shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年5月16日

○棚田の風景

 最近は俳句や短歌の季題や季語が分らないくらい人々の暮しが大きく変化してきました。例えばスイカは年中あるし、旬と言われる食べ物だってお金を出せば年中食べられるのです。また生活や生産の現場でもそうした国民の多種多様な価値観に応えるため、高い油を使ってハウスみかんやハウスさくらんぼを作って大都会へと出荷しているのです。まあ金儲けが出来るのですからそれはそれとして良しとしておきましょう。

 昨日人間牧場への行っての帰り、人間牧場の下で機械の音がするものですから、ついつい車を止めて足を止め眼下を見ると田植えが始まっていました。ここら一体は私たちが子どもの頃は、全て棚田の広がる美しい地域でした。春のレンゲが咲く頃には弁当を持ってよく遊びに来たものです。また夏の青田や秋の稔り田も美しかったのですが、6月の田植えをする前の水を張った光景は空の青さを写して何ともいえない風景だったことを今でも思い出せるほど目に鮮やかでした。

 しかしその棚田も高齢化や他作物への転換で次第に狭められたり歯抜けになっていますが、かろうじてこのような美しい田んぼが何枚か残っていたので、思わずパチリ写真に収めました。

 棚田の田んぼは目には美しく見えるのですが、その作業たるや大変な重労働です。田んぼの広さより畦のほうが広いといわれる高い畦の草刈は大変です。また耕運機も回転が出来ないほどの狭さに田植え作業は危険と隣り合わせです。更には水を谷から引いてくるのも毎日の水管理もこれまた一苦労でしょう。その割には実入りが少ないのが棚田なのです。こんな日本の風景を残せるのは行政が支援し、住民が支援しなければどんどんどんどん消えて行くのです。先日もこのことを産業建設課の職員に話したら、「私たちは減反政策も進めなければなりません。棚田が減ることは減反がやり易い」と少し胸を張っていました。こんな職員では棚田などの価値観を議論するだけ野暮だと諦めました。この棚田には多くの農村の歴史や文化が隠されているのにと残念でなりません。

 棚田の田植えのための農作業も随分早くなりました。五月には田植えをして台風の来る前の9月ごろには収穫です。棚田の稲木に掛けたお米も是非譲ってもらい、人間牧場で炊いて食べてみたいものです。もう少し元気だったらあの棚田をみんなの力で守って見たいと思いましたが、それも叶わず残念至極です。

 田舎にはこうした気付かないがその目で見れば美しい姿がいっぱいあります。少しずつ写真に収めて記録するようにしたいと思っています。カメラの嫌いな私が大変身です。

  「蛙鳴く 棚田の水面 美しく 思わず見とれ 写真にパチリ」

  「音がする 方角見れば 棚田なり 田植えの準備 日増しに整い」

  「棚田など 減反すれば いいんだと 言わんばかりの 人に幻滅」

  「棚田とは 祖父の築いた ピラミッド 畦の石垣 ひとつひとつに」 

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