〇忘れることが出来ない2001年2月10日
人の記憶は次第にうつろになるものですが、私にとって2001年2月10日は一生忘れることのできない日です。そして今日は23年前の記憶が鮮明に蘇る2月10日です。
23年前のこの日午前8時43分、愛媛県立宇和島水水産高校の実習船えひめ丸が、アメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルとハワイ沖で衝突し、実習船が500mの海底に沈み、尊い生徒や乗組員9人が帰らぬ人となりました。
沈没したのは4代目の船ですが、私は高校3年生の時初代の愛媛丸(214.5t)に乗って赤道を越え珊瑚海まで遠洋航海に出かけているゆえに、随分心が痛み当時は悲しみに暮れ涙が止まりませんでした。
偶然でしょうか、2001年2月10日は、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本の出版記念パーティを、松山の本町会館7階のテルスターホールで200人余りの人たちが集まって行う日でした。マスコミ関係者はその対応に追われ欠席や中座が相次ぎました。
近年亡くなった宇和島水産高校漁業科の先輩であった玉井恭介さんは、その後追悼歌「希望海」の作詞を手掛けたりその普及に奔走しましたが、その裏話を知っていたり語る人も殆どなく、今は寂しく毎年2月10日が来る度に思い出しています。
偶然にも今日は宇和島へ足が向き母校の側を走る高速道路を通りすがりましたが、祈りの日ゆえ学校も騒々しかろうと、立ち寄るのを止め、車の中から母校の横で手を合わせて祈りました。