shin-1さんの日記

○使わなくなったペンシル

 高校生になって愛媛県立宇和島水産高校に入学する頃、既に東洋レーヨンに就職していた姉悦子が腕時計と万年筆をプレゼントしてくれました。その時の嬉しかったことは今も忘れることはできません。真新しい海軍服のような制服に身を包んだ私は胸のポケットにさっそうと金と黒に輝く万年筆を差し、腕時計をはめてさっそうと学校へ登校しました。男子学生だけの学校は色気もなく何か殺伐とした第一印象だったように思います。その第一印象はもののズバリ当って、3日後には生意気な格好をした新入生と写った先輩の、スパルタ教育の洗礼を受けてものの見事に取り上げられました。腕時計はかろうじて難を逃れたのですが、万年筆は恋文を書くこともなく当分は私の手元には帰って来ませんでした。幸い郷土出身の同じ家に下宿していた先輩のお陰で半年後に戻ってきましたが、万年筆やペンシルを見る度にその当時のことが懐かしく思い出されるのです。

 それにしてもわが家にはどれ程の筆記用具があるのだろうと思うほど使っていないペンシル類が居間のあちこちに沢山あって、雑然としているので思い切って妻と二人で整理をしてみました。

 ペンシル類には大きく分けるとボールペン類、シャープペンシル類、筆ペン類、マーカー蛍光ペン類、色鉛筆類、万年筆類、鉛筆類、マジックインキ類に分けられますが、圧倒的に多いのはボールペンでした。4色ボールペンは何かと重宝なので使っていますが、どこかの会社から貰った記念品などは新品同様ながら使うことがないから結局はペン先のボールがインクの酸化によって動かなくなり、一度も使わず捨てるのも随分ありました。シャープペンシルは0.3ミリと0.5ミリの2種類がありますが、ノックが傷んでいたり、芯が詰まっていたり、まともなものは少なく、殆どがゴミ箱行きのようでした。そういえばシャープペンシルやボールペンが普及してからは、鉛筆を使う機会は極端に少なくなったように思います。当然鉛筆をナイフで削る機会等殆どないものですから、鉛筆を削れといわれても果たして削れるかどうか心もとない感じさえするのです。

 マーカー蛍光ペンも付箋とともに役所の会議にはよく使っていましたが、今は使う機会も殆どなく干からびて使用不能で殆どを捨ててしまいました。昔は本によく赤鉛筆で記憶したいことや感動したことを線を引いていましたが、蛍光ペンの出現は便利なものとして多いに使った記憶があるのです。

 さて今回のペンシル大掃除で一本の万年筆を発見しました。何処で買ったか、誰に貰ったか定かではありませんが、パーカーの万年筆です。さすがに長年使わなかったのでカートリッジのインクは固まり、字を書くこともできませんでした。幸い文箱の隅にその万年筆のカートリッジインクが数本残っていたので、熱いお湯の中で古いインクを掃除してインクのカートリッジを入れ替えました。文字を書いてみると昔懐かしい極太の文字が書けるのです。早速今日の日課である3枚の絵葉書を書いて50円の切手を張り郵便ポストに投函しました。万年筆で書いたインクの文字はボールペンで書いたものとは一味もふた味も違って見えました。

 万年筆でハガキを書きながらふと35年余り前の姉のプレゼントしてくれた万年筆のことを思い出しました。姉の万年筆を私から取り上げた先輩は、私たち下級生に対するいじめが発覚し謹慎を言い渡されて、その後退学処分になったことも思い出しました。

一本の万年筆に秘められた逸話は青春時代の思い出として、死ぬまで忘れることはないでしょう。

  「ネズミ引く ようにペンシル 集まりて 残る運命 捨てる運命」

  「姉くれし 万年筆の 思い出も たった一人の 先輩いじめで」

  「香典の お返し筆ペン ついてくる どおりで沢山 あるはずだよね」

  「字の上を なぞる蛍光 ペン便利  それでも本は やっぱり無垢よし」  

 

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shin-1さんの日記

○日程調整が難しい

 私への講演依頼や人間牧場見学の依頼はメールでのやり取りが多くなってきました。私はその都度メールを読み返事のメールを打つのですが、日程がその場でうまく空いているとすんなり入るのに、「空いている日程を2~3候補に挙げて下さい。打ち合わせを行ってまた連絡します」で終わると、2~3日後ならよいのですが、1ヶ月も打ち合わせ会が長引くとその間にどんどん日程が詰まってしまい、とんでもないダブリ現象が出るのです。2~3日前埼玉県北本市で市議会議員をしている旧友の工藤さんから講演の打診がメールで届きました。あいにくその日は地方祭で、自治会長をしている私としては神輿守りの責任者として家を空けることができず、お断りのメールを入れたのです。すると工藤さんは一週間伸ばすがどうかと再びメール、私は一も二もなく引き受けた旨のメールを送りました。ところが昨夜メールの整理をしていたら、一ヵ月後の約束メールとかが見つかり、その日の日程がまったくダブってしまったのです。昨夜はそのことが気になって浅い眠りが続き、相手に悪いからと早朝4時を待ってメールを送りました。後で気がついたのですが、メールは朝まで待つこともなく朝晩関係なくいつでも受け付けてくれるのです。朝9時になって私は工藤さんに電話をかけ、私の講演の日程を1月に延期することで日程調整を終えました。この間工藤さんとも、もう一人の人とも電話や面談で一度も顔を見ず、声もかけていないのですからいかにデジタル社会になったかよく分ります。

 私の場合電話やメールのやり取りで日程が決まると、携帯用2006Writing Calendarに書き込みます。デジタルからアナログへの移動です。また電話やメールで日程の問い合わせがあるとCalendarを見て返事をするのですが、どうもトラブルの原因はいつもその接続部分で起こるのです。一時期パソコンで予定表管理をしていましたが、上手行かず結局は手馴れたCalendar管理にしてしまいました。今の時代ですから携帯電話とパソコンを接続して日程を管理すればよいのでしょうが、今のところそこまではしないつもりでいます。

 私への連絡は家への電話・FAX、私への直接携帯電話、インターネットでのメール、手紙やハガキでの連絡などですが、家への連絡電話は私も妻も留守が多く朝昼晩に限られます。朝昼晩も私は留守なので妻の書いたメモに沿って連絡するか、妻が私の携帯電話番号を相手に知らせて連絡となるのです。FAXは電話兼用なのでこれがまた洋紙切れ、トーン切れだったりして中々なのです。一番お勧めはやはりメールです。近頃は暇さえあればメールを開ける習慣がすっかり板について、「メールを送っても返事が帰ってこない」という苦情もなくなりました。しかし今はこのメールが沢山届き過ぎて3日間くらい家を空けるとメールを開くのがうんざりするくらい多く、その対応におおわらわの状態なのです。

 役所を退職し、一見長閑な若隠居さん、てな感じを連想していたのに、退職して昔の仕事とは無縁と思っていたのに、何と何とこの忙しさは、退職前を上回る忙しさで、日程の調整が難しくなってきました。まあそれでも自分で自分流に日程調整できるので、「ちょうど塞がっています」とついていい嘘をつきながら自由時間を作れるのも自由人の特権だと、今年はお盆を楽しもうと12日から16日まで日程を連続して空けました。ところが昨日は夏祭りの反省会、今日からは原稿書きやスライドショーの下書きが溜り、今朝から暑さを忘れセミの鳴き声も忘れて頑張らなければならない羽目になりました。

 工藤さんとは電話連絡が取れて私の埼玉県雪は1月に伸ばしていただき事なきを得ました。まだ気になる未日程調整が4~5件あるのですが、早く日程を決めてすっきりさせたいものです。

  「空いてるか 空いてますよと メール打つ 予定ダブって 青色吐息」

  「行くとこが 何でそんなに 妻が聞く 俺も知らぬわ 相手に聞いて」

  「今度何処 私も一緒に 妻算段 俺は一人で 気楽な旅を」

  「顔知らぬ 声さえ知らぬ 相手から 話しに来いと 誘われ多し」

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