shin-1さんの日記

○「何か質問はありませんか」

 講演会場で講演が終わり、司会の方が「何か質問はありませんか」と参加者に質問を促しますが、一向に質問が出ず、「それでは質問もありませんのでこの辺で本日の講演会は終わらせていただきます」と拍手を求めて終了する会合は以外と多いようです。その原因は講師の話が質問に値しなかったのか、参加者の意識が低いのかどちらかでしょうが、もうひとつ考えられる原因はそんな月並みな集会を仕組んだ主催者側にも大きな責任があるようです。つまり研修会は主催する人、話をする人、話を聞く人の三角関係で成り立っているのです。その束ねはやはり主催する人ですから、誰の話を誰にどんな目的で話させ、どんな成果を求めるのかが明確でない場合に得てしてこんな結末を迎えるのです。

 「桜をつくる」という言葉があります。前もって講演会の終了後に講師に質問をしてもらう人を頼んでおく手法です。これを「やらせ」ともいいます。普通は話しなれた参加者を2~3人ピックアップして頼むのですが、会場の雰囲気を上げるために「私は司会者から発言を頼まれましたいわゆる桜です」なんて種証をしてから発言する人もいて思わず大爆笑なんてことも経験しましたが、質問はその人の大きな能力と言えます。

 人の話しを聞いて要点をまとめ、その話の中で起こった様々な疑問やもっと深く聞きたいことを要領よく相手と参加した人に向かって話すことは容易なことではありませんし、その訓練が出来ていなければ折角の発言も水を差すどころか冷水を浴びせることにもなりかねないのです。その意味で質問力はその人の「総合力」だと思うのです。

 「正法眼蔵隋聞記」という本に「道を学ぶ人が教えを聞くときはよくよく追求して聞きただし、その上分らないことは重ねて質問して疑いのないようにしなければならない。質問すべきことを質問しない、言うべきことを言わないで過ごすことは自分の損害である」と述べています。

 講演会場を出て、「今日の話は面白かったが、もう少しあのことが聞きたかった」「私も質問しようと思っていた」などと会話を交わしながら去って行く人をよく見かけます。これでは何のための1時間半であったのか疑いたくなります。私は人の話を聞くときメモを取りながら、「私だったらこう思うとという要点や質問事項を書くよう心がけています。ですから「若松さんあなたはどんな考えですか」と尋ねられても即答できるのです。聞く、理解する、整理をする、質問して自分の意見を述べ更に理解を深めるなどなど、まさに総合力が

自分の知識を知恵に変えて行くのです。漫然と時を過ごしてはなりませぬ。

  「質問が ない会なんて 何のため 開いた意味が 分らず終い」

  「言うべきを 言わず言うなと 言えば言う 言うことあらば 言えばいいのに」

  「質問は ないかと聞くは 美辞麗句 俺は桜と 言って爆笑」

  「質問も その人値打ち 上げるコツ よくよく聞いて よくよく質問」

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