人間牧場

○古い麦藁帽子は質素倹約の教え

 昨日は初夏を思わせるような陽気で暑かったし、朝から夕方まで外での作業をしたため、今年初めて麦藁帽子を被りました。この麦藁帽子はリタイアしてから2代目のもので、ツバの少し小さめな帽子の内側にthyaina(中国製)と書いていて、れっきとした外国製品なのです。多分金額は500円だったと思われますが、スーパーの店頭で買い求めたもので、もう4年も愛用しているのですっかり古くなって、昨日孫から「おじいちゃんその帽子汚い!」と言われ、妻からも「格好が悪いからそろそろ買い換えたら!」と悪評を叩かれてしまいました。

 

愛用自慢の麦藁帽子

 しかし私がこの麦藁帽子を被る理由は、太陽の光で顔が日焼けするのを防ぐことと、作業中に木々の下をくぐったりする時、頭を木々にぶっつけないよう守ってくれるためのもので、別にスタイルを気にして被っている訳ではないので、孫の言葉には「この麦藁帽子は、おじいちゃんの体を守るため神様からいただいた物なので、大事に使っているんだ」と説明してやり、妻の言葉には「この帽子格好いいだろう」とむしろ自慢をしてやりました。
 実はこの帽子が何故このように薄汚れたように見えるのかといえば、原因は雨に何度も濡れたからなのです。草刈機やチェンソーを使った農作業中はやたらと汗をかくし、草クズや木クズが飛んできて付着するのですが、雨でも被るため全てが混じって醜いアヒルの子になったようなのです。

 孫と妻に言われたため、そっと室内で被って洗面台の鏡に写してみると、確かにもう古くなっていて、私の田舎者のような顔が一段と田舎者に見えてきました。しかし私はこの麦藁帽子が気に入っていて、今年も破れたりなくしたりしない限り買い換えるつもりはなく、もうひと働きしてもらいたいと思っているのです。私は戦争中(昭和19年)に生まれ、戦後の物の不自由な時代に育ちました。いわば「勿体ない世代」です。リタイア後貧乏な年金暮らしをしているからといって、千円弱の麦藁帽子は買おうと思えば買えるのですが、「買えないのではなく買わない」と、たかが麦藁帽子くらいながら、主張を貫いているのです。

 一事が万事といいますが、こんなささやかな実践はこの2年間で益々意識が強くなっています。35年前から続けている金融広報アドバイザーの仕事に加え公民館に勤めて「ミエ・ムリ・ムダ」を省く教育を受けたこと、またこの2年間私が塾長を務める年輪塾で二宮尊徳を勉強したからです。「質素・倹約」は金次郎の教えなのです。外見や見た目を気にするような年齢はもうとっくに過ぎており、これからもこの古く見える麦藁帽子のような人生を、「質素・倹約」を旨としながらしっかりと生きて行きたいと思っています。
 今日も朝から雲ひとつない快晴で、このブログを書き終わった6時58分、書斎から見える東の山の端から朝日がまばゆく顔を覗かせました。今日も暑くなりそうです。麦藁帽子さん今日も宜しくね。

 

4月25日の日の出

  「その帽子 汚いと孫・妻 言うけれど 俺にとっては 宝物   のよう」

  「昨日から 初夏を思わす 太陽が 天地注いで 帽子遮る」

  「何につけ 質素倹約 肝銘じ 実践こそが 尊徳教え」

  「麦藁で 編んだ帽子は メイドイン チャイナ製です 五百    円也」

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