shin-1さんの日記

○三重県御浜町を訪ねる②

 「浜街道で創る御浜の未来~エコツーリズム検討委員会~」の事業概要によると、①御浜町は、かつて熊野三山へ参拝するための巡礼の道だった本宮道と海岸沿いに南下する浜街道が残っている。平成16年に世界文化遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部だが観光資源が他地域に多いため、御浜町への誘客に結びついていない。②地域特性を生かした地場産業の盛んな町を目指しているが、基幹産業である柑橘農業を取り巻く状況は、高齢化、担い手不足などの問題があり、遊休地、荒廃地などが目立ち危機的状態である。③こうした状況を打開するため値域活性化の一環としてエコツーリズムやフットパスに期待している。④これまでにも行政職員が中心になってツアーづくりなどが進められてきたが、定着していくためには地域住民や団体の参加を促し裾野を広げていくことが求められているという、概ね4つの視点が書かれていました。

若松進一ブログ

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(講演する私)

 ふと私の町の20年前を思いだしました。明確には書けませんが、①過疎、②高齢化、③産業不振、④嫁不足の4つを問題点として認識し、「通過する町から立ち止まる町へ」をスローガンに掲げ町づくりを始めたのは昭和62年でした。まちづくり元年と定めたその年、町長からまちづくり特命係を命じられた私は、①まちづくり30人委員会、②まちづくりエプロン会議、③まちづくり青年会議、④役場まちづくりグループを組織して、1か月に一回の学習を行い、18時間マラソンシンポジウムとコスモス鉄道ふたみ号2001年の旅を企画し、本格的な町づくりを始めました。そして①人づくり、②拠点どくり、③住民総参加のオンリーワンづくりを目標にして20年間町づくり行政を進めてきました。

 結果的には観光ゼロから年間55万人の観光客がやってくる町へと変身し、現在に至っているのです。失礼な言い方ですが御浜町は私の町の20年前とまったく同じなのです。

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(町長さん)

 その成功の秘訣は?とよく尋ねられますが、①町長の明確なメッセージ(これがないと議会を説得できない)、②キーマンとして働く役場職員の存在、③夕日を地域資源にした情報発信手法、④住民の参加参画があげられます。つまり御浜町も①トップの意志、②役場職員のやる気、③地域資源の焦点化、④地域住民の参画さえやれば、三重県はおろか全国に名だたる町に変身することが可能なのです。

 この日の講演会は、私の講演と松本清さんのワークショップの2本立てだったため、私はその辺のさわりの部分だけしか話すことはできませんでしたが、まだ役場職員、地域資源、住民の反応確認は取れていないものの、偶然にも町長さんが出席していて私の話を好意的に受け止めていただいたようなので、まずはいい方向へ向かいつつあることは事実です。

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(参加者)

 まあ一回の講演会くらいで町が変わることはありませんが、環境省がエコツーリズムという崇高な論理を掲げて地域支援を行おうとしたきっかけはトリガーになったことは事実ですから、縁あってかかわったこともあり要請があればまtお手伝いをしたいものだと思っています。

 そのためには「みかんを売る」から「みかんを食文化に仕組みみかんをイメージで売る」くらいな思いきった発想の転換が必要だと実感しました。(はてさて、私のこのブログ記事を町長さんや役場職員、参加した町民の皆さんは読んでくれるでしょうか?)


  「二十年 前のわが町 よく似てる やればできるさ やる気があれば」

  「撒き餌する  喰いつくはずと 思っても 潮が悪けりゃ 釣果上がらず」

  「本願は 他力本願 成就せず 自分本願  本願成就」

  「ユネスコの 世界遺産じゃ 飯食えぬ 太田胃酸と 間違わぬよう」 

                                                                                                         

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