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〇送られてきた「まんでぃ」という写真集

 鹿児島県瀬戸内町から「まんでぃ」という一冊の写真集が送られてきました。写真集といっても224ページにも及ぶ旅雑誌風の本格的なもので、この一冊があれば瀬戸内町の全てが分かるというほど微細に編集がされていて、正直驚きました。

 瀬戸内町という名前を聞けば素人は、中国地方と四国地方に囲まれた瀬戸内海のどこかを連想するのでしょうが、瀬戸内町は鹿児島県奄美大島南西部に位置し、鹿児島県といっても鹿児島市内から奄美大島名瀬にある奄美空港まで飛行機で約1時間、フェリーだと気の遠くなるような11時間もかかるのです。奄美空港から名瀬市内へ約1時間、名瀬市内からバスだとさらに1時間30分かかる日本の国内の外国という表現がぴったりする遠隔な土地なのです。

 マングローブの海岸線を通って中心地古仁屋に着きますが、瀬戸内町は奄美大島本島部(人口8,424人)と加計呂麻島(人口1,454人)、諸島(人口148人)、与路島(人口102人)という3つの有人島で構成されている人口10,128人の町なのです。

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 瀬戸内町とのご縁は、もう20年も前に鹿児島県庁地方課の招きで鹿児島で開かれ市町村研修会に出かけた折、私の話を聞いた担当者がわか瀬戸内町でもと声をかけてもらい、何度か講演で足を運んだのがきっかけです。その後瀬戸内町の若者たちが大勢わが双海町へもやって来て、当時は物産交流にまで発展、瀬戸内町から送られたデイゴの木はシーサイド公園に植えられ、今も夏になると昔を懐かしむように真っ赤な花を咲かせているのです。
 送られてきた封筒を開けると中から一冊の本と共に一枚のポストカードが出てきました。瀬戸内町役場まちづくり観光課に勤める重村さんからのメッセージでした。重村さんとは今は細々年賀状程度の交流ですが、時々懐かしくなってお互いが電話で声の交流をしています。重村さんは若い頃相撲で全日本のチャンピオンになったほどの実績を持っていますが、過去の経緯や風格とは似ても似つかぬほど文化的な人で、こんな立派な仕事をこなしているのです。

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 「まんでぃ」の表紙の「南の島 天気は良好 旅の目的は ぼんやり」や、ポストカードの「なんにもないけど夕やけ 見においで」という短いメッセージが私の旅心をくすぐりました。瀬戸内町の加計呂麻島といえば寅さんシリーズでマドンナ役の浅丘ルリ子さんと共に登場する諸鈍のリリーの家を思い出します。私の町の下灘駅も寅さんがらみで知られていて、不思議なご縁を感じながら見学したことをお思い出しました。リリーの家の前には山田洋次監督が「寅さんは、今も加計呂麻島のあの美しい海岸で、リリーさんと愛を語らいながらのんびり暮らしているのだろう」とコメントした言葉を思い出しながらページをめくりました。

 また巻末のマップを見ながら、加計呂麻島西阿室で見た美しい夕日を思い出しました。わが双海町にも日本一といわれる美しいい夕日が西瀬戸に沈むのです。西阿室の人が知ってか知らずでか「西阿室の夕日は日本一」と自慢していたことを苦笑しながら聞き入っていたのもつい昨日のような出来事です。

 私の家の横にある私設公民館煙会所から分家した、第十七縁開所は今どうなっているのだろう。私もあれから国土交通省の観光カリスマ百選に選ばれ、瀬戸内町加計呂麻島のことを全国各地でずいぶん話したなあ。重村さんやその後町会議員となったと風の噂で聞いた池田さんは元気だろうか。リリーの家の近くのデイゴの大木は今年もそろそろ綺麗な花を咲かせるだろうなあ。などなど妻と二人で重村さんから送られた写真集をめくりながら心の中でつぶやきました。そしていつか瀬戸内町へこの写真集を持って妻と二人で旅をしたいと思っています。いつになることやら・・・・。



  「まんでぃと いう本瀬戸内 送り来る 懐かしくなり ページめくりて」

  「あの町を 再び訪ね 寅さんや 夕日まつわる 話がしたい」

  「美しい 加計呂麻島を 見せたいと 妻に話すが いつになるやら」

  「なにもない ゆえにのんびり 夕日見に おいでと誘う カード気に入る」

  

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〇雨の中でのイモツル植え(その②)

 昼食が終ると子どもたちは各班で案山子作りに挑戦しました。スタッフが張ったブルーシートのテントの中で持参した布切れを使って思い思いの案山子を作るのですが、雨脚が強くなり立ったままでの作業はかなりしんどかったようですが30分ほどで5体の案山子が出来上がりました。天気になったらイノシシ除けとして収穫までの約5ヶ月を案山子たちは人間牧場の農場で過ごすのですが、昨年は大栄地区から借りた2体が監視してくれたにもかかわらず昨年は3分の1がイノシシの被害を受けました。今年こそいい結果を出したいと思っています。

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 サツマイモのツルをどのように植えるのか私が説明をして子どもたちは手スコップを持って一斉に畑へ入りました。ぬかるんだ赤土に足元を取られ、スッテンコロリン転ぶ子どももいましたが、まるで溝鼠のようになりながらも30分ほどでどうにか植え終わりました。マルチを破り過ぎたり、植えたはずのイモツルが飛び出たり、納得いくほど美的ではありませんでしたが、これもワラって済まされる許容範囲なのです。

 鉄の杭を打ち込み回りに頑丈な網を張る作業はスタッフが行い、何とか作業は終りました。天気がよければ子どもたちに足湯のサービスをする予定でしたが泥んこになっているのでそれも叶わず、私は溜めた足湯用のお湯をバケツで汲んで、子どもたち全員の手ににお湯を掛けて粗ってやりました。足湯ならぬ手湯がとても気持ちがいいとみんなが喜んでくれました。

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 看板を掲げる暇もなく、何とか雨の中でのプログラムを終えて子どもたちは汚れたまま人間牧場を後にして下山しましたが、雨ゆえの思い出も子どもたちにとってはいい経験となったようです。

 一通り片づけを終えてスタッフが帰り雨音のみの静寂が戻った人間牧場で私は、雑巾を固く絞って水平線の家の板間を綺麗に拭き、トイレと土間、かまど小屋の清掃などを終えて、最後はロケ風呂の掃除をしました。ふと我に返ると汗びっしょりになっている自分に気がつき、余ったお湯を楽しもうと素っ裸になって風呂の中へ飛び込み、一人入浴を楽しみました。遠く近くでキジの鳴き声が聞こえ、ロケ風呂から雨に煙った豊田漁港がかすかに見えました。眺望の彼方に見えるであろう由利島で30年も前に無人島キャンプで台風に遭った時の思い出が懐かしく蘇りました。身支度を整え4時前に下山途中、事務局の赤石主事さんから子どもを無事送り届けたと報告の電話を受けました。

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(今朝の天気図)

  

  「うたかたの 夢をみながら ただ一人 風呂に入りて 自動シャッター」

  「ああ今日も いい仕事したと 満足し 固く絞った 雑巾掛ける」

  「松本や 中尾米湊 顔揃え ただ黙々と ボランティアする」

  「中学生 すっかり大人 顔をして 子どもの世話に 汗を流しぬ」

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〇雨の中今年も子ども体験塾がスタートしました(その①)

 3日前に四国は梅雨に入って雨模様、加えてこの時期には珍しい超大型の台風接近とくれば、青少年の健全育成プログラムは普通延期、若しくは中止というのが常識です。ましてや4~5日前からこの天気予報は分かっていただけに、実行委員長の私も、事務局である教育委員会も随分悩みました。「もし事故があったら誰が責任を取るのか」といった無責任な責任論も頭を持ち上げたのも事実です。しかしこのプログラムは社会教育であり非日常で安全な冒険活動を最大の売りにしているのであれば、むしろ私がいつも持論としている「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」を実践することこそ最高の成果を収めることができると、実行委員長として開催にゴーサインを出し、最善の注意を払って朝早くから準備を始めました。

 まず私は軽四トラックに荷物を積んで7時過ぎに人間牧場へ向かいましたが、台風接近といいながら雨はかなり強く降っているものの風は殆どなく、子どもたちが歩く登山道も落石や倒木の心配もないようでした。人間牧場へ到着するとまずメイン会場となる水平線の家の大掃除にかかりました。粗ゴミを箒で集め、綺麗に掃除機をかけ、雑巾を固く絞って床の雑巾掛けをしました。先日年輪塾の浜田さんの協力を得てワックスを掛けていたのでそれ程汚れてはいませんでしたが、これは私流の客を迎える準備体操のようなものなのです。

 次ぎは子どもたちに足湯をサービスするため、五右衛門風呂の風呂釜を洗い床の雑巾掛けをし、その後かまどの掃除をして清掃は一段落です。そのうち朝早くに電話をして早めに手伝ってもらうようお願いしていた松本さんと宮栄公民館長が上がってきたので、芋を植える畑の畝立てとマルチ掛けの作業に取り掛かりました。

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 畑は前々日公民館の松田さんと松原さんの協力を得て耕運機で中耕して準備していたものの、夜来の雨水をいっぱい吸い込んだ土はぬかるんで、加えて畝を立てるための巾鍬にまとわりついて作業が難航し、雨合羽を着た通気性の悪い体からは一気に汗が噴出しました。

 ひと畝立てては黒いビニールのマルチを被せて行くのですが、普通は何ともないこの作業は三人の体力を相当消耗してまいました。家を出る時親父が持たせてくれた縄定規を張って畝を立てたため思った以上に綺麗に畝立ては終りました。本当はこの作業も子どもたちにやらせたかったのですが、あの天候では仕方のない決断でした。

 ポリタンクで持参した水をはがまに入れ、かまどに火を入れました。かまどに火を入れるのは今年になって初めてなのです。本当は外に積み上げた薪を使う予定でしたが、雨で湿っていたので、かまどの下にインテリア風に積み上げていた綺麗な薪を何本か使うことにしましたが、外に積み上げた薪も思ったほどは湿っていないようだったので、キャリーに一つ取り入れて使いました。

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 かまどの二つの焚口は勢いよく火が燃え、かまどで沸騰したお湯を味噌汁を炊く二つの鍋に移して準備は整いました。やがてスタッフの人たちが到着し、はがまに無洗米を一升づつ測って入れ、目分量の水を手先で測り、ご飯を炊き始めました。そのうち子どもたち一行も雨の中を歩いて到着し、開講式が始まりました。私は開会のあいさつがあるのでその場を松本さんに委ねましたが、松本さんは何度かこのかまどでご飯を炊いた経験があるので、こがすこともなく免許皆伝を与えてもいい美味しいご飯を炊いてくれました。

 プログラムの展開案では午前中イモヅルを植える予定でしたが、ぬかるんだ芋畑で汚れた姿で水平線の家に出入りすることができないため、急遽変更してイモヅル植えは最後の最後に変更しました。

 炊き上がった3つのはがまのご飯と味噌汁をかまど小屋でつぎ分け、小窓から差出、揃った班から食べ始めました。ギノー味噌の社長さんから貰った味噌を使った具沢山の味噌汁も大好評で、ご飯と味噌汁、それに梅干ときゅうりの和え物、沢庵だけのシンプルな人間牧場流のまかない飯は子どもたちにも大好評で、全て完食でした。


  「この歳に なっても天気 心配し 子どもと共に 一喜一憂」

  「合羽着て 汗びっしょりで 畝立てる マルチを掛けて 準備万端」

  「飯三釜 味噌汁二鍋 作ったが 全て間食 嬉しい悲鳴」

  「雨最高 思えば濡れも 気にならず 子どもの笑顔 最高でした」


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〇人間牧場雑石積み工事完成写真(その②)

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ロケ風呂横の広場が広くなりました。詰めれば車が4台くらいは置けるし、車の回転場にもなりそうです。

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作業小屋の下の斜面も石垣が詰まれて、土砂崩壊の危険がなくなりました。

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(私が青石を積んでいたウッドデッキに上がる小路もコンクリート舗装されすっかりきれいになりました。

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作業小屋の横の空き地もツワブキが移植されました。ここは次の作戦として薪を置くおだれ小屋くらいを造ろうと思っています。

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人間牧場横の荒神さんも車が脱輪しないようにコンクリートでカバーしました。

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この場所の薪を異動させ、少し整地してピザ窯を造ろうと思っています。

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着工前の作業小屋とロケ風呂周辺

  「雨に塗れ 伊予の青石 美しい 石垣工事 見事完成」

  「石垣が 増えて草刈り 少し楽 そんな気休め 間もなく消える」

  「これでまた 人間牧場 少しだけ 格が上がりて 次ぎを目論む」

  「石の癖 見抜いて上手く 組み合わせ あっという間に 美的風景」 


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〇人間牧場の雑石積み工事が終わりました。(その①)

 「何か仕事はないですか」と地元の土木業者から、私にかかってきた一本の電話が思わぬ方向に発展し、「見積もりだけでも」が「安くしておきますのでやらせてください」となって、今週人間牧場の雑石積み工事が始まりました。雨が降る頃になると気になっていた箇所だったので、わが家の大蔵大臣である妻に相談をしましたが、わが家ではただ今息子家族と道教のための大々的なリフォーム工事中で、相当な出費を余儀なくされている最中だけに、多少渋い顔をされましたが、私のへそくりを全事業費の半分程度出すという約束で、土木業者さんに仕事を頼みました。

 明くる日から土木業者さんは社長以下5人でやって来て、小型銃器を使って掘り方工事をしたり、雑石を運んで石積みを始めたりし始めました。私も先週から今週にかけて仕事が立て込んでいて、工事が気になりながらも要所要所で顔を覗かせ、チョウハリや作業手順などについて若社長と相談させてもらいました。

 先週の好天とは一転して今週は梅雨の走りや予想以上に早かった入梅のお陰で空を眺めながらの作業となりましたが、一昨日広島から帰ってみると工事完了の請求書が私の机の上に置かれていました。仕事完了の検査も行わずに請求書とは少し気が早いなあと思いつつ、妻と支払いについて話しました。

 中小な土木業者にとって月末とはどんな意味を持っているのかなどを話しながら、「どうせ支払うのだったら今朝支払ってあげたら」という妻の後押しを得て、私の持分は私が郵便局で、妻が支払ってくれる持分は妻が銀行で降ろし、郵便局のロビーで9時10分に待ち合わせをして近くの土木業者の事務所へ支払いに行きました。

 それもそのはず土木業者さんは大層喜んでくれましたが、私は昨日の朝起床して間もない5時に軽四トラックを走らせ、小雨が降る中を人間牧場へ工事完了の様子を見に行きました。乱雑だった工事現場は跡形もなく綺麗に片付けられ、雑石積みの完了した広場の土は均されていました。そしてその赤土の上に真新しい砂利が撒かれて、満足の行く出来栄えでした。

 今回の工事は5メートルほどの雑石積み追加工事や、別の箇所へコンクリートを流す工事もついでにお願いした経緯があって、42万5千円の見積もりが、税込みで総事業費は45万円に膨れましたが、追加の仕事が多かったため納得のいく金額です。これで梅雨の雨で土砂崩壊する心配もなくなりました。何よりも嬉しいのは、今日から始まる人間牧場でのk度も体験熟のプログラムに間に合ったことです。

 京は台風接近や梅雨で多少心配をしていますが、子どたちが元気に人間牧場へやって来る予定です。そろそろ準備をして出かけようと思っています。


  「雑石を 二段三段 積む工事 やっと終わりて 金を支払う」

  「通帳の 貯金残高 底をつく これから先は 夢におさらば」

  「業者さん 月末来ると 顔青く ほんのちょっぴり 人を助ける」

  「牧場も 土砂崩壊 せずに済む 転ばぬ先の 杖となりぬる」

 

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〇同じ会場で一週間に2回も講演とは(その②)

 前回は一週間前の金曜日でした。前回は稲葉さんが運転手で、会場の装飾で新居浜の十亀さんと加藤さんが同行するかなり大掛かりな講演旅行となりましたが、今回は稲井さんの奥さんの送迎つきとなりました。それにしても同じ東広島市の同じ会場で、一週間に2度も講演をする偶然は滅多にないハプニングなのです。

 昨日の講演会は青少年育成東広島市民会議の総会の後の記念講演でした。総会に出席する市長さんからすれ違いざまに名刺を渡されましたが、とっさのことだったので私は名刺を渡す機会を逸してしまいました。舞台裏の控え室で遠くで聞こえる総会のやり取りを聞きながら一時間ほど、お茶をいただきながら過ごしました。係りの女性が、「一週間前の講演の模様が話題になっているようで、今日は予想以上に参加者が多く満席です。私もあなたの話を楽しみにしていました」と嬉しい言葉をかけてくれました。

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 紹介を受けステージに上がり会場を見渡すとまさに満席状態でした。稲井さんの奥さんも最前列に座って手を振ってくれました。さあ気合を入れて話そうと始めましたが、90分の持ち時間は会場の反応も最高潮で、あっという間に終ってしまいました。前回は下の写真のような大掛かりな舞台装置でしたが、今回はそれもなく立派な花が活けられ、穂わーとボードを使っての講演となりました。もう少しのところで用意していたDVDの映写を忘れるほど盛り上がった講演会となりました。最後に主催者から謝辞や花束までいただき無事大役を果たしました。

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 今朝メールを開けると、昨日の講演会に参加した「7人の子どものお母さん」からお礼のメールが届いていました。「今日のお話はためになりました。『毎日の積み重ね』子どもには言っていますが、果たして私は??。今日はありがとうございました」短いコメントながら嬉しい反応です。みんなの心に響く話をすることに越したことはありませんが、そんな大それたことは考えてもできないことです。でもたった一人の母親の心の扉を叩けただけでも大きな喜びなのです。


  「同じ場所 別の講演 ハプニング 最初練習? 今度本番?」

  「満席の 会場講演 大爆笑 こちらも吊られ その気になって」

「七人の 子どもの母親 メールくれ 嬉し反応 お返しメール」

  「雨の中 高速道路を ひた走り 日帰り旅を 楽しく終る」


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〇講演に出かけて昼寝とは(その①)

 昨日は朝から雨模様の中を、講演を頼まれた広島県東広島に向かいました。午前8時過ぎに自宅を出て伊予インターから高速に乗り、松山自動車道~今治~しまなみ海道~福山~山陽自動車道~高屋ジャンクションインターと、少しスピードを緩め気味に走りました。本当は西条インターの方が近いのですが、高屋でボディショップを営む稲井ご夫妻に会うため高屋で下りました。半年前に、そして一週間前に訪ねた時は友人の稲葉さんが運転をしていたので、助手席の私は道をはっきり覚えていないのです。それでもさすがに一週間前に訪ねた場所なので、おおよその見当で走ってもボディショップは直ぐに見つかりました。

 たった2度(本当はわが家へ来られて3度目かな)の出会いなのに、ご縁とは不思議なものでまるで親類のような間柄で会話をして、ただただ嬉しい限りです。稲井さんの奥さんから前日電話があって、一週間前に届けた甘夏みかんを使ってマーマレードを作ったのでお土産に用意しているとのことでした。私も妻が持たせてくれた一升瓶入りの手造り梅酒を2本持参し、早速3人で水で割って試飲しました。

 ご主人は古い軽四自動車を使って電気自動車を試作していました。早速稲井さんの作ったという車を見せてもらい、おまけに広い工場の敷地内を運転までさせてもらいました。私にとっては電気自動車の運転は生まれて初めての体験なので、稲井さんが私のカメラで記念に写真を撮ってくれました。失礼ながらこんな小さな町工場で電気自動車が出来る時代になったのですから驚きです。この自動車は商工会の助成を受けて試作しているそうですが、近いうちに陸運局の車検を受けてパスすれば、公道を走れるのだそうです。

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 稲井さんご夫妻と3人で会社の事務所内にある休憩室で昼ごはんをいただきました。お寿司や味噌汁、卵焼きなどに舌鼓を打ちながら楽しい会話をしました。そしてご夫妻のご配慮で休憩室で横になり、毛布をかけてもらって30分ばかり昼寝をさせてもらいました。私は年中旅をしているので、どこででも直ぐに眠れるよう訓練ができていて、この30分の昼寝はとても有難いプレゼントでした。このところ風邪を引いて体調が今一だっただけに、午後の講演の大きな力となりました。

 車を工場へ置いて稲井さんの奥さんの運転する車で、会場となっている西条駅近くの文化会館へ到着すると、係りの人が雨の中で私の姿を見つけ、メールで連絡をもらった予定の場所へ誘導してくれました。少し雨脚が強くなって、参加者の出足が気がかりでしたが、何と会場は満席だと係りの人が喜びの表情で知らせてくれました。

  「驚いた こんな小さな 工場で 電気自動車 できるだなんて」

  「遅れてる? 電気自動車 初運転 音もしないで 静かに動く」

  「夏みかん マーマレードに 早替わり 梅酒の瓶と まるで交換」

  「四畳半 隅で昼寝を 楽しんで 充電完了 講演パワー」



 


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〇甘夏みかんの実る頃

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 私のブログの今月の表紙写真は甘夏みかんです。わが家の家庭菜園には甘夏みかんが沢山実をつけています。もう初夏だというの何ともお粗末な話です。本来秋に色づくみかん類は少なくとも3月末までには収穫しなければ母樹が弱ってしまうからです。甘夏みかんは収穫すると追熟が進んで、しなびたり腐ったりして保存が難しく、木にならしておくと追熟も進まず、多少落果はあっても保存にぴったりなのです。

 昨日は近所に住む姉夫婦が東京にとついでいる娘に送ってやりたいと、キャリーを持って採りに来ました。私もイモヅル植えが少し早めに終ったので、キャリーを持ち出して2箱ほど収穫しました。この時期甘夏みかんを送るのは北海道の井田さんや船木さん、それに高松の溝渕さんです。いずれも無消毒なわが家の甘夏みかんを使ってマーマレードを作って楽しんでいるようです。特に溝渕さんには「送るから」と言っておきながら発想が大幅に遅れていて悔やんでいるのです。


 昨日は急な思いつきで、東日本大震災に遭われた四人の人にも甘夏みかんを送りました。こんな時期に食べてくれるか不安でしたが、安否も確認済みなので多分喜んでくれるだろうと、甘夏みかんにわざわざ2~3個葉っぱをつけて送りました。

 四国はもうすっかり初夏の装いです。甘夏みかんの木には黄色いみかんと共に真っ白い花が咲いています。また新芽も伸びて、早くも秋の実りを予感させるのです。伊予みかんを送ってくれる今治市大西町の大河内結子さん、清見タンゴールを送ってくれる伊方町三崎井野浦の塩崎満男さん、清見タンゴールのジュースを送ってくれる浅野広海さん、清見タンゴールや小夏を送ってくれる八幡浜日土の清水和繁さんなどなど、みかん所愛媛ならではのみかん交流に感謝しながら、昨日私が全国の仲間に送った甘夏みかんはトラックに乗せられ、今頃どんなたびをしているのでしょうか。


  ふと「みかんの花咲く丘」という歌を口ずさみ、書棚から一本のハーモニカを取り出して吹いてみました。時ならぬ朝のハーモニカの音に驚いて、妻と孫が書斎に集まってきました。「じいいちゃん上手」と褒めてくれました。さあ今日はこれから、しまなみ海道を走って東広島へ講演に出かけます。今日も忙しい一日になりそうです。

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〇風邪を引いて体調が思わしくないというのに・・・

 「お父さん、今日は一日中家でじっとしていて下さいね。早く風邪を治さないと大変なことになるから、私の言うこと絶対守ってね」と、仕事に出かけて行く妻からきつく釘を刺されました。それもそのはず、このところ風邪気味だった私の体を心配して、薬を飲ませたり滋養になるものを食べさせてくれたり、昨日などは「肩こりから来ているのかも知れない」と肩にサロンパスを張ってくれたり、まあ大変な献身ぶりです。「こんなんだったら、いっそ毎日風邪を引いていた方が優しくしてくれるのでは?」などと思ったものです。

 そんなこともあって同居人の孫希心を近くの保育所へ連れて行って帰ってから朝方は、薬を飲んで書斎で原稿を書いていました。そのうちもう一人の孫奏心が時々書斎をのぞいて、「じいちゃん遊ぼう」というので外に出てぶらぶらしていましたが、昨日は人と会う約束が数件あって、次々と人がやって来るのです。その中には人間牧場行きを所望する人もありましたが、丁重にお断りをさせてもらいました。

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 そうこうしている内に、昨日松山へ行った帰りに苗屋で買ったサツマイモの苗のことを思い出し、自宅横の家庭菜園に耕運機を引っ張り出してその作業を始めました。中耕した後巾鍬で畝を立て、黒いビニールのマルチを敷いてカッターで穴を開けた場所へイモヅルを差し込んで行くのです。50本1600円と少々高い鳴門金時の苗を三十分ほどの作業で植え終わりました。

 手を洗って部屋へ入ると同時に電話が入り、人間牧場の雑石積み工事のことで人間牧場へ来て欲しいとの連絡です。運悪く昨日は息子が軽四トラックに載って出勤していたため、仕方なく単車を引っ張り出して人間牧場へ向かいました。梅雨間近な爽やかな気温といっても、単車で走ると外気温がもろに体に当り少々肌寒く感じ、鼻水シュンシュンとなってしまいました。

 工事は順調に進んでいるようで、生コン車の運んだ生コンが少し余ったので何処かへ遣わないかと相談を持ちかけられ、昨年私がついた石積みの上に流してもらうよう頼みました。これで外からウッドデッキへ上がれる道が綺麗になりました。

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 そうこうしている内に、教育委員会の松原さんと松田さんが、農場の中耕にやって来ました。松原さんが昨年に引き続き自宅から耕運機を持ち込んでくれたのです。あいにく工事中だったので三人で手で持ち上げて難儀難儀下の畑まで運びました。

 松原さんは農家の息子さんだけあって、爪を取り付けたり外したりしながらものの30分ほどで作業を終え帰って行きました。担当の赤石さんはあいにく出張で留守でしたが、これで何とか今週土曜日の芋づる植え作業には間に合いそうですが、天気が下り坂のようで少し心配しています。

 昼食時間を過ぎた12時40分頃に自宅へ帰りましたが、少し汚れた私の姿に妻は落胆していましたが、まあ風邪も何とか快方へと向かっているようです。

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  「今日だけは ゆっくり休んで くださいと 妻にこんこん 言われたけれど」

  「雨上がり 溜まった仕事 こなしつつ 今日も何とか 一日終る」

  「雨近し 天気予報が せかすから あれやこれやと 晴れの合間に」

  「真っ白い 卯の花咲いて 夏近し 空色そんな 予感させつつ」 

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〇フーテンの寅さんとのやり取り(その②)

 フーテンの寅さんと私のやり取りは、今日の私のブログ「フーテンの寅さんとのやり取り(その①)で紹介したとおりですが、ふと気がついて私の自著本「昇る夕日でまちづくり」をめくってみると、225ページに「寅さんの寝像を造りたい」という小見出しで文章を書いてます。

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 昭和52年フーテンの寅さんこと渥美清が、往年の大スター嵐勘十郎が大洲を舞台にお殿様として出演した寅さんシリーズの第19作目「殿様と虎次郎」のロケのために山田洋次監督とともにやって来たことは前にも書いた。

 寅さんは下灘駅のプラットホームのベンチに横になって夢を見ている。鞍馬天狗と自分をダブらせ、新撰組に負われ、馬で必死に逃げようとするが、黒頭巾が目をふさいで上手く逃げれない。「お客さん、のぼりの列車が来ましよ:とエキストラ役の駅長さんに起こされ、「ああ、良く寝た」と海に向かって両手を広げ、大あくびをしてストーリーが始まる算段である。

 当時私は役場の広報マンをしていたこともあり、そのロケ風景を下灘駅へ取材に行った。山田監督の許しを得て、寅さんと始めて対面し、写真を撮らせてもらった。「すみません。街の広報担当の若松という者ですが、写真を一枚撮らせて下さい」というと、寅さんは「やあ」と左手を上げて軽く会釈し、ベンチに寝ているポーズや、あの旅行カバンを持ち、縞模様のダブルの背広を羽織ってプラットホームを歩いてくれた。ものの5分ほどで、しかも返ってきた言葉は「やあ」だけの出会いだったし、死後「国民栄誉賞」をもらう大スターなんて夢にも思わなかったからすっかり忘れていたが、双海町の町政要覧には、その時私が撮影した写真が載っている。以後、虎sんとであった下灘駅のプラットホームを使って「夕焼けコンサート」を既に書いたが、あの「夕焼けコンサート」が私の出世作となろうとは、夢にも思わなかった。


 文章はこの後小見出しのように「寅さんの寝像を造りたい」という私の夢物語へと発展していますが、続きは次の機会に紹介したいと思います。

 さて縁とは不思議なもので、今日奄美大島の友人重村さんから電話がかかってきました。重村さんはアマチュア相撲の全日本チャンピオンになった人で、瀬戸内町の役場に勤めています。風の噂だと後に町会議員になった池田さんたちと共に双海町へ研修に訪れ、私も何度か講演に招かれましたが、招かれた時偶然訪ねた加計呂間島は浅丘ルリ子が出演した寅さんの映画に出たリリーの家がありました。

 いつの日かもう一度瀬戸内町の加計呂間島へも行ってみたいと思っています。実は私設公民館煙会所の分家である第17縁開所へ看板を送っていますが、その後どうなったか・・・・。これも見定めたいと思っています。とりあえず重村さんが送るといった写真集の到着を首を長くして待ちと思っています。


  「自著本に 寅さん出会い 克明に 寝像の夢は 今も忘れじ」

  「よくもまあ 連鎖反応 起こるなあ 奄美の友の 電話嬉しく」

  「そういえば 十七番目の 縁開所 跡形もなく 消えているかも」

  「大雨の 被害気にして 一度だけ 元気な声を 聞いた記憶も」 

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