shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年5月3日

○88歳の親父を語る①

 私には二人の親父と二人の母がいるはずなのですが、そでに妻の父母と私の母は既に亡くなっているので、私のルーツは父の誕生日である大正7年9月1日から前へ遡ることはできないのです。父は父の父母である私の祖父母から生まれる前のことを色々効いて育っていますが、それは聞いた話なのです。ですから父が生まれてから今日まで生きて見聞きした話から4~5歳年齢を引いた80年余りの出来事しか正確には伝わらないのです。私はその父親から一体何を聞き、何を覚え、何を誰に伝えればよいのでしょうか。私の父はこの時代の人の殆どがそうであるように文字を持たない世代なのです。生まれて間もなく行くであろう学校にも貧乏が故ろくに行けず、少年の頃から大家族の長男としての重圧の中に生きて家族を支え続けた人生は「おしん」のドラマと同じような苦しい人生であっただろうと思います。その文字を持たない親父にとって気がかりなことはは、後何年生きて、後どのくらい自分の持っているものを伝えられるかではないかと思うのです。船に乗って漁師を70年間もした親父は瀬戸内海を漁場としながらあえて外海に挑んだり、晩年は海の資料館「海舟館」を造るなど得意な生き方をしたため、文字こそ少ないもののそこここに目で見える形で生きた証が残っています。でもこれとて私という口伝者(筆伝者)がいないと次代へは伝わらないのです。幸い私は7年間の短い期間にせよ父と同じ漁師を若い頃経験していますので、父の経験の口伝者と同時に筆伝者として最適な一人であることは間違いありません。ですから本当は父の思い口を開かせ、生きているうちに生まれ育った下灘という漁村の民俗学を少しでも文字にしておきたいのです。

 父の生きた時代や下灘漁村の暮らしは速いスピードで記憶の彼方へ消え去ろうとしています。多分私が手を加えなかったら気付かずに消えていく運命にあるのです。漁村のあれこれは私と同じような思いを持った人たちがその都度私を介して取材にやって来て口述文字にしていますが、残念ながら文章表現は先生らしく上手いものの暮らしや生産活動の共有がないため入り口までで止まっていますし、それらを読んでもこれまた読む人に暮らしや生産活動の共有がないので殆ど伝わらず、老漁師の戯言として消えて行くのです。

 

  昨日私は、わが家の庭の余りにも美しいつつじの花をデジカメで撮ってブログで紹介しようと思いつきました。若いごろガンで顔面を手術した後遺が残っているため、余り写真の好きでない父が菜園で野良仕事をしていたので、「じいちゃん、写真を撮ってあげる」とカメラを向けると「こんな汚い格好で」と嫌がりましたがカメラに収まりました。これがわが人生のルーツである父・若松進・88歳なのです。

 子どもが生まれると今の親はカメラやビデオで成長の記録をします。日々老化する親父の記録も意味があるのかも知れません。そうだ「老化する人間の記録」を、父には悪いのですがやってみよう。

  「偶然に 花と一緒に 撮りました 八十八年 生きてた証」

  「この花も この父さえも 惜しまれて いつかは散りし 定めありなん」

  「ポーズとる つもりが軍手 脱ぎ忘れ それでも片手 花に沿えつつ」

  「五年前 あそこの屋根は 無かったな 親父しみじみ 流れをポツリ」

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