shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年5月18日

○人間牧場から始めて撮影した夕日

 双海町の夕日は夕日のメッカシーサイドふたみを基点にすると、夏至の日に最も来たよりのコースを通り」山口県周防大島旧東和町辺りに沈みます。また冬至の日には最も西よりのコースを通って大分県大分市辺りに沈むのです。したがって人間牧場からは自慢の夕日が残念ながら冬場は山の端を通るため見えないのです。でも昨年一年を通じて観察してみると何度か綺麗な夕日が見えました。しかしその時に限ってカメラを持っていなかったり、見とれて写真に撮るのを忘れていたりと、散々でしたが、先日のツリーハウスの棟上の日、万全とは行かないまでも夕日を見ることが出来たので思わずシャッターを押してしまいました。この写真が人間牧場で始めて撮影された夕日なのです。

 今年は例年になく黄砂がひどく、沖合いに浮かぶ島々も黄砂で煙って見えない日が何日も続きましたが、それでも黄砂が降るとまるでファインダーをかけたような優しい色に見えるのです。この日は夕日が作る金の道が海の上を夕日まで綺麗に続きました。私は水平線の家付近から撮影しましたが、手伝いに来ていた仲間はもっと海に突き出た五右衛門風呂のデッキから見ていましたので、「今日の夕日は綺麗で感動しました」と言っていました。

 今年はつい最近になって雨の日が多く、自慢の夕日も中々拝めませんが、それでもやはり海に沈む夕日は美しく、何時までも見続けたいような雰囲気でした。夕日を見て感動する子どもが少なくなったと、作家の早坂暁さんはテレビの出演をご一緒したときしみじみと言っておられました。私もそう思います。今の子どもは夕日が沈む頃、頭に「必勝」などと書かれた鉢巻を締めて塾で勉強しているのですから、見ようと思っても見れないのです。親も夕日の美しさで感動しても飯が食えないと、点数を気にするこの頃の風潮なのです。でも「赤トンボ」に歌われた野口雨情の詩ように、感動する心は何時までも忘れることのできない心の宝物だと思うのです。私はその感動する心そのままに、これからも人間牧場から見える様々な原風景をカメラに収めたいと思っています。

 人間牧場の入り口の筍がもう背丈ほどに伸びていました。雨後の筍とはよく言ったものです。しもうた。あの筍も被写体としては面白いと今になって悔やんでおります。まあなにはともあれ、忙しさの余り周りが見えなかった私ですが、人間牧場から夕日が見えることを写真で実証できただけでも良しとしましょう。

  「牧場の 向こうに広がる 海の上 夕日が尾を引き ゆっくり沈む」

  「今までは 夕日すら見る 暇もなし 自慢がもう一つ 嬉しくなって」

  「この夕日 俺の宝と いいたいが 一人じゃとても 味わいきれぬ」

  「海夕日 見える場所に セカンドを みんな夢見る 金が出来たら」

 

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