shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年11月14日

○足湯がいいなあ

 今日は国立大洲青少年交流の家の浅野さんが引率をして、大州地方の子どもたちが10人ほど人間牧場にやって来ました。明日から始まる観光カリスマ塾の準備があって午前中に地域政策研究センターの清水さんが、子どもが帰ると宇和島市遊子の山内さんが相次いで来たため、風呂の準備などもあって人間牧場へは今日だけで4回も往復したのです。でも今日の本命は何といっても子どもたちですから、私は昼前に風呂を沸かしたり、ストーブを焚いて火を起し焼き芋の準備をしたりしました。今日の瀬戸内は穏やかで晩秋とは思えない爽やかな一日だったので、ストーブは要らないかも知れないと思いつつ、焼き芋のこともあって火を入れました。

 清水さんが帰ってから子どもたちはやって来ました。さてこの子どもたちにどんな話をしてやろうかと思案しましたが妙案が浮かばず、結局は思いつきの話しになってしまいました。

 今日の話のメインは自分の目と人の目の話しです。人間は殆ど誰もが2つの目を持っています。この2つの目があるから遠近の距離感もつかめるのですが、この2つの目でしか相手を見ることが出来ないのです。そう思うと人間の視野などは狭いものだとしみじみ思うのです。

 しかし自分以外の人の目は場と機会にもよりますが、多くの人たちの目が自分を、人数分の倍だけの目で見ているのです。

 人間が仮に悪い事をして逃亡したと仮定します。その場合人間の心理として人目につかない場所を選んで逃げ回るのですが、そんな不審な行動が何となくそわそわして、かえってソワソワし人目に付くのです。ある知能的犯罪者で時効寸前に逮捕された人は、むしろ好んで人前に出て雑踏の中に身を置くのが人目につきにくいのだそうです。まるで犯罪心理学者のような読みですが、実際には当っている部分と当らない部分があるようです。

 今日来た子どもたちにその事を話してやりました。引きこもってしまうと自分というもう一人の自分とのみの会話が成り立つので、みんなの中に入る方が随分楽だなのです。

 子どもに私の話がどれほど通じ受け入れられたかは分りませんが、その後は自分の話を基に自分の得意を発見することをやってみました。歌が好きな子ども、絵を書くのが得意な子どもなど様々な趣味を持っている事に驚きました。要はこの自分が特異と思っている事をしっかり確認してその事を伸ばすようにすれば、自信が出来て人生が楽しくなると話してやりました。

 その後子どもたちをロケ風呂に案内し、足湯を試みました。釜が冷えているので少し厚めに沸かしたつもりだったのですが、以外と早く冷めて丁度な湯加減でした。子どもたちは風呂釜の周囲に車座になって座り、様々な話をしました。同じ釜の飯ならぬ同じ釜の湯なのです。来た時は少し表情が硬かった子ども達もすっかり打ち解けて、「足湯が気持ちよかった」「体がポカポカする」などと口々に言っていました。足湯ですがお風呂上りにストーブの中で焼いた焼き芋をみんなで頬張りました。銀紙に包んで焼いたものの管理不行き届きで少し焦げましたが、みんなみかんとともに美味しいといって食べてくれました。

 子どもは国の宝といいますが、まさにその通りだと思います。子どもが病むのは親や家庭、それに社会が悪いのです。こんな温かい雰囲気の中で子どもを育ててやりたいものです。手抜きをせず、目を見て話し、子どもに話しかけ、子どもの言葉を話させる、足湯と焼き芋と、みかんだけのお接待でしたが、こちらも子どもたちから元気を分けていただきました。

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