shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年5月24日

○人間は勝手なもの

 今朝約50メートル離れたゴミの収集場所へゴミを持って行くと、早起きのカラスが一生懸命ゴミの袋をあさっていました。最近のカラスはおうようなもので私が側に近寄って手を叩き脅しても、ほんの2~3メートル離れるだけで私が遠のくとまた同じような行動を繰り返すのです。そんなこともあるので出来るだけ早朝のゴミ出しはしないようにするのですが、近頃は車で通勤の人が車でゴミを収集場所に置いて仕事に出かけるため、そのゴミを狙ってカラスがやって来るのです。

 今朝のゴミ散乱はひどいもので、側にいるカラスに文句を言いましたが一向にコミュニケーションが伝わらず、カラスの耳に念仏のようでした。隣のおじさんは殊勝な人で、毎回火バサミを持参して散乱したゴミを片付けています。このおじさんは宗教に熱心で、遠い高知県の宗教本部まで毎月欠かさず信者さんを連れてお参りに行っているようですが、さすが一日壱善のお方といつも感心しているのです。それに比べゴミを置かれる前の家の人はゴミを出しに行った私を見つけてはブツブツ文句を言うのです。「人の嫌がるゴミは私も嫌です。どこかへゴミ置き場を移動してくれませんか。あんた区長でしょう」とまるで喧嘩を売るような口調なのです。私はいつも無言でゴミを片付ける隣のおじさんと、文句を言って何もしないごみ収集場所の前のおじさんとを比較しながら、やはり隣のおじさんの生き方や行動を見習いたいと思うのです。

 今朝もゴミ収集場所の前のおじさんに会いました。「今日はいい天気ですね」と声を掛けると、「最近は雨ばっかりでうんざいりしていたところなので今日は気持ちがいい」と久しぶりの上機嫌です。でもその後の言葉がまた変わっています。「雨も降らんと傘屋が困るから」と2軒隣の傘屋さんの心配までするのです。追い討ちをかけて「天気はいいが夏の水不足が」と満足どころか不足不足のマイナス的話になってしまうのです。「ああこの人は寂しい人だなあ」と思えました。人生をこうして嘆き悲しんで過ごして一体どんな得があるというのでしょうか。

 「雨が降ったら傘屋が儲かり、晴れれば桶屋が儲かる」は昔からの諺です。雨を嘆くより傘屋が儲かると思えばいいし、晴れれば桶のタガが緩んで桶屋が儲かると思えばいいものを、その反対ではいつも心配の種は尽きないのです。おっと要らぬ話を書いてしまいました。ごみ収集場所の前のおじさんにはこの記事のことは内緒にしておいてください)。

 日々の暮らしは毎日飽きもせず続いています。ゴミを出すという行為も長い間妻の仕事でした。でも昨年からは出来るだけ自分で出来る仕事は自分でしようと心に決めて妻の領域も侵しています。「お父さん今朝もゴミを出してくれたの。お陰で助かります」とは妻の弁。子どもではないのですから別に褒められようと思ってした訳ではないのですが、妻の一言は私の心をすがすがしくしてくれます。カラスに言ったって仕方がありません。感謝して生きるようにしたいものだと隣のおじさん、ゴミ収集場所の前のおじさん、妻を見て感じた次第です。

  「雨嘆き 晴れを嘆いて 生きている あの人少し 疲れているかも」

  「カラスにも 生きる権利が あるようで 毎日人と 知恵を比べて」

  「ゴミ掃除 余程の精神 あればこそ あんなおじさん 身近な見本」

  「さあ今日も ゴミ出し少し 手助けを 感謝の言葉 嬉しくなりて」 

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