shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年11月10日

○歌を忘れたカナリヤ

 私は若いころ青年団に入団し、仲間・ふるさと・主張・感動という人生を生きてい行く上で大事な道具を手に入れました。以来その道具は時と場所と人などの砥石によって磨かれ、今も私の大切な道具として人生のつれづれに使われ、生かされているのです。青年団活動では毎日のように団結の証として歌を歌いました。♯君の行く道は果てしなく遠い、だのに何故何を探して、君は行くのか、そんな~にしてまで」なんて歌を、腕や肩を組みながら歌ったものです。研修に出かけた行く先々で新しい歌を仕入れ、その歌を団員に広めたりもしました。「四季の歌」や「坊がづる賛歌」などは美しい響きとして今も時々口ずさみながら当時を懐かしむのです。その癖はその後勤めた公民館でも生かされ、学級や講座の終わりにはレクリェーションとしてみんなで歌ったものでした。

 さて、あれからどのくらいの月日や時間が経ったのでしょうか。今ではすっかり「歌を忘れたカナリヤ」となって、車の中でCDを聴いたりハーモニカを吹く程度しか音楽への関心は消え失せているのです。


若松進一ブログ
 そんな日々の暮らしの中で最近二つの歌う経験をしました。一つは先週の土曜日に開かれた年輪塾公開セミナーです。朝フル合唱隊などと銘打って音楽好きな人たちが集まり、セミナーの最後に歌おうというのです。メンバーの中には清水さんや大西さんなど楽器の堪能な人もいて、私は堪能でもないのに胆のうを患ったこともあって(笑い)ハーモニカ伴奏で引きずり込まれました。楽譜の読めない私にとって、清水さんから送られてきた楽譜はまるでお経の経本のようなものですが、幸いCDも一緒に送っていただいたので、パソコンでこの歌を聴きながら楽譜をなぞり、たった2時間程度しか練習せずにわが家煙会所でリハーサルと相成ったのです。その後本番までしばらく時間がありましたが、残念ながら練習する暇もなく当日を迎えてしまいました。当日は合唱の声にまぎれて私のハーモニカの吹き間違いもかき消され、「若松さんお上手ね」とある人からおほめの言葉までいただく始末でした。でも知らなかった笠木透の「私の子供たちへ」という歌を覚え、「みかんの花咲く丘」をハーモニカで吹いて事なきを得ましたが、歌を聴いていると何処か庫k炉にすがすがしい風が吹くような爽やかな気持ちになりました。これからも歌ぐらいなら歌えるのでみんなと歌い続けて行きたいと思っています。

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 その明くる日、私は四国中央市で開かれた「母親大会」へ招かれました。前日まで忙しかった私が居眠りでもしたら大変と、妻が一緒に行ってくれました。時間がないので余り見学はしませんでしたが、急な思いつきで一度は行きたかった川之江城を見学しました。昭和62年にできた新しいお城は鉄筋コンクリートでしたが、それでも櫓門や本丸は立派で妻も感激の面持ちでした。妻をイオンに降ろし、私は会場の福祉会館へ行きました。沢山の人が集まっていました。「憲法9条を考える」などという文章がちらつく、私にとっては難し過ぎる集会でしたが、講演に先立ち全員が歌詞本片手に指導者のリードで歌い始めたのです。最初どぎまぎしていた参加者も巧みな指導者の誘導によって上手くなり、一人の声は次第に大きくなって行きました。「里の秋」の逸話も「この街で」の秘話もいいお話でした。その効果なのか私の話にはいつになく反応が良く、いい雰囲気で話を終えることができました。

 公開セミナーの歌といい、母親大会の歌といい、歌はやっぱり心を豊かにしてくれます。音痴な私ですが、みんなと歌うと勇気を持って声が出せるのですから不思議です。音楽は音を楽しむのかも知れませんね。


  「通知表 音楽2の 私でも 歌を歌うと 何処か楽しい」

  「歌いつつ 青年団を 思い出す 腕肩組んで 心ときめき」

  「もう一度 昔に戻り やろうかと 歌の練習 し直す決意」

  「肩組んだ あな娘どうして いるだろう どこかの街で 誰と暮らして」