shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年11月25日

○今年最後の草刈り

 人間牧場とわが家の周辺は自然が豊かなのか一年中草が生え、ちょっと油断するとまるで草むらのようになってしまいます。草の管理だけでも一苦労で、農家のように草枯らしという除草剤でも撒こうかと思ったりもしますが、環境をテーマにしているだけにそんなことも出来ず、体が続く限りは草を刈り、草を削って対応したいと思っています。さてそんな考えもいつまで続くか心配です。やがて歳をとったら息子に経営を移譲しなければならないのでしょうが、息子は草刈機を使ったことも殆どない状態なので将来が不安です。でも人間牧場もわが家も息子が深く関わっていますので、多分私がそうであったように加齢とともに自覚が出来て、それなりに手入れをすることでしょう。

 昨日は今年最後の草刈りをしようと意気込んでいましたが、孫がやって来て人間牧場へ行くというので、仕方なく連れて行き、一人で遊ぶという約束をしましたが、残念ながら私の姿が草間に隠れるやいなや、大きな声で私を呼ぶのです。私には草刈機の音が大きくて届かないため、更に大きな声で叫ぶのです。仕方がないので山蕗の畑や梅の畑を刈っただけで終わってしまいました。

 孫の守りと草刈りは両立するはずもなく断念して、草刈り機を積んで家へ帰り、今度は家の周りの草を刈りました。親父が草集めなどを手伝ってくれましたが、前回の草刈りから間が開いていないため、そんなに大草ではないため、2時間ほどで終了しました。

 孫の世話で草刈りが残った人間牧場はさておいて、家の周りはすっかり綺麗になって、次は4月の1番草刈りまで永い眠りに付くのです。

 草刈りをしながら思うのは、草の旺盛な生きる力にはただただ驚くばかりです。そこへ行くと人間が食べる作物は大事小事に育てても、ましてや水や肥料をやっても満足のいくような大きさには殆ど育ちません。虫に食われ、病気に遭い、時には寝腐れしたりするのです。また連作障害を起したり原因不明の枯れ方もします。植物は本来そのままだと自然に育つように出来ているのですが、人間のエゴに合わせて品種改良したり、適地でもない場所に植えたりするものですから、当然植物は拒否反応を起すのです。

 私は若い頃一時期盆栽に凝っていました。青年の船でアメリカへ行った折も、「子ども泣かすな盆栽水遣り怠るな」などと妻に手紙を書いたほどでした。その折学んだことはですが、植物は根を切り枝を切ると若返るのです。多分雑草は草刈機で痛めつけているように見えますが、実は草刈りによって雑草の若返りを図っているのです。若草はそうしてどんどん伸びてゆくのです。

 お百姓さんは「草がなかったらどんなに農業は楽な商売か」とよくいっていますが、草だって自然の循環にとって極めて大事な役割を果たしているのです。草が朽ちて土に帰る自然循環がなければ農業は成立しないのです。これまで草だと思っていたものの中にも薬草のように利用できるものもあれば、私が風流として残したススキやツワブキは秋を演出してくれる道具に早代わりしています。今年の冬は雑草や枯葉を集めて人間牧場で腐葉土を作る計画を立てています。その腐葉土が完成したら芋の苗を立てて芋ツルを作って来年こそはいい芋を育てたいと意気込んでいます。12月になるとその準備にとりかかりたいのですがさて上手く行くかどうか気がかりです。

  「草のよう 出来たらいいと 思うけど 家庭菜園 今年も不作」

  「雑草の ように生きたや 人生も だけどちょっぴり 欲が持ち上げ」

  「指折りつ 数えて草を 刈った日々 来る年もまた 同じ数だけ」

  「もう寿命 思ったけれど まだ動く 感謝しつつも 草刈り機駆け」  


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