shin-1さんの日記

○瀬戸内海点描

 一昨日山口県での研修会に招かれて徳山へ行くため早朝一便の防予汽船のフェリーに乗りました。家を出たのは午前4時で夏とはいいながらまだ外は暗かったのですが、船着き場のある三津浜に着いたころには東の空が明るくなって、雲を真っ赤に染めた朝焼けを見ることができました。夕日や夕焼けに殊のほか思いを寄せる私ですが、すがすがしい夏の朝焼けもまた一日の始まりを感じさせ、思い切り深呼吸をしました。

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 四国から中国地方へ渡るのには、瀬戸大橋で岡山へ、しまなみ海道で尾道へ、高速船かフェリーで松山観光港から広島へ、そして今回のように三津浜から柳井へフェリーで渡りますが、ダントツに多いのは広島ルートと柳井ルートなのです。

 柳井ルートの拠点となっている三津浜は「三津の朝市」と伊予節にも唄われていますが、朝市界隈も魚市場の移転ですっかり様変わりして、行商人の姿や漁師さんの姿はほとんど見えず、魚を積んだトラックが頻繁に出入りする程度で、風物詩とは少し違った趣に変化していました。

 船が桟橋を離れ一回転して進み始めると直ぐに梅津寺の海岸に出ます。ここは戦中戦後から今日まで愛媛県の海水浴場では一、二を争う有名な場所でした。遊園地を兼ね備えた梅津寺パークはかつて子どもたちのあこがれの場所でもあって、遠足や家族連れで賑わったものでした。しかし遊具等の老朽化と車の普及による客離れが進んで経営が赤字に転落し、今年の春で長い歴史に幕を閉じたようです。と同時に梅津寺海水浴場も、海の汚染や環境の悪化で物議をかもし、ついには今年の夏から閉鎖となったのです。もうサメよけネットなどの設置もなく、高校や大学のボート部が練習する場所だけが残っているようです。時の流れとは恐ろしいものです。

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 梅津寺と高浜港の間に小さな島が見えます。坊っちゃんという小説にも登場するターナ島です。かつては白砂青松とうたわれた見事な松山のシンボル的な島でしたが、松くい虫の被害にあってまるでもぐさのような殺風景な島になっていました。心を痛めた人たちが松の移植実験を試みていますが、かつての雄姿になるのはまだまだ先のことのようなのです。

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 沖合に目を転じれば伊予の小富士と形容される、これまた松山のシンボルごご島が見えます。私たちの町や人間牧場から、また飛行機で松山空港に着陸する際左手下に見える美しい島なのです。ビワやモモ、それにミカンなどたくさんの果樹が生産されているところとしても有名で、往復するフェリーは僅か10分ほどで到着するのです。でも近過ぎるのかごご島へはそんなに行く機会は少ないようです。


 山口県徳山での公演が終わって復路も同じフェリーに乗りました。「夏の朝焼け川向う渡るな」と古老から教わった通り、船が二神島あたりに差し掛かったころにわかに空があやしくなりました。右手遠くに見えるのは四国の西佐田岬半島でした。手前には私たちが20年にわたって無人島に挑む少年のつどいをやった無人島由利島が見えてきました。懐かしい島です。もうそんなに訪れることもないでしょうが、この島は私の青春の思い出であり、心のシンボルなのかもしれません。

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 沖合から私の住んでいる双海町が雨にかすんで見えました。私は逆からみればこんな所に住んでいるのかと思いつつ、あれが明神山634m、あれが牛の峰山896m、あれが黒山780m、あれが壺神山971mと宙で覚えている山の高さを思い出しながらデッキに出て見つめていました。

 
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  「瀬戸内の 辺り見渡し 思うこと 時は流れど 位置は変わらず」

  「随一と うたわれ人の 集まりし 海水浴場 閉鎖のニュース」

  「小説に 出てくるターナの 島影も 何処かさみしく 雨に煙りて」

  「わが町を 逆から見るも 面白い あんな小さな 所に住んで」 

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