人間牧場

〇今日は父の日でした
 若い頃は「母の日」があって赤いカーネーションや贈り物をして子どもたちが母親に感謝の気持ちを込めていました、しかし「父の日」はないに等しい存在でした。ある時大きくなった子どもたちにそのことを「母の日があるのに父の日はプレゼントも届かない」と少しばかり文句を言いました。

 すると子どもたちは、「お父さんは家でお母さんにあれをしろこれをしろといつも命令ばかりして、自分では殆ど何もしないで威張っている。お母さんは少し可哀想、お父さんはある意味毎日が父の日だ」と、言い得て妙なる皮肉たっぷりの言葉を返されました。

 先日松山に住む長女が他の三人の兄弟に、「父親の父の日にアップルのタブレットをみんながお金を出し合ってプレゼントしたい」と出資相談があったようです。一も二もなく賛成しみんながお金を出し合ってプレゼントしてくれるようです。お金を集める担当は長女、古いタブレットの情報を新しいタブレットに移し替える作業は愛大に勤める旦那が担当しているようですが、機種が違うため入力するのに時間がかかっているようです。少しばかり嬉しい今年の父の日でした。妻から聞くところによると、毎年父の日には子どもたちがお金を出し合って色々な贈り物をしてくれているそうです。ありがたや子どもたちです。

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人間牧場

〇大洲市田処の花菖蒲園を見学しました
 大洲市田処に住む親友亀本さんから、「神楽とホタルと花菖蒲を見に来ないかとお誘いを受けました。先月目の不具合で仕事を辞めてサンデー毎日になった妻を誘い、今日6月15日の夕方2人で出かけました。

 狭い山道、しかも夜間なので軽四トラックで出かけました。かつてあった田処小学校は学校の統廃合によってなくなり、活性化センターと名付けられた旧体育館横矢落川の直ぐ傍の畑には、地域住民が育てている花菖蒲園があり、午後7時ころ到着したので、夕暮れ時亀本さんの案内で園内を散策して少し盛りを過ぎた花菖蒲をのんびりゆっくり見学しました。

 この菖蒲園は西日本豪雨で矢落川が氾濫し、土手を越して沢山の土砂が流れ込み、再生不可能と思われる程傷んでいましたが、みんなの努力で土砂やゴミが取り払われ、立派に復元することが出来たようで、亀本さんたちの骨折りの苦労を垣間見ることが出来ました。

 本当は伊予市双海町と大洲市田処を結ぶ県道を通れば近道になるのですが、西日本豪雨で寸断され、災害から3年以上経っているというのに未だ通行止めで、今日は迂回して海岸国道を走って長浜に出て肱川沿いを新谷へまで行き、そこから矢落川沿いに時間をかけて田処まで行きました。少し遠い道よりなので、少々お疲れモードでしたが、花菖蒲の美しさに癒されました。

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人間牧場

〇ムカデの出没するシーズンとなりました
 まだ梅雨も明けていないというのに今日の日本列島は、各地で30度を越す真夏日になったところが多く、早くも熱中症のため救急車で運ばれた人が多かったようです。

 こんなに蒸し暑いと虫の世界でも暑いのか、今日は庭で大きなムカデを2匹も見つけ、可哀想ですが履いていたゴム長靴で踏み潰して殺処分をしました。ムカデは漢字で「百足」と書きますが、その名の通り足を使って体をくねらせ器用に逃げるのです。

 思い起こせばもう6~7年も前の出来事ですが、作業をするためゴム手袋をはめた瞬間、指先に違和感を感じました。とっさに「やられた」と思ってゴム手袋を外すと中から大きなムカデが出てきました。

 その内痛みとともに意識がもうろうとしてきました。運よく家にいた妻にそのことを話すと救急車を呼んでくれ、松山の日赤病院へ運ばれました。途中の三秋峠付近で意識は回復しましたが、運ばれた日赤松山病院で、「アナフィラキシーショック症候群」と診断されましたが、入院することもなく処置をしてもらい帰宅しました。

 以来ゴム手袋をする時は手袋の中にムカデが入っていないかよく注意をするようになりました。ムカデはてがわないと刺すことはありませんが、刺された時の痛さや刺された患部が大きく腫れあがるので注意をしなければなりません。今はジェット噴射や瞬時に凍り付くようなムカデ対応のスプレーが市販されていて、わが家も常備しています。

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人間牧場

〇最近演歌を聞かなくなりました
 私のような昭和19年生まれの古い人間は、残念ながら知っている歌といえば、テレビで見て覚えた演歌くらいです。青年団に入団してみんなでフォークソングを歌ったり、37年前JR下灘駅のプラットホームで夕焼けコンサートを開いてから音楽に対する向きあい方が少し変わりましたが相変わらずです。

 それでもお酒を呑んでいた若い頃は飲み屋でマイクを持ってお得意の演歌を歌い、いただいた拍手のそれが本当の評価だと思い込み違いをして、カラオケで良く歌いましたが、20年前体の都合でお酒を断ってからは、そんな機会も殆どなく過ごして来ました。ふと気がつくといつの間にかテレビの歌番組は消えてバラエティ番組やサスペンスなどにその座を奪われているようです。

先日NHKのローカルテレビに生出演して、夕日のことについて喋った折、請われてハーモニカで「赤とんぼ」「夕焼けこやけ」それに「ぎんぎんぎらぎら」という3曲の童謡を吹きました。前日予告が入ったものですから沢山の人が見ていて、多くの方々からお褒めの言葉をいただき、少々恥ずかしく照れてしまいました。

 私は講演などのついでに童謡や、若いころ流行った舟木一夫の「高校三年生」、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」、伊沢八郎の「ああ上野駅」を良く吹いて聴いてもらっています。若い人には通用せず「それ何という曲?」ですが、さすがに昭和生まれの人は良く知っていて、拍手喝さいで一緒に口ずさんだりしてくれます。こんな歌を知っている私も古くなりました。ちなみに1日5分の特訓の積小為大で250曲も吹けるようになったのですから驚きです。

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〇ウォーキング途中空からヒラヒラ
 今朝午前6時、いつものようにウォーキングに出かけました。いつものコースを歩いていると、空からヒラヒラと何かが落ちてきました。「何だろう?」と不思議に思い、よ~く見ると鳥の羽根でした。

 田舎ゆえカラスの黒い羽根やトンビか鷹の縞模様の羽根が落ちているのを時々見かけますが、野鳥の鳥インフルエンザが人間にもうつるというニュースを最近テレビで聞いたばかりなので、拾うことをためらいましたが、私の好奇心が先んじて、別に重くもないので拾って持ち帰りました。

 遊び心でその羽根の根元を削って尖らせ、書斎の5段式の小物入れの4段目隅に置き忘れるように入っていたインク瓶を思い出して取り出し、インクをつけてペンに見立て、下手糞ながら自分の名前をサイン風に「shinichi wakamatsu」と英語で書いてみました。

 それなりに書けましたが、まるで昔の万年筆のような感覚でした。使った後ペン先をティシュで綺麗にインクを拭き取り机の上のペン立てに飾りとして立てました。これまで殺風景だった机の上が何となく華やいで何やら書斎風になりました。人間が作った物ではなく自然の物は味があるようです。

 

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〇川に落ちたイノシシ
 昨日人間牧場へ草刈りに出かけるため下浜隧道を抜ける近道を走っていると、隧道奥の人家付近に5~6人の顔見知りの人が集まって橋の上から川底を見ながら話し込んでいました。何があったのか気になったため、車を降りてみんなの視線の先を見ると、70~80㎏はありそうな大きなイノシシが横たわっていました。

 後ろ足は怪我をしていましたが、まだ生きていて時折牙をむくような仕草をしていました。顔見知りの人たちは近所の人に加え、伊予市役所の職員さんたちでした。その昔近所にする畳屋さんの息子さんが手負いのイノシシに襲われ亡くなっているので、ヘタに手出しをしたら危ないと、市役所に連絡したようでした。

 たまたま通りかかった人間牧場近くの人が処理をすることで相談がまとまり、準備のため家に帰ったようでした。私はその場を離れ人間牧場へ草刈り作業をしに出かけましたが、帰る時現場を見ましたが、既にイノシシの姿は見えませんでした。これほど大きなイノシシゆえ、農作物の被害は相当だっただろうと推測しますが、ちょっとした田舎のひと騒動でした。

 

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人間牧場

〇愛媛鴨研究所?
 最近伊予市役所双海地域事務所の前の辺りにある元学習塾のあった場所で、何やら工事が始まっていて、「何が出来るのだろう?」と気になっていました。近所の古民家を取り壊した時貰ったという廃材や板戸障子を組み合わせて作業をしているようでしたが、失礼ながら最初はまるでお化け屋敷のようでした。

 内装工事を手掛ける店主の一柳満さん夫婦はその前に、清流橋のたもとに三津浜焼き(お好み焼き」店を開業していて、その折も店の改装は全て自分がしたようです。今回新しく造っているお店へお好み焼き店も同時に移転し併せて居酒屋も開くようでした。今日松山へ行った帰り道お店の前を通ったので、許しを得て中に入りご夫妻に案内してもらいました。

 お店の内装は既に出来上がり、先週開店したようでした。お店の入口外壁を見上げると「愛媛鴨研究所」?という大きな看板がうちつけていました。古民家風にアレンジした室内は想像以上の出来栄えで「金をかけず知恵と汗を出して造ったアイディア」がいっぱいで、まるで玄人はだしの出来栄えでした。

 私も家の横に亡くなった親父と2人で囲炉裏のある私設公民館「煙会所」、それに倉庫を改造した海の資料館「海舟館」を手造りした経験があるので、その苦労は想像できますが、一柳さんの夢と腕の一端を垣間見ました。最近双海町にデカムラさんのお店や、宿泊施設など相次いでオープンし、双海町が俄然面白くなってきました。鴨のお店に「か・も・ん」です。

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人間牧場

〇千客万来
 先日讃岐幸治先生を偲ぶ会で、受付にていきなり「地域教育実践ネットワークえひめの代表として偲ぶ言葉をおねがいします」と言われました。「聞いてない」と突っぱねましたが、讃岐先生の後任として代表を引き受けているのですから、無化に断ることも出来ず、渋々あいさつをしました。

 ところがこんなアドリブもいいことのいい加減な偲ぶ言葉にもかかわらず、参加者の反応はすこぶる良く、中には「近々あなたの話を聞きに行きたい」とか、「人間牧場を訪ねてみたい」いう人が何人も現れ、「どうぞどうぞ」とその場ではお茶を濁していました。

 数日前メールが入り、「訪ねたいのですが、土日で空いている日はありませんか」と尋ねられ、「6月8日土曜日の午前中なら何とか」と相談がまとまり「午前9時にわが家まで来てください」で会うスケジュールがセットされました。昨日の土曜日9時になったころ、「カーナビで住所や電話番号を入れたのですが翠小学校の近く」、「潮風ふれあい公園の近く」と転々として辿り着きませんでした。

 双海中学校の近くで「県道まで迎えに出ています」で、やっと到着しわが家へ案内しました。それからゲストハウス煙会所で昼までの延々約3時間、2人の教員相手に雑談めいた話をしましたが、お目当ての人間牧場へ行く時間が無くなり、結局人間牧場は次の機会に先送りすることになりました。

 そんあそんなドタバタで、結局相手の女性2人と記念撮影することも、名刺交換することもなく分れてしまいました。帰りお土産に差し上げた甘夏柑で作ったというマーマレードと、ゲストハウスの「煙会所」という看板のみの写真がメッセンジャーで送られてきました。「まあいいか。つぎがあるから~」でした。あっはっは~。

「偲ぶ会 ご縁で女性 2人組 私の話 聞きに来ました」
「カーナビで 探してみたが 分からぬと 町内あちこち 右往左往し」
「囲炉裏部屋 座布団座って 話し込む 延々3時間 面白かった」
「結局は 人間牧場 次機会 それもまた良し 分からぬままに」

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人間牧場

〇息子家族と星が岡温泉へ
 今日は松山に住む長女娘が年に一度、親孝行のつもりで妻を道後の温泉ホテルへ招待してくれるというので、昼頃娘婿運転の車でわが家まで迎えに来てくれ、午後1時ころ嬉しそうに出かけて行きました。私は来客があるので残りましたが、夕方同居の息子家族から一緒に温泉にでも行かないか」と誘われました。

 仕事も一段落したので、誘いに乗り息子の車で出かけることにしました。目的地の温泉はいつも行く松山市郊外の星が岡温泉です。その前に夕食に何が食べたいと聞かれたので、「うどん」と答え「丸亀製麺」へ立ち寄りました。私は釜揚げうどんと野菜の天ぷらを頼みましたが、息子は釜揚げの特大、高2の孫希心は何とざるうどんの特大と大、中3の孫奏心はかまたまうどんの特大にそれぞれ天ぷらとおにぎりがをつけ、まるで大相撲の力士が食べるような食べっぷりに驚かされました。

 それもそのはず高2の孫希心は身長が183㎝、中3のmq誤送信も175㎝あるそうで、納得しきりでした。温泉は土曜日ながら雨模様のためか空いていて、のんびり温泉に浸かったりサウナに入ったりしてのんびりゆっくりして帰りました。今夜は広い布団に大の字になって一人寝です。

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〇1円玉を拾いました
 今日妻がかかりつけの松山の病院へ目薬を貰いに連れて行きました。駐車場に車を止め眼科受付で処方箋を貰い病院前の薬局で目薬を受け取り駐車場へ戻りましたが、足元に何かキラリ光るものがありました。

 前を通った人もその存在に気付いていましたが、何もせず通りすがりました。私が立ちどまって足元を見るとどうやら1円玉のようでした。私は拾い上げさてどうするか考えました。

 今年の春まで私は48年間金融広報アドバイザーの職にありました。金融教育の現場で「1円玉を拾ったらどうする」、「もし100万円あったら何に使う」などのテーマで子どもたちと話し合ったことを思い出しました。

 1円玉の場合拾って子どもが警察へ持って行っても、褒めては貰いますが拾得物の受付は手間暇もかかるので、寄付をするか拾った人に貰うそうです。お金の最小単位は1円からですが、一円足らなくても物は買えません。「1円を笑うものは1円に泣く」ということわざもあります。私は拾ったことを妻に伝え妻に渡しました。百万円でなく1円玉で良かったです。

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