shin-1さんの日記

○紅葉に染まる山々

木枯し1号が吹いてから見渡す景色が何処となく寒々として、体まで背中が丸くなるような憂うつさです。それでも体を鍛えようと折に触れ体を動かしているのですが、やはり体力の衰えは年齢とともに増してゆくようです。今朝は同じ敷地に住みながら長旅でとんとご無沙汰の親父の隠居に出かけ、久しぶりに朝の会話を交わしました。九十歳になる親父は今朝も早朝散歩をして帰ったところで、私が親父の健康を気遣うべきなのに、逆に親父から、体を鍛えるようにゲキを飛ばされました。それもそのはず、2~3日前から風邪気味で顔色が冴えないのです。それを見取ってのことでしょうが親父のいうのには、今朝の私は「顔色が悪い」そうです。

 親父の話によるとつい最近まではジョギングやウォークが流行し、早朝になると散歩の途中沢山の人に出会っていたそうです。ところが先日木枯し1号が吹くと極端に歩く人や走る人が減って、今では寂しい限りだそうで、今朝は3人くらいしか出会わなかったそうです。シューズやスポーツウェアーを身にまとった若い人は、運動を単なる流行ととらえているようで、人がやるからやるようだというのです。そこえゆくと親父は立派です、余程のことがない限りはない限りは雨の日も風邪の日もウォーキングをこの20年間続けているのですから凄いと思うのです。お陰で九十歳の今日まで元気に生きているようです。見習いたいものですが、ウォーキングを止めた人たちと同じように忙しさや理由をつけて体を鍛えない自分が恥かしくなりました。

 親父が言うのにはこのところの冷え込みで周りの山々が紅葉しとても綺麗のだそうです。私の町は海沿いなので紅葉は余り綺麗でないと言われてきました。しかし言われて辺りの山々を見渡すと、ハゼの木が真赤に紅葉し、クヌギの黄色とマッチしてそれは見事な深まり行く秋景色を見せているのです。確かにモミジはないがハゼは沢山あります。ハゼは体が被れると皆さんは敬遠しがちですが、触らなければどういうことはないのです。ハゼの赤はナナカマドに匹敵するような紅葉を見せてくれるのですから、どこかにハゼの木を意識的に群生で植栽すれば観光地になること請け合いです。ふと隣町長浜の今坊のあるお寺を思い出しました。お寺の名前は忘れましたが、久保さんという住職さん親子がハゼとイチョウを沢山植えていることを思い出しました。「そうだ明日は岬半島へ行くので、今坊のお寺へ立ち寄って紅葉を楽しもう」と思いました。

 昨日は大学へ行くため松山の平和通を通ったのですが、既に何本かは風邪で黄色い衣を脱いでいましたが、黄色いイチョウの並木がそれは見事に秋の景色を演出していました。ちょっと車を止めて散策しようと思ったのですが、残念ながら車が混んでいて駐車できず、赤信号で止まったスキに持っていたデジカメで車の中からパチリ一枚失敬しました。この景色も来年まで見られないのかと思うと、何となく愛しい気持ちになるものです。

 砥部町の友人丹さんと井伊先生から砥部町楽学大学のお礼状が届きました。丹さんはそのハガキの中で冒頭に「もみじの紅は年輪を一枚残す木々の営みでしょうか」と行く秋を風流に表現していました。味わい深い言葉です。あくせく働くのもいいのですが、せめて行く秋を感じるような心のゆとりを持ちたいものです。

  「色あせぬ 間に周り 見渡して 行く秋まざと 楽しむ余裕」

  「ハゼの赤 クヌギの黄色 交じり合い 秋は次第に 深まりゆくか」

  「もう二日 すれば師走の 声聞くに どこか可笑しい 紅葉の便り」

  「一枚の ハガキに書いた 季の言葉 年輪一つ 残す営み」

 

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