人間牧場

〇思わぬ積雪にビックリ仰天

 最近の天気予報は精度が高く、予報通り昨日は朝から雪が舞い、平地で昼間だというのにあっという間にそこら一面白い雪で覆われました。北国から見れば大したことのない積雪でも雪に弱いことが露呈して、スノータイヤやチェーンの用意もなく大混乱で、各地で通行止めや立ち往生、それにスリップ事故が相次ぎました。

昨日の天気図
本尊山も吹雪の中に
軽四トラックの雪を集めて喜ぶ孫希心
軽四トラック荷台の白いキャンバスに絵を画く孫希心
食卓から見える窓越しの裏庭はまるで水墨画の世界

 子どもの頃は雪が降ったり積もったりすると大喜びで、寒さや冷たさも忘れて雪遊びをしましたが、わが家の二人の孫たちにとっては今も昔も同じで、学校から帰ると外に飛び出し雪を丸めて雪合戦をしたり、軽四トラックの荷台に積もった白いキャンバスに手で絵を画いたりして遊んでいました。

 今朝起きて外に出て見ましたが、5㎝程積もった雪は解けずそのままで、今日予定していたクヌギの苗木掘り作業は夕方までできないようで、港の見える丘での準備も明日に延期せざるをえなくなりました。それでも週刊天気予報だと、人間牧場にジャガイモを植えたり港の見える丘にクヌギの木の苗を植える集会当日は天気も回復しそうなので、何とかなりそうです。

 北海道北見に住む市川さんが私のfacebookにコメント書き込みしてくれましたが、余寒厳しい北見では昨日、2月には珍しい雨が降ったそうです。勿論その雨は凍結しその上に雪が降り積もったようですが、沖縄を除けば日本列島がまるで冷蔵庫の中へ入ったような寒~い一日でした。暦の上で今日2月18日は二十四節気の一つ「雨水」です。伊予路に春を呼ぶ椿祭りも始まるようで、寒いながらも春の足音が近づいています。

「雪慣れぬ 地方がゆえに 大混乱 積雪避けて 海沿いの道」

「寒いのに 二人の孫は 外に出て キャーキャー言いつ 雪と戯れ」

「あれやこれ 雪が起こした ハプニング 夕方なれば 元の暮らしに」

「雪景色 写真に撮って 皆載せる 珍しいゆえ 私も同じ」

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人間牧場

◯冬海の夕日

ふたみシーサイド公園は昨年8月からリニューアル工事のため休園していて、一部を除いて立ち入ることができず、公園から見える自慢の夕日を眺めたり、写真に撮ってラインで紹介することは残念ながらできません。長年夕日と関わってきた私としては何となく食帳気味で、昨日のように家の前の町のシンボル本尊山が夕日に赤く染まると体がウズウズして、たまらなくソワソワするのです。

そんなこともあって昨日の夕方、思いきってシーサイド公園のすぐ横にある上灘漁港まで夕日を見に行きました。突堤の突先にある灯台までは工事中のため行けませんでしたが、綺麗な冬海の夕日を堪能することができました。天気予報通り、今日は朝から雪が降り大荒れの天気となったため、昨日の夕日見学はとてもラッキーでした。

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人間牧場

〇退化と進化

 年齢を重ねるにつれて、体のあちらこちらに不具合が生じ、病院通いや薬が増えたと、同年代の仲間と出会う度に話がそちらへ向くばかりでなく、「〇〇さんが亡くなった」とか「〇〇さんはどうやらガンらしい」などなど、噂話も後を絶たないようです。

一丁前にヘルメットを被って自転車で遊ぶ孫

 かく言う私も昨今は、向こう脛を4針縫う怪我や帯状疱疹発症、前歯の抜歯、左足の外反母趾など、体調に関する出来事が多く、特に農作業や家事労働をする度に、気力と体力のバランスが崩れつつあることを実感しています。「もう思っているほど若くはないのだから気をつけないと」は、いつも言われる妻の言葉に納得しながら受け入れています。

 先日松山に住む次男の家へ、自宅で採れた野菜を届けに妻と二人で立ち寄りました。理由をつけて3歳になる孫娘の顔を見に行くのも楽しみの一つですが、驚いたことに早くも親に買ってもらったという自転車に乗って、しかも一丁前に幼児用のヘルメットまで被り、さっそうとした姿で自宅の前の道路で遊んでいました。いやはや子どもの進化は著しものです。

 退化の一途を辿る私と、進化著しい私との距離は益々開きつつあり、数日前「イチゴジャム」という言葉でちょっとしたハプニングがありました。同居の5年生になる孫奏心が「お父さんにイチゴジャムを買ってもらうので嬉しい」と言うのです。私はイチゴジャムと言えばてっきりパンに塗って食べるジャムのことだと思っていましたが、アマゾンの宅配で届いたイチゴジャムは、何とパソコン用の基板の略称だったのです。

孫奏心は只今パソコンにハマっていて、難しい本やタブレトを使いながら遊んでいるようで、私にはどれもチンプンカンプンで理解不能なのです。「孫と言葉が通じない」、これは由々しき問題ですが、進化のスピードが速い孫に比べ、時代遅れなじいちゃんである私の退化速度は早まるばかりです。あ~あ~です。

「友人に 会うと必ず 体調の こととか噂 話花咲く」

「孫娘 早くも自転車 乗り遊ぶ 一丁前に ヘルメット被り」

「イチゴジャム 食べるものかと 思ってた パソコン基盤 言葉通じぬ」

「退化する 私に比べ 進化する 孫たちその差 開き大きい」

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〇人の死

 今は亡き私の親父は12人兄弟の長男として大正7年に生まれました。ゆえに親父を除けば11人の叔父や叔母がいる計算になります。既に半数近くは戦災や病気でこの世を去っています。従兄弟・従姉妹の数も半端ではなく、遠く離れた地域に住んでいる人たちの中には、音信も途絶えがちな人も何人かいますが、近くに住んでいる人とは今も頻繁に日常往来があり、親しい付き合いを重ねています。

従兄弟の告別式会場
葬儀後の初七日の法要

 その中で最も親しい付き合いをしていた従兄弟に下灘漁協組合長で漁師をしていた若松利光がいます。4日前自宅で闘病していましたが、薬石効なくこの世を去りました。3つも年下ゆえに私の心も複雑で、この4~5日は重苦しくも悲しい日々を過ごしました。日ごろは忙しさにかまけて人間の死など余り考える余裕はありませんでしたが、親しいゆえに通夜や葬儀、火葬、法要など生から死、そして有から無へと進むにつれ、人間は何のために生き、どこから来てどこへ向かうのか、加齢が進む自分の終末や死後のことなどを色々と考えさせられた4~5日でした。

 昨日法要を済ませ、妻と車に乗って帰る途中、そして食事を済ませ寝るまで、これからの生き方についてお互いが謙虚になって話しました。私は5人兄弟姉妹で幸いみんなそれなりに元気ですが、弟嫁は既に他界し義兄も最近病床に伏しています。妻は4人兄弟ですが兄も妹もこの世を去って兄が一人残っています。幸い私たち夫婦は今のところ色々あっても何とか元気です。「お父さん、元気で長生きしてね」と妻から殊勝な言葉をかけられました。私も相槌を打つようにさだまさしの関白宣言ではありませんが、「お前も元気で俺より長生きしろ」と返しました。

 従兄弟の一連の仏事で余り体を動かさなかったため、肩が凝ったという妻の肩を息子や孫、それに肩が余り凝らない私がこれまた殊勝にも入れ代わり立ち代わり揉んでやりました。幾分楽になったようです。さあ今日からまた新たな気持ちで従兄弟の分まで頑張りましょう。

「ああ悲し 従兄弟の葬儀 法要を やっと終えたが 心沈んで」

「生から死 有から無へと 変わり行く 人間最後 やがて自分も」

「どう生きる よりもこれから どう死ぬか 嫌でもしっかり 向き合わにゃならぬ」

「息子孫 肩が凝ったと 言う妻の 肩揉みほぐし 私も手助け」

 

 

 

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〇々から始まった従兄弟の人生

 一昨日の朝、従兄弟で下灘漁協の組合長をしていた若松利光が亡くなり、この2日間は予定したスケジュールを全て変更し、私より3つ年下ゆえ少し早い旅立ちに心沈ませ、寄り添いながら心曇らせて過ごしました。漁師一族の本家と分家という関係もあって、子どもの頃から何かにつけて一緒に過ごし、若い頃は私も彼と同じ漁師として7年間海の上で働き、青春を謳歌しました。

 私と彼が袂を分かつようになったのは私が過労で倒れ、それまでのような重労働を伴う漁師の仕事が続けられなくなってからでした。私は学歴もないのに青年団で活躍したいささかが認められて役場に入り、一風変わった役場職員として社会教育、産業振興、まちづくりなどと職種をつないで35年間余りの、地方公務員生活を送った後自由人となって今日に至っています。

 一方彼は、45歳の若さで亡くなった父親の跡を継いでこれまで、57年間漁師一筋の道を歩み歩み続けてきました。私が漁師をしていた23歳の時、NHK青年の主張で訴えた将来の夢は「下灘漁協組合長」でした。私は転職したためその夢は実現しませんでしたが、彼は10年前私の夢であった「下灘漁協組合長」になり大活躍をしてくれました。彼が死ぬ二日前下灘漁協では定期総会が行われ、病気で病の床に伏し総会への出席は叶いませんでしたが、新しく選ばれた吉野組合長にバトンをタッチしたことを見届けるように明くる日あの世に旅立ったのも、彼らしい最後の幕引きでした。

組合長が私にくれた一枚の色紙

 つかず離れず生まれ育った故郷で、別々の道とは言いながら同じように生きた彼は、私と同じように明るい性格でした。日々を楽しく生きた証でしょうか、昨夜は新型コロナの影響で蜜を避けるため、家族や親族だけのささやかな通夜の予定でしたが、100人近い参列者がマスクをして訪れ、彼の人柄の良さと交友の広さの存在感を存分に示してくれました。今日は午前8時30分から納棺、10時から葬儀と慌ただしい一日となります。笑顔で送ってやりたいと思います。

「々から 始まったはずの 人生も 紆余曲折を 経ながら結末」

「元漁師 履歴書最初 書く言葉 これがあるから 私今ある」

「70年 余りお互い 生きて来た つかず離れず それぞれ人生」

「何年か 前に貰った 一枚の 色紙生き方 示しているよう」

 

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◯久しぶりのハンモック

新型コロナの影響で同居している孫2人は、昨年の春学校が長期休校となりました。学校が休みとなったことを何とか有効に使いたいと、私と孫のの3人で5つのプロジェクトを考えました。その一つにハンモックづくりがありました。漁師さんからもらった漁網とロープを使って、想像以上に立派なハンモックができましたが、残念ながらその後もコロナの感染が収まらず、余り使う機会もなく寒い冬を迎えました。このところ寒さもコロナも一段落したと思ったのでしょうか孫たちが昨日、しまっていたハンモックを引っ張り出し庭にセットして、寝転んだりして懐かしそうに使っていました。

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〇珍客万来

 昨日の朝、息子と二人でクヌギの苗木植えの準備のため、軽四トラックに農作業道具を積み込んでいる所へ、珍しいお客さんがやって来ました。毎年私の誕生日に花束を届けてくれる、伊方町瀬戸塩成に住む緒方二三子さんが、「所用で松山へ行くついでに、海の資料館海舟館のお父さんが作った展示している船の模型を主人に見せたくて」とのことで、ご主人を伴っての来訪してくれました。

緒方さんご夫妻

 早速緒方さんご夫妻を海舟館内に案内し、あれやこれやを見て貰いました。聞けば建設業を営む緒方さんのご主人は、若い頃船大工の修行をした時期があったらしく、初めて見るわが家のガラクタ展示に興味深かそうでした。伊方町瀬戸は漁師をしていた私の祖祖父が、アメリカ式巾着網を伊方町瀬戸三机から習って導入した関係の深い地域なので、立ち話ながら大いに話が弾みました。

 本来ならゆっくりお茶でも飲みながらお話をしたいところでしたが、お互い先を急いでいたので、お茶も出さず大変失礼をしてしまったことを悔やんでいます。実は昨年親友の浜田さんと塩成を訪ねた折、緒方さん宅を急な思い付きで訪ねたにもかかわらず、シラス丼を作って食べさせてもらった経緯があり、誕生日の花束プレゼントといい大恩があるのにと、妻に随分叱られましたが、今となっては後の祭りといったところです。

 南予佐田岬半島に暮らす緒方二三子さんと私は年齢もかなり違うのに、波長が合うというのかいつも笑顔を絶やさない彼女と話していると何となく気が休まるのです。愛媛新聞てかがみ川柳にも度々投稿されていて、新聞に載る度感心しながら読んでいます。ご主人も前向きに生きてる素敵な方で、これからも折を見て出会いたいご夫婦です。

「昨日朝 岬半島 瀬戸に住む 親友ひょっこり 夫婦揃って」

「海舟館 見たいというので ご案内 ガラクタなれど 思いは詰まって」

「茶も出さず 恩人なのに 不義理した 妻にお咎め 厳しく言われ」

「半島に 住んでる人の どことなし 心の余裕 見習いたいもの」

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〇歯を直して男前になりました

 「目は口ほどにものを言う」そうですが、人間の口はものを言うだけでなく食物を食べる大事な所です。とりわけ口の中の歯は食べ物を咀嚼しなければならず、大切にしなければなりません。その大事な歯の前歯を私は小学生の時悪さをして一本折るという大怪我をしてしまいました。当時は村に歯医者もなく、欠けた歯のまま我慢して育ちました。その歯並びは何ともだらしなく、まるでお笑い芸人のような姿でしたが、いつしかそれは私のトレードマークのようになりました。

前歯を治しました

 そんな前歯が最近長年の蓄積疲労で動き始めグラグラになりました。妻が近所の歯科医院に勤めているため相談したところ抜くよう勧められ、1週間ほど前抜いてもらいました。前歯の抜けた姿はまさに「歯抜け」で、何ともお粗末でした。幸いなこと?に今は新型コロナの影響でマスクをすることが普通の暮らとなっているので、前歯の抜けた姿を誰にも悟られることなく日々を過ごすことができました。その後型を取り、土曜日に着装試験を行い、昨日微修正をして無事装着の運びとなりました。

 自分で言うのもおこがましいのですが、新しい2本の義歯は見事にフィットし、それなり以上に美男子になりました。(大笑い)さて現代の日本は人間50年といわれた織田信長の時代に比べると2倍もの、100歳まで生きれる世界一長寿の時代となりました。その要因は飢えることもなく豊かな食生活ができるようになったこと、医学が発達したこと、重労働をしなくなったことなどがあげられますが、入れ歯などの技術が進歩したことも要因の一つかも知れません。

 これからは歯をしっかりケアーして健康で長生きをしたいと思っています。「80ー20」(ヨーグルトを食べて80歳で20本の歯)、1・10・・100・1000・10000運動などを心がけ、とりあえずの目標の85歳を目指します。

「子ども頃 悪さ前歯を 損傷し 醜い顔が 余計醜く」

「前歯抜け 歯抜けで間抜け 顔になる コロナのお陰 誰にも知られず」

「歯医者にて 前歯を抜いて 2本義歯 トレードマークが 消え男前」

「歯は元気 源だから これからも ケアーにつとめ しっかり長生き」

 

 

 

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〇50年前と20年前の記憶(その2)

 20年前の2月10日、ハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦グリーンビルと衝突して沈んだ愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸は4代目の船です。私は初代愛媛丸に乗船して赤道を越え珊瑚海へ遠洋航海に出かけています。今思うとお粗末な214.5tの小さな船ですが、当時はロランや自動操舵装置を搭載した最新鋭のマグロはえ縄実習船でした。当時は日本を出港し日本に寄港するまでどこへも立ち寄らない無寄港航海でしたが、私たちが乗船した船は船倉に貯蔵した餌となるサンマがスカッパーに詰まって使えなくなり、イギリス領ニューへブリデス・エスピリッツ・サント島へ緊急入港しました。

宇和島水仙高校の玄関先に飾っている私が乗船した初代愛媛丸(214.5t)の模型
衝突事故を起こしたアメリカの原子力潜水艦グリーンビル
5代目となる現在のえひめ丸(499t)

 私たち生徒にとっては緊急入港とはいえ初めての海外旅行なので、船長や漁労長の心配をよそにピザもなく、限られた区域以外外出できないながら、あちらこちらに出かけ大いに楽しみました。その後出港した船は漁場でマグロはえ縄漁実習を行い、満船となって再び日本に向けて北上を続けましたが、伊豆半島沖で1月15日頃低気圧の洗礼を受け、SOSを出すほど大時化の海をやっとの思いで母港となっていた神奈川県三浦三崎港に無事辿り着きました。三角波の向こうの水平線に富士山の姿を見た時の感動は今も忘れることのできない思い出です。その後初代愛媛丸は2代目から「えひめ丸」と名前を変え、船籍も神奈川県三浦三崎から宇和島に移し、3代目、4代目、5代目と航跡を引き継いでいますが、沈没した「えひめ丸」は4代目の船でした。

 私は南予宇和島方面へ所用で出かける時、折に触れ水産高校の玄関先に設置されている慰霊碑を訪ねています。9人の犠牲になった人たちを慰霊し、二度とこのような痛ましい事故が起こらないよう祈っています。海底から引き揚げられ展示されているえひめ丸の錨に怒りを覚えた時期もありましたが、風化しつつある20年という節目を迎えあらためてえひめ丸事故の色々を思い返しています。今朝の新聞に、原子力潜水艦グリーンビルの元船長さんが綴った英文手記が載りました。

「半世紀 前の出来事 愛媛丸 遠洋航海 珊瑚海まで」

「無寄港の 航海なれど ハプニング 南洋の島 訪ねビックリ」

「わが人生 あれやこれやが 重なって 事故の記憶も 心に深く」

「忘れない 忘れちゃいけない あれやこれ 肥やしにしつつ これから生きる」 

 

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〇薪割り

 私が子どもの頃は、煮炊きをするのも風呂を沸かすのも全て薪でした。いつの頃からがガスや電気が普及し、薪を燃料として使わなくなったため、薪割りを経験した人も殆どいなくなりました。わが家は田舎に住んでいるのでガスが普及しても風呂は五右衛門風呂でした。普通の家庭よりかなり遅くまで薪を使って風呂を沸かしていたので、薪割りはもっぱら子どもの仕事として位置づけられていました。

薪割り

 年末になると知り合いのお百姓さんが猫車やトラックに一杯、クヌギの木を積んで持って来てくれました。庭に下ろされた木はチェンソーなど普及していなかったので、親父が夜なべ仕事に巾ヤスリで目を立ててくれた鋸を使い、専用の馬木に乗せて適当な長さに切り、マサカリで割って行くのです。最初は面白がって手伝っていた要領のいい弟たちはいつの間にか姿を消し、長男がゆえに全責任を任された私は不平不満を言いながらも、学校から帰ると毎日のようにその作業をしました。

 クヌギの木は、届いたころは生木で、いとも簡単に割れますが、少し時間が経って木が乾燥すると、粘り気が出て中々割れにくくなることを、子ども心に生活の知恵として覚えているため、心は焦るものの作業は進まず、最後は腕や肩の疲労で難儀をしたものです。それでも庭の隅に割った新しい薪が積み上がった姿は、何とも言えない田舎の美しい風景でした。その割り木で沸かすお風呂は湯冷めもせず格別で、残り火で焼いた焼き芋を、口いっぱいに炭をつけて食べた味もまた懐かしい思い出です。

 先日シイタケの原木を切りに友人のクヌギ林に出かけた折、切れ端のホダ木には使えない小ぶりな枝木を持ち帰り、息子と二人でチェンソーで小切りしました。昨日の朝一人で薪割りをしました。クヌギゆえ貴重な薪になりましたが、倉庫の隅の専用の薪置き場に積みました。わが家では今も餅つきのもち米を蒸したり、ヒジキを茹でるのに薪を使うので、人間牧場の薪ストーブも、薪を割る労力だけでエネルギー費はタダ同然です。薪割りも今ではすっかり忘れられた風景となってしまいました。

「子ども頃 年末なると 百姓さん クヌギを沢山 庭まで届け」

「薪割りは 子どもの仕事 決まってた 文句言いつつ それでもこなす」

「割った薪 かまどの煮炊き 風呂沸かし ガスがお目見え やっと解放」

「生木なら いとも簡単 割れるけど 乾燥すると 難儀しました」

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