shin-1さんの日記

○嘆かわしや荒れる成人式

 「私は成人式にもう20回以上出席しています」と言ったら、「えっ」と首をかしげる人が多いに違いありません。若いころは教育委員会に勤めていて成人式を担当し13回も出席しました。加えて主に田舎の町の成人式の、今は殆ど見かけなくなった記念講演に招かれて、新成人の前でお話を10回以上しています。さらに23歳の時NHK青年の主張の県代表に選ばれ、地元の新成人たちの前でもはん発表をしたのと、自らの成人式に出席したのを合わせると20回以上になるのです。

 私たちが若いころの話をすると、「ああ歳だ」と思われそうですが、当時の青年たちは純情そのものでした。私の町では昭和40年代から和服禁止の洋服成人式が長く続きました。何十万円もする和服は成人の旅立ちには馴染まないと、人を思いやる心を育てるために始めた成人式の簡素化運動でしたが、新成人も多少不満はあってもみんな明るく参加してくれていました。

 成人の日は1月15日で国民の祝日と決まっていました。ゆえに日本国中が国旗を立てて成人の日を祝ったものです。今は祝日が変わって、「えっ、成人の日は何時だったかしら?」と首をかしげる年もしばしばなのです。私は双海町の成人式のけなげな姿を随分マスコミに宣伝し、時には双海町民会館で南海放送の「新成人を囲んで」という特別番組まで招聘したり、新成人のために婦人会が中心になって朝早くからオードブルを作ってもらい、立食パーティまで企画実施して、それは和気あいあいの成人式でした。

 当然新成人たちもそれに応えて、「新成人の主張」などに応募し未来の夢を大いに語ってくれたものです。合併後30年以上経っても合併事情があって、下灘・上灘を交互に会場を変えたことも今は過ぎ去りし懐かしい思い出なのです。

 私は高校を出ると直ぐに、ガンで倒れた親父に代わって家の跡を継いで漁師になっていましたので、成人式用の背広は、地元の梶野洋服店の大将に作ってもらいました。これが私が背広を着た最初なのです。しかし背広と革靴、ワイシャツはこうして母親が用意してくれましたがネクタイを買うのを忘れて、近所にする松山のお店に勤めている同級生に頼んで好みなど全く無視して買い求めて貰いました。

 しかし成人式当日時間ぎりぎりになってもネクタイを結ぶことができず、結局は親父が私のネクタイを、まるで草鞋を作るように足の親指に引っ掛け、結んで首に入れてくれました。それでもあの晴れがましい成人式の思い出は、あれから45年経った今もはっきりと覚えているのです。

 当日は成人式が終わると列車に乗って皆で松山まで映画を見に行ったり、その夜は青年団員だったため、青年団主催の祝賀会に招かれ、随分お酒を飲まされメロメロうつろな一日でした。


 昨日テレビを見ていたら、全国各地の成人式が再び荒れている様子が映し出されて、呆れてものが言えなかったり、腹立たしい思いをしました。成人式の起こりは戦後間もない1946年ごろ、埼玉県蕨の青年団が新成人のために成人式を始めたのが始まりとされていますが、その崇高な精神を無視して、まるでバカ殿様のような紋付袴で成人式に参加して、酒は飲むは、私語はするは馬鹿騒ぎはするは、挙句の果てに壇上へ上がってあいさつをしている主催者まで小突くというあらん限りの悪ふざけをするのです。

 暴れる新成人の顔は人権的にモザイクや霞をかけていましたが、人の人権を無視するような人間の人権まで守らなければならないのか?とマスコミ対応へも個人的疑問を感じたりしました。どこかの街では新成人を祝おうと子どもたちが合唱団を組んで応援にかけてけていましたが、その前で堂々と暴れて生き恥をかく姿は言語同断で言葉もありません。まさにこの若者たちを育てたり、知らずにやり過ごす「親の顔が見てみたい」心境です。


 このままだと「成人式を止める」自治体も出てきそうです。いつの時代も物事を対処法で処理するから、主催する教育委員会は重い荷物を待たされ、形式的には運営に若者の参加を促す方法を取って、見て見ぬふりをするのでしょうが、普天間基地問題も大事、子ども手当も大事ですが、この若者たちに日本の未来を譲らねばならないのですから、成人式の荒れ方はそれ以上に大きな社会問題だと思うのです。

 成人式に名を借りた政治家の顔を売る政治活動の場となっていた、葉の浮くようなあいさつづくめの過去の成人式も振り返りながら、一人では何もできないくせに集団になると暴徒化する、まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」という今の若者の心を、どうこちらに向けさせるか、悪ふざけをする新成人は少数だけにいよいよ正念場といったところです。

  「バカ殿の ような格好の 新成人 テレビ番組 見ているようだ」

  「普天間も 大事なことと 思いつつ 荒れる成人 ほって置くのか」

  「この国は どこか可笑しい 思いません? 私は思う 何とかせねば」

  「わが息子 だったら頭 ぶん殴る そんな気持ちの 悲し一日」

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