shin-1さんの日記

○神様棚の福助人形

 昔の人は信心深く、神仏への祈りを朝夕欠かさずしたものでした。私の脳裏にも亡き祖母や母の呪文を唱えながら祈る姿が今も焼きついているのです。88歳で亡くなった祖母は朝日や夕日にさえも手を合わせていました。その姿から学ぶのは人間は自然への畏敬の念を忘れてはならないということのようです。最近起こる天災さえも人間の身勝手な快適性の追及が自然を破壊したからであると警鐘を鳴らす人がいて、その数は増え続け「環境保全」を叫ぶ声が次第に高まりつつあることは喜ばしい限りです。でも一方では心無い人たちによって自然はどんどん壊れているのです。何処でどう調べたのかは分りませんが、北極の氷が去年一年間で日本列島の二倍の量も溶けたというのですから驚く他はありません。

 こんなデーターを見たり聞いたりしても余りピンと来ない人もいるようですが、私の町ではつい最近、今まで見たこともないような魚が取れ始めています。聞くところによると私の町の海水温度がこの10年間で2度くらい上昇しているという話を聞きました。これも二度くらいと思う人がいるかも知れませんが、2度とは100キロ南の海水温度なのです。海の水は太陽や外気温に左右されて温度が変化するものですから、海水温度を2度上昇させるためには相当の付加をかけないと上がらないのです。つまり何らかの人為的が自然為的な負荷がかかった結果の上昇なのですからこれは驚嘆の数字なのです。

 この数字を元に戻すことは人間の力では至難の業なのでしょうが、それでも私たちの身近な暮らしの中で一人一人が始めなければ始まらないことも事実なのですから、今日から、いや今からでも出来ることから始めなければなりません。ストーブの温度を低くする、小まめに電気を消す、ぢ度頃の流し台からの雑排水を気をつけるなどなど、気がつけばやることはいっぱいあるのです。

 母や祖母が朝な夕なお祈りを捧げていた神様棚に昔、福助人形があったのを覚えています。濃い意藍色淡色だけの焼き物人形でしたが、いつの間にか姿を消しているのです。妻に聞いてもよく覚えていないそうなのですが、私の記憶では確かに神様棚の奥の方にすすけた姿でありました。

 子どもの頃、この福助人形が何で神様棚にあるのか不思議で祖母に聞いたことがありました。祖母は明快に福助さんの教えを五つの言葉で説明してくれました。

 まず顔です。いかにも円満な顔立ちは「仁」、眼差しは「義」、裃を着けて身なり正しく正座した姿は「礼」、チョンマゲ姿の豊かな思想を連想させる頭は「智」、ぬかずく姿は「信」と教えられました。まだ子どもだったため、その5つの言葉全てを理解することは出来ませんでしたが、なるほどと分ったような顔をして聞き入ったものでした。

 「仁」とは、慈しみ、思いやり。

 「義」とは、理にかなったすじみち。

 「礼」とは、敬意を持ったふるまい。

 「智」とは、知恵、知能。

 「信」とは、言いたがえないこと。

 なるほどなるほどです。近いうちに骨董屋へでも立ち寄り福助人形を買い求め、神様棚に座ってもらいたいと思う今日今朝この頃です。

  「福助の 教え祖母から 聞いていた 人形消えて 教えも消えた」

  「なるほどと 文字に表し 確認す 五つの教え 未だ極めず」

  「パソコンを 使え進んで いるように 見える私は 祖母より以下だ」

  「人形が たった五文字の 深い意味 教え諭した 足袋は何処に」

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shin-1さんの日記

○愛媛県知事の答弁

 わが家は愛媛新聞という地方紙をとっています。本当は中央紙も読みたいのですが、長年中央紙は役場で読むものと依存していたためと、2紙もとる余裕がなかったし今もないというのが本音なのです。私のようによく中央紙に取り上げられると、その日自分が掲載された新聞を読むことができず、「出とった」「読んだ」と全国から電話やメールが届いて慌ててコンビニへ買いに走るのです。確かに地元紙と中央紙とでは視点が違いますが、これまた私のように長年まちづくりなどに携わっていると、地元紙の影響が多いためついつい地元紙を最優先してネタを回すことも長年の癖なのです。

 一昨日新聞の三面を読んでいて面白い記事を見つけました。面白いといっても別に人様にとっては何ら面白くない記事です。三面記事といえば昔は事件事故でしたが、愛媛新聞の場合は社会面なのです。そこには2面の政治経済の続きが混在しています。その中に県議会の代表質問の要旨と答弁要旨が載っていました。木村誉議員の質問に愛媛県知事が答弁しているのです。

 〈木村誉氏の質問〉

 地域づくり人材育成への取り組み

 〈加戸知事〉

 地域の自立的発展には中核となる人材の育成が欠かせず、県内でも町並みを活用した喜多郡内子町や夕日を観光資源にした旧伊予郡双海町の成功を支えたのは熱意あるリーダーや賛同する地域住民の熱心な取組だった。県は四月の地方局再編に伴い、新ふるさとづくり総合支援事業創設し、地域づくりマネージャー招聘など市町村が取り組む人材育成を積極的に支援したい。

 以上のような記事が載っていました。目敏く見つけた読者である知人がメールで感想を述べてくれましたが、「成功を支えた熱意あるリーダー」とは誰か、「賛同する地域住民の熱心な取組みだった」とは誰かを察しながら読んだそうです。

 地域づくりにとって欠かせないのはリーダーの存在でありそれを支える地域住民です。もし知事さんが頭に描いて答弁したリーダーが、知人の言うように私であるとすれば、それは大変光栄なことなのですが、リーダーとはいかなるものか、最近になって時々迷うことがあります。リーダーの素質は最初から持って生まれたものではありません。私がそうであったように色々な場と機会、それに人に会って感化され成長して行くものなのですが、その場所や機会それに感化を受けるべき情熱を持った人が極端に少なくなっているのです。またそんな場所や機会があっても、自主的に学ぼうとする人が残念ながら少なくなってきたことは事実です。いい指導者はいい後継者をつくるという話が本当なら、私の後には沢山の後継者がいてもいいはずなのに、その数は少ないようですから、私は落第指導者となるのです。それでも私はまだましな方で、私の周りには沢山の仲間が集まり、次を目指す意欲ある人も人間牧場へ沢山集まってきています。

 地域住民の存在はこれまた、社会の変化や経済の潤いによって大きく変化します。もし知事さんが頭に描いて答弁した地域住民がじゃこ天のおばさんたちであるとすれば、納得のいく人たちなのです。漁協女性部の存在なくして夕日を観光資源にした地域づくりは語ることができないのです。年年歳歳元気度をアップしているおばさんたちの存在がこれからも長く続くことを祈るのです。

  「新聞を 読んだと仲間 メール来る お前のことと いわれ戸惑い」

  「県知事の 答弁読んで 妻曰く 選挙に出るな 出たら離婚と」

  「落第の レッテル貼られ 去ってゆく そんな日近し 後なきいのち」

  「もう少し もう少しだけ 頑張ろう さすれば生える 根や芽が伸びる」 

 

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shin-1さんの日記

○春の夕日も日本一

 春は春霞といって空気が霞むことが多いし、もうそろそろ中国大陸から黄砂が降ってくるので、夕日の美しさは今一だと誰もがいいます。でもこれからしばらくは冬と春が喧嘩するような形の天気の変化の中で、時折空気が澄んで見たこともないような夕日に出会うことがあるのです。

 あれは2月28日だったと思うのですが、玉川町から帰りに娘の家へ立ち寄り、久しぶりに温泉へ立ち寄り汗を流しました。そして帰路につく頃太陽はかなり西に傾いて、この分だと夕日が拝めるかもしれないとシーサイド公園へ車を止めました。知ってか知らずでか恋人岬に設置したモニュメントにそろそろ夕日が入るのを狙って沢山のアマチュアカメラマンがわれ先にスポットを陣取り、後追いの私などが入り込む余地など殆どないのです。仕方がないので隙間を選んだり腰をかがめてチョイ写しを試みました。絶好のスポットへカメラを設置するのは早い者勝ちの特権があるものですから、みんなそれを承知で早い時間に陣取るのです。そこへ割り込むことは仁義に反するので出来ませんが、さすが夕日にかけては一目も二目も置かれる自分ですから、相手がかなり気を使ってくれて、何枚かカメラに収めることが出来ました。この日の夕日は沈むほどに下に雲が出て、ああ今日も駄目かと引き上げそうになっていましたが、その後雲の下に夕日が再び顔を出し、カメラマンたちも諦めかけていただけに「よっしゃー」とか「やったー」とか、「ラッキー」などと連発し無我夢中でシャッターを切っていました。

 私も何枚か撮りましたが、その中の3枚をご紹介します。まず一番最初の写真はモニュメントの上に夕日を乗せた作品です。雲も程よく茜色に染まって、まるでローソクのような姿が何とも美しいのです。


 次の一枚はモニュメントの穴に夕日がスッポリ入った瞬間です。人の背中越しに遠慮気味で撮った写真なので、今一押さえが足りませんが、それでもこの写真のような夕日をシーサイド公園に来た人に見せたくて、私が考え私が現場監督をして設置したものですから、この姿こそ本物の恋人岬の夕日なのです。本当は3月22日の春分の日頃が一番いいのですが、欲をいったら切りがないのです。

 3枚目の写真はオーソドックスなシーサイド公園の春の夕日です。雲の配置や空の色も抜群でいい色に仕上がりました。

 考えてみれば私はこれまでどれ程の夕日を思いを込めて見てきたことでしょう。綺麗だとか美しいとかいう言葉で表願してきましたが、夕日はやはり見る心によるとしみじみ思うのです。失意のどん底で見た夕日と、希望に燃えて見た夕日はやはり何処となく違った印象を受けるのですから面白いものです。願わくばこれからも生きる力となるパワーをいただくような夕日に会いたいと思っています。

 この日の写真を絵葉書にして早速全国の仲間に毎日三枚書き綴って出したいと思っています。

 そうそう、先日日本一の朝日を見せてもらった大分県佐伯市上浦町の岡崎さんにも、先日のお礼にとメールを送り、この写真を添付しました。

  「何故だろう 同じ夕日の はずなのに 欲目ひいき目 これが一番」

  「この頃は 俺にも増して 自慢する 人増えこれも 俺の自慢だ」

  「夕日売り 続けて何と 二十年 今は立派な 商品になり」

  「明日の朝 大分上浦 昇るとは 何とも不思議 夕日朝日に」 









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shin-1さんの日記

○心のふるさと今治市玉川町へ

 2月28日に今治市玉川健康大学へ行きました。前日に今治市自治会連合会に招かれて出かけていたので、二日連続の今治ですが、今治といっても端々の旧町村とはまったく地域性が異なっています。玉川へは地域づくりグループで何かと元気のいい「源流」の立ち上げ頃から、再三再四出かけている馴染みの地域なので顔見知りも多く、公民館長の井出さんから事前に昼食でもと誘われるほどなのです。

 10時半からなので少し早めに家を出て、奥道後経由の山道を選びました。寒さが厳しく水ケ峠付近は一面白い霜に覆われてまるで雪化粧のようでしたが、組一つない好天で、玉川に通じる道沿いは何処となく春を感じさせるようでした。 

 少し早めに着いたので公民館に越智憲行さんを訪ねました。彼とは若い頃から随分の知り合いで、いまだにご厚誼をいただいています。加えて源流のメンバーでもあるので気心が知れていて、何かと気になる方なのです。顔なじみの妙ちゃんにレモンティを入れてもらって様々な話をしました。合併前の思い出、合併後の情勢、源流とのかかわりなど、前向きに生きている姿が頼もしく伝わってきました。私も仕事柄あちらこちらの公民館にお邪魔しますが、殆どの人が金がないことや合併後のデメリットを話してため息をつくのですが、彼にそんな姿は微塵もなく、こちらまで何か元気をいただいたような感じさえしました。

 30分前になったので、会場となる保健センターの場所を確認しておいとましました。センターの駐車場に着くと駐車帯の一角に「若松様」と書かれた張り紙がされていました。すると健康大学に来たであろう女性がわざわざ張り紙の貼っている椅子をどかせてくれてのです。嬉しいやらで駐車をして車から降りると、「私は若松さんの大ファンで今日は楽しみにして聞きに来ました」と、私の素性も分らぬであろうに、いきなり言うのです。嬉しいやら面映いやらで恐縮してしまいました。それでも今日の会はこのような人のためにも頑張って話さなければと意を強くして会場へ行きました。

 沢山の人が集まっていました。それから約1時間30分、思いを込めて話しをさせてもらいました。前回いつ頃来たか、前回どんな話をしたかはまったくお構いなしの話に終始しました。「私はあなたの話しをもう3回も聞いた」といいながら、幸せな事に前回の話しを覚えているような人はいないものですから安心しました。

 会が終わって外に出ると公民館長の井出サツミさんが玄関で待っていました。彼女の車に乗って近くの小粋なそば屋さんへ案内してくれました。そば屋の奥まった予約席には既に森保子さんが来ていて、妙ちゃんと艦長さんと四人で積もる話に花を咲かせながらの昼食となりました。美味い蕎麦で、蕎麦好きな私としてはとても美味しく、満腹でした。森さんとはこれまた彼女の温泉つき別荘で昔お世話になったことがあり、県展に入選するほどの絵画の腕前があり、奥ゆかしい人です。井出さんといい、森さんといい、そして妙ちゃんといい、素敵な女性に囲まれ、いい一日でした。わたしの妻は愚妻ですが、それでもこうした出会いを察してか出かける時に手土産を渡すよう手配をしてくれていて、お陰様で恥をかかずにすみました。

 私は幸せ者です。何処へ行ってもこうして待ってくれている(本当かな?、いやそう思っている目出度い人間にしておきましょう)人がいるのですから・・・・・。

  「今日来るの 今日行くからね 電話口 嬉しい予感 嬉しい出会い」

  「ファンです いきなり言われ 不安なる 講演先の 玄関口で」

  「女会う 手土産持たせ 送り出す 度量の太い 妻に恵まれ」

  「女とは 男ときめく 人がいい そんな女に 今日も出会った」 

 

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shin-1さんの日記

○ドライブスルー

 この二日、間孫と一緒にドライブスルーのマクドナルドへ立ち寄り、ハッピーセットを購入しました。こうしたファーストフーズのお店は私たちのように物のない時代に育った古い人間は、立って食べるとお行儀が悪いと注意されて育ったものですから、余り馴染みのない店なのです。それでも孫にだけは甘いおじいちゃんとしては、孫の希望に応えない訳にもゆかず、結局は2度も同じ場所へ訪れてしまったのです。

 ドライブスルーは車の外へ出ることもなく車の中で用件が終わるシステムになっています。店の中ほどまで進むとカメラが作動して注文の品を相手とカメラ間線で音声で話ながら次に進むと、そんなに待つこともなくもう品物が用意されているのですから、これくらい便利なことはありません。お金を払い品物を受け取ると、丁寧な挨拶があって道路に出る仕組みになっているのですが、人間はここまで野良にならなければならないのかと、内心驚くやら感心するやらで、現代の商売の変化にはただただ考えさせられることばかりでした。

 孫のような小さい子どもがマクドナルドの店を求めるのは二つのことが理由のようです。まずひとつは子どもの食べ物の嗜好の変化です。ご飯と味噌汁で育った私たちと違い、今の子どもの食生活は完全に洋風化して、カレー、サンドウィッチ、焼きソバ、焼き飯、スパゲティ、目玉焼き、のようなものが好まれるのです。これは大人の食べ物が洋風化したことが子どもに移っただけですから、今の子どもを責める訳にはいかないのです。これら子どもの好きな食べ物の頭文字をなぞっていくとカ・ア・サ・ン・ヤ・ス・メとなるのですから、いかに現代の若いお母さんが食事に手間をかけないか、いかに外食産業に依存したメニューで子どもたちを飼育?しているかが分るのです。歩きながら食べながらのながら族にとっては、ハンバーガーやフライドポテト、チキン、シェークは格好の食べ物や飲み物で、これ以上便利な食べ物は見当たらないのです。

 孫にとってマクドナルドに行くもう一つの理由は、ハッピーセットにお土産がつくのです。ポケモンやドラえもんのおもちゃが幾つかあって、その中から番号で選べるようになっているのです。このお土産が何日かすると変わるため、お友達が持っているこれらのおもちゃが子どもの世界で話題になり、親やおじいちゃんにおねだりするといったお定まりのしたたかな経営戦略に乗せられてしまうのです。

 私流の疑問として、ファーストフーズの食べ物は殆どが油を使用してと繰られていることです。ハンバーグも、フライドポテトもチキンも口当たりはよいのですが、腹持ちが良く食べた後はお腹が張って他の食べ物を食べられにくいようです。昨日もハンバーグを食べた孫は夕食が軽めで、食が進みませんでした。

 ある栄養学の本の著者が、「子どもを病気にさせようと思ったら、毎日ハンバーガーを食べさせなさい」というほどに高カロリーで、肥満な子どもを作るには最適だと警鐘を鳴らしているのです。まあ毎日食べさせる訳でもないので、その警鐘には値しないと思いますが、そういえば親のメタボリ肥満が増えたように、子どもの肥満も大きな問題のようです。こうした高カロリーのものを食べ、運動を余りしなかったら確実に栄養過多となって小児成人病になるのは当たり前の話なのです。

 おじいちゃんは孫の健康を守ることを第一義に考え、たとえ孫に嫌われても体にいいものを与えるくらいの強い信念を持たねばならないと思った次第です。

  「ハンバーガー 欲しいと孫が おねだりし 目じりを下げて 行ってしまった」

  「便利だね 車に乗るまま お買い物 人間どこか 可笑しい予感」

  「本当の 狙いはおもちゃ 欲しいから 孫の作戦 一枚上だ」

  「食べ物が 随分変わる 身の回り 魚人間 俺たち古い」

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shin-1さんの日記

○私のインターネットが無事復旧しました

 この3日間ほどは、私のインターネットが突然いうことを効かなくなって、悶々の日々を過ごしました。パソコンが使えなくなってから始めて思ったのですが、いつの間にかパソコンはすっかり私の暮しの一部になっていたのです。ブログは書けなくても困ることはない(いや、今の自分にとってはブログが書けないことも苦痛の一つ)のですが、メールの発受信はまちづくりや講演を日々の生活とする私の仕事にとって、とても大切なものであるということが嫌というほどよく分りました。

 この3日間は、私のパソコンのパトロンとでもいうべき娘婿が長期の出張であいにく留守でした。したがって誰に相談することも出来ず、動かぬパソコンを腹立ち紛れに叩いてみたりしましたが、パソコンは私の苛立ちなど何処吹く風で、私に微笑みかけることはありませんでした。私は妻に「パソコンが壊れたかも知れない。新しいパソコンを購入しなければならないかも知れないので、臨時出費を覚悟しておいてくれ」とまるで三行半のようなセリフをいっていました。

 昨晩遅く出張先から帰った娘婿は三日間のブランクを取り戻すため今日は一日勤め先の大学にこもって仕事をしたようですが、夕方わが家へ顔を出してくれました。私の置かれている立場は娘が逐一出張先への定時連絡の際話していてくれたようで、わが家での夕食の後早速復旧作業に取り掛かってくれました。娘婿がまずやったのは、電話回線との接続など、パソコンが動かなくなった原因は何処にあるか、まず原因究明から始めました。自分のパソコンを持ち込み、私のパソコンには一度も触ることもなく原因を見つけるのですから、まるで名医が病人の病名を言い当てるようなもので、原因が電話の向こうである事を突き止めてくれました。しかし土曜日の夜間、しかもNTTへ問い合わせることもできず、諦めていました。ふと私が最近OCNへの契約変更した事を思い出して説明書を見せると、娘婿は納得した様子でパスワードなどを入力し、あっという間に復旧したのです。2月14日から新プランが採用され、その切り替え工事が出来ていなかったのです。こんなことになると私などはまるでお手上げでなのです。

 パソコンを開きペールの接続が可能になり、こうしてブログも書けるようになり、今晩10時の復旧はとても嬉しい出来事となりました。私のパソコン操作が原因だと思ったり、パソコン本体の故障かと思ったり、一時は色々なことが頭を過ぎりましたが、今となっては取り越し苦労だったようです。

 怪我の功名とでもいうのでしょうか、この三日間はパソコンの前に座る時間も極端に減って、お陰様で頼まれた原稿を全て書き終わり、肩の意持つが降りたような気持ちです。またその時間を利用して車を洗ったり周辺の身辺整理が出来ました。有り難いと思わなければなりません。

 私のブログを日課のように読んでいる方々からは、「何処か体でも悪いのでは」とか心配して電話までかけてくれる人も沢山いましたし、「メールを送ったが届いているのでしょうか。至急メールにてご返事を」と電話がかかってきました。嬉しいことゆえ感謝しなければならないのです。

 思わぬハプニングに悩んだり右往左往した3日間でした。それにしてもたった三日間だのに凄い量のメールに驚き、また明日から丁寧に返信を刷るようにしています。

  「この三日 手足取られて 身動きも 出来ずイライラ つのる毎日」

  「気がつけば パソコン人間 なっていた いいのかどうか 分らぬままに」

  「トラブルに なって始めて 脳細胞 低脳露呈 婿殿偉い」

  「パソコンを 知ったかぶりで 使ってる 奥が深いと またまた思う」


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shin-1さんの日記

○今日は昨日に続いて今治へ行きました

 昨日は今治国際ホテルで自治会連合会の研修会に招かれました。午後からは内閣府の活性化の会議が予定されていたため、大荒れの天気の中を高松まで行くには車よりJRの方が安全と判断したため、早朝7時前の鈍行列車に乗って松山まで出て、そこから列車を乗り継いで今治まで行きました。約束が10時半だったので道の途中にある今治地方局へ立ち寄りました。県の組織改編によって今治地方局は来年度から西条地方局に統合されるため、今治地方局という名前の庁舎へ行くのはこれが最後だと思うと何かいとおしい気持ちになりました。

 2階の水産課に乗松さんを訪ね、普及センターでは先日自著本を送ってもらった岡田さんを訪ね、県民生活課では山本さん、総務調整課では藤田さんをそれぞれ訪ね、つかの間ではありましたが旧交を温めました。そこここの職場には知人友人、顔見知りも多くうれしい限りです。

 今治国際ホテルは今治のランドマークタワーといわれるように、今治の中心地に一際高く聳えていて、階上に上がると窓越しにしまなみ海道沿いの瀬戸内海の島々や遠くは石鎚山系の山々が望め絶景です。私はこのホテルで開かれた会議に何度か出席をしているため、見慣れたホテルなのですがいつもその素晴らしさに感心させられます。多分松山にもこれほどの存在感を誇示した建物はないのではないかと思うのです。

 会場には多くの市町村が合併して誕生した新生今治市だけあって、2階の大ホールには会場一杯に自治会長さんが集まっていました。中には顔見知りもいたりして声を掛けてもらったり、手を振ってもらったりと開会前の慌しさの中で交友を温めました。

 会議は10時30分から始まりました。私の出番は11時からなのですが、市長さんのあいさつや議長さんのあいさつも聞いて欲しいというので、用意された一番前の席で開会式から参加する事になりました。ところが自治連合会長さんの挨拶に続いて壇上に上がった市長さんのあいさつが予想を超えて長くなり、私の持ち時間は段々削られてしまいました。私はその後の予定された会議が高松であり、12時50分の特急しおかぜに乗らなければならないので、「やばい」と思いつつ、結果的に市長さんに続いて議長さんのあいさつが終わったのは11時20分でした。12時に終わらせなければならないため私に与えられた時間は僅か40分です。その時間で果たしてまちづくりについて何が語れるか不安でしたしたが、この場を主催者の思惑通りに効果を高めるのが私の仕事とばかりに喋り捲りました。結果は聞く方の自治会長さんの評価に委ねねばなりませんが、少し悔いの残る講演会でした。



 事務局の方のご配慮で弁当までご用意いただき、間に合った特急しおかぜの車内で豪華な弁当を開けのんびりと冬景色の車窓を眺めながら昼食を楽しみました。高松へは2時間余りで到着し、突風の吹き荒れるサンポートの会議室へ向いました。会場には関係者が沢山来ていて、隣の席には顔見知りである高知大学の坂本先生も私と同じように選ばれて出席していましたが、徳島上勝町の横石さんはあいにく欠席をしていました。

 この日の会議は内閣府の「四国圏地域活性化推進連絡会議」で、加藤勝信内閣府大臣政務官や祢屋誠四国整備局長も出席する重要な会議でした。私は地域活性化伝道師という肩書きを持つ学識経験者ということで呼ばれましたが、約1時間30分の会議の殆どは事務局や関係省庁の説明に終始し、私と坂本先生の話は僅か10分間だけで、わざわざ3時間もかけて出かけた意味があるのか、疑念の残る会議でした。今後続ける会議なので期待をしておきたいものです。

 帰りは1号車1番Aの指定席番号をいただき、まるで運転手になったような気持ちで前面の窓越しに、坂出付近で綺麗な夕やけを見ました。

  「時間押し 私の時間が 削られる 喜ぶべきか 悲しむべきか」

  「三時間 かけて出かけた 会議です だのに意見は たった三分」

  「挨拶を しただけ帰る 上の人 これで地域が 起きるんですか?」

  「不平あり 不満ありあり 地方では 合併による 疲弊続いて」


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shin-1さんの日記

○パソコンが故障しました

 一昨日パソコンが操作不能となり、ブログを書くこともメールの発受信も全くできなくなってしまいました。正月にも同じようなことが起こりましたが、その時は正月休みに帰省した娘婿の手を借りて修理してもらいましたが、今回は頼みの娘婿も長期出張で対応することができず、いらだちは募るばかりです。

 今日は娘の家に立ち寄り、ブログ愛読者にこのことを伝えたくて、娘のパソコンを使ってブログを書いているのです。したがってブログが復旧できるまでの当分の間はブログが書けません。私が病気になったのではなく、パソコンが病気になったので悪しからずご了承ください。

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shin-1さんの日記

○ジャガイモの植え付け

 昨日は朝起きて隠居に行くと親父が、「お前今日は家にいるのか」と尋ねました。私は「2時頃まで広島県から視察が来て対応するのでいない」と答えると、「明日は雨のようだからジャガイモを植えなきゃあいけんので、午後から手伝ってくれ」というのです。「分った。手伝うから」と約束をして出かけました。やがて視察に来た人も無地帰り、わが家に帰って親父の所へ行ってみると、「もう済んだが中腰でやったため腰が痛い」というのです。私は親父の背中をめくり冷たいサロンパスを電気ストーブで温め2枚貼ってやりました。

 家の横の畑へ出てみると、すっかり綺麗になった畑には、ジャガイモを植えたであろう場所に籾殻と腐葉土と肥料が撒かれていました。私などはいい加減に植えるのですが親父は几帳面な性格なので、わざわざ定規用の糸を張って植えるのでそれはきちんと植えられて完璧でした。

 隣に住むおばさんがちょくちょく親父のところに話しにやって来ます。そのおばさんは野菜の作り方に詳しいので、親父の野菜つくりの先生のような存在です。このおばさんから先日立ち話で間接的に親父の呟きを聞きました。「もう椿さんも終りそろそろジャガイモを植えつけなければならないが、種は何処へ行けば売っているのか、息子にいえば買ってくるが、自分の思い通りに作らんと、収穫したジャガイモをこどもや孫にやるには、自分で鐘を出さないと気兼ねする」といっていたそうです。同じ敷地内に住み毎日顔をあわせる親子でさえもこうした気がねをしているのかと、少しばかり思ったものですから、先日大洲青少年交流の家に出かけた際種芋を5キロも買って帰りました。

 親父はいつもやって来る野菜作りの上手いおばさんに種芋の切り方を教わり、5キロの種芋を一人で植えたのです。私だって多分腰を伸ばしながら植えたでしょうに、親父の作業に敬服しました。しかもその植え床は耕運機でしっかりと中耕して本格的にやっているのです。

 親父も90歳になりました。これらのまるでアリが物を運ぶような仕事ながら毎日毎年繰り返す作業はいよいよ私が受け継ぐ日が近づいてきました。親父に比べればはるかに不器用な私は何とも心もとないし、親父もその事を心配しているようなのです。でも妻は「あなたも結構器用だから」と持ち上げてくれますが、性根を据えて受け継ぎたいと思っています。

 春が近づきました。三寒四温というのでしょうか、このところ春の嵐が冬の名残風のように雨を伴って吹き荒れています。あれ程上天気だったのに今日は朝から雨、天気予報だと低気圧が発達して移動するとのこと、お天気さんも春と冬がせめぎ合いをしているようです。春が恋しいですね。

  「いつの間に ジャガイモ植えた 九十の 親父腰曲げ 今年も元気」

  「このところ 冬と春とが 喧嘩する 雨風雪が 交互に襲う」

  「先植えた タマネギ未だ 小さくて ジャガイモやがて 同じに太る」

  「秋植えた 新ジャガ掘って その後に 春ジャガ植える 何とも奇妙」


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shin-1さんの日記

○丸刈りの思い出

 わが家には3人の男の子がいます。既に3人とも建築士、看護師、警察官とそれぞれの道を親元から離れた県内で働いていますが、この3人の子どもは義務教育の中学校を出るまで全て頭は丸刈りでした。思春期の子どもにとって仲間の存在やお洒落が気になる時期なのに、親の教育方針とかを子どもに押し付け、自宅で電動バリカンを使い逃げ惑う子どもを座らせては妻と二人で丸刈りにしたものでした。バリカンの調子が良い時は結構スムースに刈れるのですが、少し調子が悪いとまるで寅皮、縞模様のようになって「格好悪いから学校へ行くのが嫌だ」とダダをこねられたことも何度かありました。 その頃の学校はまだ丸刈りの子どもが沢山いて、長髪の子どもと半々くらいでしたから、子どもの反発も散髪の時だけだったように思いました。

 子どもたちがたまの休暇で家に揃うと、たまにその丸刈りの話が出てきます。「丸刈りは嫌だった」「長髪にしたかった」「バリカンで虎刈りにされた時は学校を休みたかった」「丸刈りだったのでもてなかった」などなど述懐は様々ですが、今振り返ると懐かしいと、母親や父親に散髪されたことを懐かしがっていたようです。

 そういえばいつの間にか子どもの丸刈りした姿を周りで見なくなりました。「丸刈りに詰襟の学生服は凛々しい日本男児の理想の姿」と未だに思い込んでいる私のような古い人間はもう世の中では賞味期限が切れているのです。でも子どもの頭を親の手で丸刈りにする行為は、月に一度にせよ親子にとっていい向き合いだったように思うのです。今は子どもの何から何まで既製品や人の作ったものでまかなうような時代になって、親が子どもにしてやれる親らしい子育ての分野が相当減っています。靴下だって破れれば継ぎ接ぎ繕いなどせず直ぐに捨てるし、弁当だってコンビニの弁当で代用する親が相当いるのです。時間と効率からいえばそれが便利なことは分っていて格好いいのでしょうが、母親が別の仕事をしながら焼いた焦げた玉子焼きだって子どもにとってはかけがえのないお袋の味なのです。

 昨日妻と二人で夕餉の膳を囲んでいると、妻がしみじみ大家族だった何年か前までの食卓の事を話しました。家を建てたり、子どもが進学をしたりした時代は安月給ゆえそんなに贅沢も出来ず、粗末な食事しか出来なかったのですが、それでも妻は手づくりにこだわって食事を作り続け、子どもも美味しいといって食べてくれました。今は親父の分を含めて3人分、あの頃から比べるとまるでメジロの餌のような少なさです。

 先日久しぶりに帰省した三男の姿を見てハッと気がつきました。三男は警察官という仕事柄、丸坊主に近い丸刈りなのです。もう30歳になる息子ですが丸刈りの姿は中々凛々しいものです。時代の進んだ世の中にあってまだこんな職場があるのかと内心驚きますが、私にとっては子どもの頃から終始一貫したように見える息子の姿に心の中で惜しみない拍手を送るのです。

 バリカンという言葉さえもう死語になりつつある現代ですが、私にも親父に頭を刈ってもらった苦い思い出が一杯あります。今の電動のようなものではなく、手動でやるものですから早過ぎず遅過ぎず動かさなければなりません。早過ぎると食いついて痛い思いを何度も経験しました。また虎刈りなどはしょっちゅうで恥かしい思いも何度かしました。でもその度に親父は「髪型くらいで女に持てない奴は所詮もてる訳がない」などと小理屈を並べ立て、自分の正当性を主張していました。でもこれも過ぎてしまえば親父のいい思い出なのです。残念ながら今の子どもたちにはそんな親父の思い出は残るべきもないのです。

  「丸刈りは 日本子どもの 代名詞 そんな時代に 生きれ幸せ」

  「バリカンと いう道具など 家にない それは何です? 答え飲み込む」

  「マルコメの 味噌のCM 一休さん 全て丸刈り 格好いいよね」

  「親父から 俺に受け継ぐ 丸刈りも 息子途絶える これも世流れ」

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