました。

 普通であれば何処にでも転がっているようなダンボールや菓子箱を使って、孫とおじいちゃんが楽しく遊べ、しかもその作品が出来るのですからこれほど楽しいことはありません。妻は孫のためにガムテープをたくさん買って用意しているので、孫も惜しみなく使っています。

 先日孫と一緒に作り家の一室に飾っていた犬の家やロケット、豪華客船などを片付かないため畑の隅で焼却処分にしました。孫は折角作った作品を燃やされてショックを受けていましたが、また作ってやるからと納得させました。私たち大人にとってはタダのゴミでも、孫にとっては宝物なのです。

 今の子どもたちは与えられた遊び道具が主流になっていますが、ダンボールアートはまさに創作の遊びなので、これからも孫と一緒になってせっせとダンボールアートで遊びたいと思います。

  「孫と爺 ダンボールアート 楽しみつ スキンシップの ひと時過ごす」

  「ゴミだけど 使いようでは 宝物 金も出さずに 夢を共有」

  「ロボットを 作れと孫の 設計図 理解出来ぬが 何とか形」

  「作品を 焼却処分 孫涙 何とかなだめ 次の作品」 

 

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○三日三晩の土用干し

 6月の始めに収穫した青梅を、梅干し用として塩漬けにしていますが、その梅を土用干しする季節がやって来ました。今年は10日以上も早くに梅雨が明けたため、もっと早くても良かったのですが、天気が3日間は安定する頃を選ばないと、折角干した梅が夕立ちなどに合わせると元も子もなくなるので、ウナギを食べる土用丑の日も過ぎたので、いよいよ作業開始です。今朝は仕事に行く妻から頼まれて干すためのサナを洗う作業からしなければなりません。私などはそのサナを何処へしまったのかさえも分らず親父に聞く有様です。倉庫の隅に親父がちゃんとしまってくれていたサナを取り出しましたが、年寄りの几帳面さには感心するばかりです。サナは全部で6枚用意しました。これで三つの樽をまかなえるかどうか心配ですが、まあとりあえずやってみる事にしました。

 昨年の経験に習って梅干しを一日中3日間夜も昼も干し続けるのです。特に夜の夜露に濡らすことは何の意味があるのか私は分りませんが、察するに昼間の炎天で埋めの水分を飛ばし、夜の夜露でまろやかな柔らかさに戻すのでしょうが、昔の人の生活の智恵で言い伝えられてきた「三日三晩の土用干し」はそれなりの意味があるのでしょう。

 一昨日は夕立にも似た雨が1時間余りに渡って降りました。天気が安定したとはいえ油断は禁物です。私と妻、それに親父を巻き込んで見守りたいものですが、私は残念ながらこの3日間とも外の仕事があって家を留守にします。妻も同様なので勢いこの梅干し見守りはずっと家にいる親父の役目になるのです。そうはいっても親父とて一昨日のような急な雨だとしまい込むことは不可能なので、少し気がかりです。

 わが家の住人はいつの間にか私たち夫婦と親父だけになっています。4人の子どももそれぞれ独立して県内で暮らしています。故に梅干しを沢山漬けても食べてくれる人の数がいないのでは話になりませんが、子どもたちは梅干しが大好きで、特に孫朋樹はまだ5歳なのに毎食に梅干しがあれば食べるし、弁当のおにぎりにも梅干しを入れて欲しいと頼むのです。隔世遺伝ではないでしょうが孫の梅干し好きには驚きです。

 私も殆ど毎日梅干しを食べます。梅干しや味噌汁は塩分が多いからと敬遠する人もいますが、私は塩分よりも日本人が長年愛し続けてきた梅干しの持つ神秘的な効能を信じています。「食べれるのにクエン酸とはこれいかに」なんて洒落にもなりませんが、味噌汁や梅干し、納豆など外国人には理解できない食べ物をもっと大事にしたいものです。

 昨晩は親類からハモが届きました。ハモといえば夏、ハモといえば京都といわれるくらい、京都といわずこちらでもハモの美味しい季節がやってきました。ハモはウナギやアナゴと同じように原型はグロテスクです。特にハモの歯は鋭く、噛まれるととんでもない深手を負います。私も子どもの頃何度か掴み損ねてハモに噛まれたことがありますが、それは痛くて我慢できないほど傷になるのです。

 ハモは小骨が多く、背開きにした後、骨切りと称する作業をしないと食べれません。骨切りはよく切れる包丁で2~3ミリ刻みで切り目を入れますが、ちょっと油断すると皮目まで切って失敗してしまいます。私も何度か挑戦しましたが、何度も失敗しました。今は幾分上手にはなりましたがまだまだ未熟です。骨切りしたハモをさっと熱湯にくぐらせると雪のように真っ白い身がまるで花が咲いたように広がります。これを裏ごしした梅肉で食べるとまた格別で、思うだけでもヨダレが出てきそうです。

 わが家では梅肉が間に合わない時は生醤油で食べたり、ポン酢で食べたりします。これも中々美味しいものです。でもやっぱり真赤な梅肉に真っ白なハモをつけて食べる食味には叶いません。梅とハモのコラボレーションは日本人の編み出した食文化といえましょう。

  「土用干し 今年も夏の 風物詩 三日三晩の 夜露を取りて」

  「梅とハモ 絶妙コラボ 食進む 夏が来たなと 思いつ食べる」

  「丸々と 太った梅が いつの間に シワ寄せいらぬ 水分とりて」

  「喰えるのに クエン酸とは これいかに 梅干し食べて 今日も元気だ」


 

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○東広島市でたっぷりと話しました。

 講演の時間はその時その場所によってまちまちですが、シンポジウムで講演とパネルディスカッションを組み合わせた場合を除けば短いのは約1時間、長くても2時間程度が普通です。ところが昨年に引き続いて招聘いただいた今回の東広島市での講演講話は三つの研修会を組み合わせてもらったので、一日目は4時間、二日目は3時間2回の合計10時間という長丁場になってしまいました。普通の人はこんな時間を貰うとたじろくのが普通でしょうが、私はいたって平気でこれまで最長は連続10時間というのがありましたから、驚くことはないのです。しかし私は何時間でも話せても聞く方の限界はせいぜい2時間が限界なのかも知れません。普通小学生は40分、中学生は50分高校生は60分、大学生は90分が通り相場なのですが、大人の場合はまあ90分が限界のようです。

 今回の研修会は、三つの区分ごとにお話したので、私にとっては短く感じるほどよい時間配分でした。

 研修会を主催する場合、主催する側の聞かせたい話と、参加する側の聞きたい話は必ず一致するものではありません。主催者がいくら金をかけて有名な人を呼んでも、参加した人が心を閉ざせば馬の耳に念仏、馬耳東風なのです。特にこの時期の研修会は外のうだるような暑さから逃れて、冷房の効いた会場で開催するものですから、眠気をもよおすものです。しかしこれを主催者が不謹慎だといっても眠いものは眠いのです。肝心なのは眠らないような話をする講師を選び、選ばれた講師は眠らないような話をしなければならないのです。その点私などは田舎のドサ回りのような全く無名な人間なので、主催者から研修会の出席通知があった時点から参加者は余り期待をせず、主催者に分らないよう居眠りをしようと決め込んで来たに違いないのです。しかしそのドサ回りの私は、ドサ回りにしてはまるで由も都心喜劇のような面白い話をする人間なので、ステージ側から見た範囲では寝ているような人は殆どなく、むしろ私が驚くほど反応よく応えてくれました。

 一日目は新規採用職員研修会でしたが、事前に質問用紙の提出を義務付けていたので事前学習をしっかりやっていて反応は上々過ぎるほどでした。

 二日目は課長・課長補佐など役職を持った人でしたが、職責の都合上170人を85人ずつに分けて仕事に穴が開かないよう配慮していました。上司は部下を選べないが部下もまた上司を選べないという数奇な運命の人間関係の中で、自分に与えられた駒を使っていい仕事をするためにはどうすればいいか。「市民視点のまちづくりセミナー」ということもあって、私の経験をお話させてもらいました。私は35年間の役所生活の殆どが役所視点でなかったため、役所視点という風潮が根強い時代であったこともあって、随分同僚や先輩との軋轢に苦しみました。でも市民視点を貫いたお陰で、市民いい仕事が出来、結果的には市民の幸せ実現に貢献することが出来たのです。夕日を地域資源にしたまちづくりなどはその最たるもので、町民が自分の町の夕日を自慢したり、年間五十五万人といわれる多くの観光客が今もやって来て、それなりの経済効果を生み出しているのです。

 私は課長などの管理職は「金は出す」「口は出さない」「責任は取る」という三つのことを肝に銘じるべきだと思っています。ところがつい最近の管理職は「金は出さない」「口は出す」「責任はお前が取れ」と開き直ります。管理職になれば部下の責任を取って止めなければならないことはあるし、口を出さなければ自分で行動し、金を使っていい仕事が出来るのです。

 その場合、「まちを愛する」「まちのためにやる」「まちを正しい方向に導く」という根本理念が上下で認識されていなければなりません。上に軸足を置くのではなく、地域住民に軸足を置いて仕事をすれば自ずから結果はついてくるものなのです。

 結局はひとりの人間としてどう生きるかという人間力とでもいうべき生き方の信念を持っていないといい仕事は出来ないのです。

 二日目に集まった管理職のうち課長以上の方はもう10年以内に肩書きも名刺もなくなってしまうのです。肩書きと名刺をなくしたときその人間が、本当に市民視点のまちづくりをしたのかどうかが決まるのですから、今から市民視点に立ち返りいい仕事をして欲しいと締めくくりました。

 帰り際、松山観光港近くで、ものの見事な夕日が松山市ごご島に沈むのを見ました。偶然出会った中島の豊田さんと二人でその美しさに酔い知れました。

  「役職や 名刺取ったら タダの人 もう直ぐそれに 気がつく遅い」

  「軸足を 市民視点に 置きかえて もっと仕事を もっと努力を」

  「ドサ回り こんな無名の 私でも 役立つはずと 重宝してくれ」

  「広島の 二番煎じに ならぬよう 役所変われば 必ず変わる」  

 


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shin-1さんの日記

○今年初めての海水浴

 海の町に住みながら、一年中釣りにも行かず、ましてや夏の海水浴にも行かないのですから、私は余程変わり者なのでしょうか。ましてや県下でも屈指のふたみシーサイド公園という海水浴場を造った男にしては、はなはだお粗末な話のようです。まあ「紺屋の白袴」といわれるように、有り余るほど恵まれているものにはそれ程価値を見出せないのかも知れませんね。

 昨夜パソコンの調子が悪くなり、娘婿に電話してどうしたものかと相談を持ちかけました。適わぬ時の神頼みとでもいうべきでしょか、私はパソコンの調子が悪くなると、長男か娘婿にその都度助け舟を出してもらうのです。何時ものことゆえ快く相談に乗ってもらったのをいいことに、今朝は6時に家を出て、自分のパソコンを娘の家へ持参しました。娘の家に憑いたのは早朝6時半でした。こんなに朝早くと思ったのですが、大学に勤める娘婿は仕事も忙しそうなので、早くしないと留守になると思って止むに止まれぬ行動でした。孫二人を含めた家族は既に起きていて、時ならぬ早朝の珍客に驚いた様子でしたが、それから2時間余り、パソコンをいじり何とか修理を完了したのです。しかし私のパソコンもかなり限界が来ているようで、正月に壊れ修理してもらった時に、買い替えを勧められていたのです。このパソコンが壊れてからでは蓄積した情報を移し変える余裕がないためのアドバイスなのでしたが、古臭い人間の私にとってはまだ使える、つまりパソコンのような高価で、しかも使い慣れている物を捨てる勇気などなかったのです。

 前回パソコンの買い替えを勧められた時は正直前述のような思いでした。しかしあれからパソコンに異音が生じ故障が頻繁になったり、パソコンの立ち上がりが遅くなっているのを肌で感じながら、買い替えの時期を誤ると大変な事になるかもしれないという不安感が頭を持ち上げ、いよいよその時が来たと観念し、とりあえずの修理を終えて娘の家を出る時、娘婿にパソコンの注文をお願いして帰りました。「パソコンにはピンからキリまであるのですが」といわれましたが、「メールが出来て、ブログが書ければそれでいいので、そんなに高くなくても結構ですが、まあ私の腕前程度のものを」とお茶を濁してしまいました。はてさて娘婿は私のためにどんな性能の、それでいてどれくらいの値段の物を探してくれるでしょうか。楽しみにして待つ事にしました。帰ってそのことを妻に話しましたが、前回のように「お小遣いで買ったら」なんて挑発的な返事は帰らず、「仕方がないですね」と、暗にわが家の財布からの臨時出費を認めるような発言にホッとしています。

 さて今日はパソコンの修理の間中、孫尚樹のお守をかって出ました。2~3歩歩き始めた孫は盛んに私に外へ連れて出るよう通じない言葉を行動にして誘導するものですから、抱っこして近くをブラブラ散歩しました。やがて修理を終わって帰り際、夏休みになっている孫朋樹がわが家へ来る事になりました。着替えをバックに詰めて用意していたらしく、早速私の相棒はちゃっかり車に乗って「今晩はおじいちゃんとこへ泊まる」と捨て台詞です。

 家に帰ると妻は近所へ仏事の見舞いに出かけて留守でした。わが家で預かっているカブトムシと面会し餌をやったり、家庭菜園のトウモロコシを収穫して塩茹でしたり、それを食べたりと中々忙しく過ごしました。




 昼近くになったので「泳ぎに行こう」と孫が誘うので二人が水着に着替え、単車に乗ってシーサイド公園まで出かけました。今日のシーサイドは沢山の海水浴客が来ていて、その中に混じって少しの間泳ぎました。泳ぐといっても水に浸かる程度で、朋樹はまだ泳げないため私の背中につかまって足をバタバタする程度なのです。朋樹は饅頭クラゲを捕まえて渚に穴を掘って遊んだり、私もそれを写真に撮ってやったりしながら、久しぶりの海水浴を楽しみました。30分ほど遊んだ後濡れたまま単車に乗って家に帰り、シャワーを浴びて遅い昼食をとりました。朋樹は2時2時分から大洲の映画館へ妻と二人で出かけて行きました。

 私は鬼のいない間に溜った原稿書きに汗だくで挑戦しています。

  「パソコンの 寿命がきたと 娘婿 使い慣れたる 不安寂しさ」

  「年金で 暮らし成り立つ 家計にて 臨時出費は 頭が痛い」

  「久方に 孫と一緒に 海泳ぐ 彼方の空に 入道雲湧く」

  「海沿いで 暮しているに 釣りもせず 泳ぎもせずに もっと楽しめ  

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