shin-1さんの日記

○プライベートな旅

 毎日小さな旅や大きな旅をし、特に大きな旅は旅先で泊まることが多いのですが、この2年ほどは殆どプライベートな宿泊を伴った旅はしていないことに気付いて、昨日と今日の二日間、四国霊場八十八ヵ所巡りを兼ねた小旅行に妻と孫朋樹を伴って出かけました。前にもブログで紹介しましたが、私たち夫婦はもう10年以上にわたってついで旅のついで遍路をしているのですが、私と妻の休暇予定が会わず、僅か八十八ヵ所のお寺さん参りなのに、未だに完結していないのです。私の退職を機に遍路旅を早く終わらせようと夫婦で相談したのですが、私の方が現職時代より忙しいのではないかと思うほどに忙しくなって、延び延びになってしまっていたのです。こんなことではバチが当るのも当然なので、後2日もかければ終わるので、何としても納経帳と掛け軸だけでも終わらせようと再び挑戦し始め、昨日今日のお参りとなったのです。

 昨日は妻の仕事が終わってからの出発なので午後3時でした。この時間だとお参りするお寺さんは納経所などは早々と店じまいしているので、宿の都合で金毘羅さんにお参りする事にしました。伊予のインターチェンジから高速に乗って善通寺までは、途中サービスエリアでトイレ休憩をしても2時間で到着です。

(門前をいざ出発です)

 この日は土曜日を含めると③連休とあって、金毘羅さんの門前もかなり沢山の人で混雑していました。相変わらず土産物屋さんの客引きにあい、土産物を千三百円以上買えば5百円の駐車料金がタダとあって、妻は早速子どもたちへの土産物を買ってからの出発です。西陽の傾いた午後5時とはいいながら梅雨の明けた太陽は容赦なく照りつけ、三人とも前身汗まみれになり、フーフーいいながら長い石段を、土産物やさんから借りた竹の杖をつきながら登りました。私たち夫婦より五歳の孫は元気で、石段の途中ではいつもトップで、「おじいちゃん、おばあちゃん早く早く」催促される有様なのです。

 私たちの生まれた漁村では、毎年夏になるとその年新造船を進水させた家では、海の神様といわれる金毘羅様か宮島様へ大漁幟を立ててお参りに行く風習がありました。親類や自分の家の船に乗ってお参りするのは、そんなに遠い所へ旅に出ることのなかった私たち子どもにとって、飛びっきりの楽しみであり、この石段は沢山の土産物が並んでいるまるで宝石箱の中を歩いているような夢の世界だったのです。最近は土産物事情も随分変わって、余り売れないと休憩のために立ち寄ったお店のおばちゃんはこぼしていました。

(境内にある凄く大きいスクリューの前での記念写真)

(讃岐富士を一望できる本殿、二人とも汗びっしょりです)

 本殿にお参りして、遠く讃岐平野を一望しましたが、讃岐富士や周りの山々、それに日本一多いといわれるため池が絵のように見えました。この風景は昔も今も変わらぬ見覚えのある風景なのです。お参りは予想以上に速いペースで僅か1時間ほどで元の駐車場へ帰って来ました。

(かんぽの宿では綺麗な夕日が出迎えてくれました)

 この日の宿はインターネットで調べて予約した観音寺にあるかんぽの宿です。カーナビに入力したとおりの道を40分ほど走りましたが、到着した時間は夕日が沈む時間で、高台の宿からは燧灘に沈む夕日がことの他美しく見えました。温泉で汗を流し午後8時からの遅い夕食となりましたが、孫は5歳以下で宿泊料は布団代以外タダで安い料金ながらサービスが行き届き、係りの人たちも皆さん親切でいい旅の思い出が出来ました。この夜は孫を真ん中にして私たち夫婦は川の字になって寝ました。孫との旅は想像以上に楽しいものです。来年からは小学生になるためこんな旅は出来ないかも知れないと思いました。

(孫朋樹君のために用意された豪華な料理)

  「金毘羅は 子どもの頃の 思い出が いっぱい詰まった 夢ある世界」

  「孫に負け 夫婦体力 下り坂 登りきらずに 下りを意識」

  「冷や汗は かかぬが大汗 かきました 孫と三人 お湯に浸かりて」

  「ホテル着く 迎えてくれた 夕日見て 遠く離れた ふるさと思う」

[ この記事をシェアする ]