shin-1さんの日記

○新聞のスクラップ

 昔はよくやった新聞のスクラップもさすがについ最近は余りしなくなりました。新聞のスクラップは目的を持つからこそ出来るのであって、今のようにインターネットで情報が簡単に取れるようになると、スクラップブックを捲って参考にするような悠長なことは中々できないのです。それでも双海町に関係する出来事くらいはとスクラップしているのですが、この整理と置き場に困ってこの一年間は休止状態なのです。

 昨日広島県福山市の平井悦夫さんから今年最後のときめ木堂の悦びタイムス153号ハガキ通信が送られてきました。平井さんは合併前の広島県新市町の役場職員ですが、ひょんなことから知り合いになり、私の主宰するフロンティア熟の講師としてお招きして以来密接になり、私が福山市の公民館へ講演に行った折にも一ギャラリーとして参加してくれるなど、親交を温めている一人です。彼の凄さはその行動範囲の広さとハガキ通信を153号も出していることです。彼に感化されてというよりは、彼が敬愛するハガキの達人広島県向島の半田正興さんと知り合い、結局は私も芋も続いている一日三枚のハガキを20年間も続けることになったのです。

 彼のハガキ通信に感化されて、私も手書きのハガキ通信を1年365日書き、そのまとめはワープロ時代だったものですから、ワープロのソフトに整理をしていれてありますが、感熱紙での印字しかできないため未だに幻の文章となっています。この本の出版もと思っていますが、何時のことになるか分りません。

 平井さんの今月号のハガキ通信に放送作家和田勉さんの記事が載っていました。和田さんと言えば向田邦子原作「修羅場の如くを演出した敏腕ディレクターという印象が強いのだが・・・・」という書き出しで始まる文章はハガキの短さゆえ想像を掻き立てます。そして和田勉さんの呆老氣展を見て感化されたと書いています。和田勉さんは毎日欠かさず新聞の切抜きを続けているのだそうですが、彼も今は日課として新聞の切抜きに余念のない日々のようです。

 さて平井さんは新聞のスクラップを「何のために」やっているのでしょう。和田さんのような生き方がしたいと思う動機はよく分ります。さらに新聞のスクラップは歴史の断面を切り取って保存することにも意味があります。やがて紙ごみとして消え行く運命にあるものに命を吹き込むことも意味があるでしょう。問題はその活用方法です。

 先日あるおじいちゃんの死んだ話を息子さんから聞きました。そのおじいちゃんは校長先生を最後に退職して悠々自適の生活をしていました。若い頃から写真と新聞のスクラップが好きでその数やおびただしく、おじいちゃんの死後家族が集まって、この写真とスクラップブックの処分について話し合ったそうです。生前中のおじいちゃんの宝物だけに粗末にすることも出来ず、結局は長男の息子さんが引き受けることになりましたが、部屋中にあるこれらの資料は長男の息子さんにとっては最早紙ごみでしかなく、図書館や知人友人に相談しましたが引き取り手がなく、結局はお金を出してリサイクルセンターに紙ごみとして引き取ってもらったようです。

 「死に方を考える」なんてことは、私にとってもまだ先のことかも知れません。でもふとこのおじいちゃんの生き方を思えばよく似た趣味を持つ故に他人事ではないのです。「お父さん、何時死んでもかまわんように身辺の整理を」なんて妻に言われると、「おいおいわしが死ぬのを待っているのか」と思いますが、それでもこのおじいいちゃんのように自分の趣味だった新聞のスクラップがただのごみにならないようにしなければなりません。幸いわが家では親父の趣味を親父の元気なうちから長男たる私が受け継ぎ、息子もよく似た感じで引き継いでいます。

 死ぬ前に新聞のスクラップも片付けておきたいこの頃です。

  「新聞の 切り抜き部屋の 片隅に これはごみです 他の人には」

  「スクラップ 人がやるから 俺もやる 一瞬考え 俺には無理だ」

  「一枚の ハガキ届けて 一五三 積もれば凄い 彼の生き様」

  「表まで びっしり書いても 五十円 同じ値段で 彼は得する」

 

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