shin-1さんの日記

○国道の名前

 私が現役として役場でまちづくりの仕事をしていた頃、国道に愛称をつけてはどうかと発案し、土木事務所を通じて県庁に提案したところ、「国道には番号がついているので、愛称をつけることが前例になると混乱を招くので止めろ」と冷たくも冷めた返答でした。しかし私は味気ない番号よりも地域住民が国道を愛するような名前を公募して決めようと、食い下がりました。結果的には「勝手にしろ」でしたから、わが意を得たりとばかりに公募を始めました。ところが公募で選ばれた人に賞金を出す金がないものですから、今度はイメージアップの県単独補助事業を狙いました。色々な手を使い何とか補助事業に乗せようとしましたが、補助金で懸賞金など聞いたことがなく前例がないので駄目だというのです。二転三転しましたが隣の長浜町と広域連携でやるという作戦を立てて補助金をゲットしました。

 結果的には全国公募で3800件もの応募があり、熱い行政の壁を崩して「夕やけこやけライン」と決めたのですがこれがまたひと悶着、お偉方は「サンセットロード」がいいと言い張るのです。「ロードが何で道路なの」なんて洒落にもならない喧嘩を吹っかけ、新聞社の部長さんを見方に引き入れてコンセプトを書いてもらい「夕やけこやけライン」という愛称は誕生したのです。今ではこの愛称が「道路地図」にも載り、特に若い人は国道378号という数字番号よりも親しみを込めて使っていただいています。

 国道とは道路のうち特に重要と思われる国の管理下に置かれた道路を指しますが、私たちの町を通る国道のように300クラスの国道は県が管理をしています。今は1号から507号まであるのだそうですが、国道の数が507本あるのかといえばそうではないのだそうです。

 最初は道路の重要性に応じて一級国道に1から100番、二級国道に101番からの番号を与える計画だったのですが全てを一般国道にまとめたため、その時までに誕生していた一級58号線を最後に59号から100号までが何と欠番になっているのです。101号以降で欠けているのは途切れたルートが一本に結ばれたもので、109号から111号、214号から216号までが欠番になっています。

 無名だった378号が「夕やけこやけライン」の愛称で見事に有名になりました。

  「酷道といわれた国道整備され今は愛称夕やけこやけ」

  「知なんだ国道欠番あるという裏の話になるほど納得」

  「前例のないことしたら叱られた前例作れど人は真似せず」

  「国道の菜の花今は有名に種を明かせば種を落としてた」

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shin-1さんの日記

○人間牧場研修第1号

 今日は朝から雨模様で、過疎を逆手に取る会の和田さんが6月に人間牧場で開催予定の会場下見を兼ねて、宿泊先の内子町から早朝にやってきました。啓蟄というだけあって何となく春めいて海は春特有のやまぜの風が少し吹いていましたが、海も穏やかで閏住の菜の花は早くも満開を迎えています。

 先日沖縄に出張中に下灘中学校の谷岡先生から電話が入り「ふるさとと夢」について、人間牧場で子供たちに話をして欲しいと依頼がありました。「今は沖縄なので」と電話に出ると驚いた様子でしたが、3月6日の10時30分からということで日程を入れました。今日はその日なので広島の和田さんに少し早めに来てもらい中学生を迎える準備をしました。準備といっても電気をつけるくらいなのですが、松尾校長先生、教務主任の武智先生、担任の谷岡先生の3人に引率されて11人の中学生が研修にやって来ました。

 本降りの雨の中生徒たちは板間に座り私の話を聞く事になったのですが、人間牧場へは見学者も結構多いのですが、研修と名のつくものは始めてで、さしずめ今日は人間牧場の研修第1号を受け入れた記念する日となりました。

 下灘中学校は私の母校ですが50人そこそこの小さな学校です。でも子どもたちはバレーや剣道では小さなハンディをものともせず、大きな成果を上げていますし成績も態度も立派で、いい教育環境といい先生に恵まれていることを誇りに思っている学校です。

 私が少し話した後それぞれが私に質問するのですがなかなかどうして、みんな素晴らしい質問をしてくれました。特に人間牧場への関心が高く何故ここに人間牧場を作ることを決意したのか、また人間牧場を作るのに困ったことは何かなど、いい掛け合いだったと思います。

 私はこの人間牧場を『心の港」と表現しました。眼下に見える豊田漁港は船の港、この人間牧場は人間の港になるべきだと思っています。また先日魚梁瀬杉の根株を高知県の坂本さんから貰い、親父がテーブルに仕上げてくれた杉を見て『百年の木」の話もしました。人間はこの年輪のように年齢を重ね概ね100歳まで生きるのだから、目標を持って生きなさいとも話しました。

 生徒たちの心に私の発した言葉はどんなメッセージとして受け止められたでしょう。僅か1時間余りの短い時間でしたが50歳近くも歳の離れた生徒たちに、私の話を分らせようとすること自体無理な話だと思います。でも全員が手を上げて自主的に、主体的に発言したのですからこれはもう立派と言う他ありません。今度は友だちと一緒に、晴れた日や満点に星空が見える頃に来て欲しいと願っています。

  「先生も粋な教育するもんだわざわざ牧場連れてきて聞く」

  「年輪を数えて驚く魚梁瀬杉俺の十倍生きてるなんて」

  「この牧場心の港と考える疲れ病んだらいつでもおいで」

  「木を叩く音がこだまし春誘う今日は啓蟄虫も目覚める」

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shin-1さんの日記

○届いたハガキ通信

 私の友人に広島県福山市に住んでいる平井悦夫さんという筆まめな方がいます。私の主宰していたフロンティア塾の講師として双海町へ招き、そのご縁で私も彼の主宰する魅力人間交流マーケットの講師としてお邪魔しました。彼の町は広島県新市町でしたが、早々と福山市に合併してもうその自治体はありませんが、字体こそ違え私の名前と同じ名前の町だったのでより親近感を覚えたものでした。私が広島県向島の半田さんと出会いハガキを書くようになったきっかけも、じつはこの平井悦夫さんを介してでした。ですから彼は私の大恩人と言わざるを得ません。物腰の柔らかい語り口や柔軟なフットワークは私には真似の出来ない生き方です。

 そんな彼が凝りに凝っているのはハガキ通信です。「ときめ木堂の喜びタイムス」という一風変わったハガキ通信です。何人かに出すためコピーした紙をハガキに貼り付けて、決してスマートとはいい難い体裁なのですが、この内容たるや人に合ったこと、何処かへ行ったこと、感じたことなど多岐にわたっています。私にも毎号届くのですが、その数がNO.143号ですから驚きの数字です。私のハガキ通信は一年365日続けましたからNO.365号ですが、私の場合はそんなに沢山のハガキは出していませんから、どっちこっちといったところでしょうか。

 先日彼からお便りが届きました。仲間と「愛と平和」をテーマにした書と絵の展覧会を開くからハガキに絵かメッセージを書いて送って欲しいと言うのです。

 彼のように絵も書も上手くない私は意気消沈といったところですが、それでも彼への義理もあるのでちょっとした工夫を思いつきました。私が彼に出している双海町の夕日の絵葉書を二枚書く事にしました。夕日の絵葉書は裏に夕日の写真が印刷されていますから、一枚はメッセージ、一枚は写真を裏表使えば、裏と表を組み合わせれば二つのメッセージが展示できるというアイディアです。

  福山市駅家町万能庫ー5  平井悦夫様

 「いつの頃からでしょうか。あなたから『ときめ木堂のよろこびタイムス』というハガキが届くようになったのは・・・・。数えてみたら早くも143号となっています。パソコンやインターネットが持てはやされる時代に、こんなアナログな世界で『愛や平和』につい書かれているメッセージは他にはないと思い、大切にしまっています。たった50円のハガキですが、便りが来る度に、愛や平和について考えさされます。『人は人によりて人となる』あなたのハガキを見ていつもそう思います。あなたのハガキは自分が人間であることを忘れかけたころに届きますから、『ああ私は人間なんだ』と思います。人間は愛と平和を求める動物なのです」

 福山市駅家町万能倉806-5 平井悦夫様

 「双海町の夕日を見るたびに思います。この夕日はどこかの朝日だということを。人間は同じ太陽を朝日と夕日として見ているのです。でも同じ太陽の恵みを受けながら、一見平和そうに見える日本や戦争をしている国もあるのです。愛を忘れた日本人、愛を求めて戦争をしている国々、どちらも本当の愛を知らないのかもしれません。平和は愛なしでは語れないのです。日本一と自認する双海の夕日は私に、愛と平和の尊さを教えてくれるのです。みんなで夕日を見ようよ。」

  「一枚のハガキ届いて143読んで気付いて生き方変える」

  「彼に会いハガキ書くよに勧められ書いた年数十九年にも」

  「字が不味いそんな言い訳しなくても書けば届くよたった五十円」

  「ハガキよりブログに熱中近頃は早い魅力についつい誘われ」

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