shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年7月19日

○私の町の夕日も綺麗、「それがどうした」

 研修会や講演などで年中日本全国を旅している私は時々、旅先でハッとするような夕日に出会うことがあります。かつて夕日をテーマにまちづくりを始めようと思って訪ねた頃の日本各地の夕日は、心に夕日を楽しむ余裕もなく、ただただ自分の町と他所の町の比較対照を試みるにしか過ぎなかったのでした。そしてその残像に一喜一憂しながら意味もなく「勝った。負けた」と優越感や挫折感を味わったものでした。

 あれから20年余りが過ぎ、夕日によるまちづくりが一応成果を収めた今は、どの町の夕日もオンリーワンとして認めて見えるのですから大きな成長です。

 私が夕日によるまちづくりを行ったことや、夕日を地域資源に様々な活動をしていることは、マスコミや講演などによって既に広く全国に知れ渡っているため、夕日の話になると相手は夕日のスペシャリストである私に一目置いて一オクターブ下げた話しを話しますが、酒でも入ると口惜しいのか、かつての私のように、「あなたの町の夕日も綺麗でしょうがうちの町の夕日も綺麗だ」と自慢し始めるのです。中には強気な人もいて「あんたの町の夕日より私の町の夕日の方が絶対綺麗」と胸を張って自慢するのです。

(昨日船のデッキから見た中島へ沈む夕日)
(一週間前人間牧場に沈んだ夕日)
(三日前わが家から見る山口県周防大島辺りに沈む夕日)

 これは何も夕日に限った事ではなく、全国各地でこのような自慢話はあるようです。

 日本一と誰もが認める富士山の自慢話は駿河の国の人に出会うと必ず出てきます。これを聞いた伊予の国の人は口惜しく唇をかくのですが、何とかその鼻っぱしを追ってやりたいと思い挑戦するのです。「俺の国には富士山より高い山があるんじゃあ。余りにも高くて細く倒れたらいけないので寝かしている。この山の高さは13里もある高いもので、3千メートルそこそこの富士山など物の数ではない」と豪語するのはご存知トッポ話の一説です。

この話の山とは佐田岬のことで、岬13里と形容するほど日本一細長い半島なのです。

 日本全国には讃岐富士、薩摩富士、伊予の小富士などと幾つも富士山の略称を形容する山がありますが、これも自慢の現れだし、日本全国の商店街に意外と多い銀座なども名前にあやかったもののようです。

 私に対して「俺の町の夕日は双海町より綺麗だ」と自慢する人に私は「それがどうした」と冷や水を浴びせて反論します。追い討ちをかけるように、「夕日が綺麗と思う町は沢山あります。この町の夕日も確かに綺麗かも知れませんが、綺麗というだけでは何の価値もありません。夕日が美しいと思うならその仕掛けを見せてください」というと二の句が次げず黙り込んでしまうのです。

 まあこんな風に自慢しあっていますが、私は日本一だと思うことは別に誰はばかることはないと思います。つまりナンバーワンやベストワンではなくオンリーワンなら日本一は沢山あってもいいと思うのです。

 昨日広島から帰りに広島~松山航路の船上から、中島本島辺りに沈む綺麗な夕日を見ました。数日前に学生を連れてこの島へフィールドワークの授業で出かけた折、中島町の古野セキヱさんに出会いましたが、彼女もまたいつも「中島の夕日は美しい」と自慢しています。「それがどうした」と反論するも、彼女は一向お構いなしに自慢しているのです。

 金曜の船上のお客さんは真赤な夕日が落ちる姿をカメラに収めたり、甲板に出てしみじみ眺めていました。私はあえて「わあーきり名夕日だ。感激だー」などと回りの人を誘発するように少し大きめの声で話しました。それまでテレビを見たり雑誌を読んでいた人も立ち上がって夕日見学と相成ったのです。してやったりでした。

  「わあー綺麗 私の声に 誘われて 船上の客 一斉夕日」

  「自慢する だけある島の 夕日見て 旧友の顔 夕日の中に」

  「あの夕日 明日はどんな 顔をして 朝日となって 昇って来るか」

  「手を合わせ 沈む夕日に 祈る俺 今日も一日 感謝を込めて」