人間牧場

〇シイタケ栽培のホダ木運搬(その2)

 潮風ふれあい公園に隣接する友人のクヌギ林で、友人井上さんの協力でかなり大きな4本のクヌギの木を伐採しました。私がチェンソーで枝葉を落として片付けながら、1m程の長さに小切りした原木を、47歳で元気いっぱいの息子は力をみなぎらせ、農道横まで運び出してくれました。その後4輪駆動の自家用軽四トラックに積み込み、約10㎞離れた人間牧場まで注意しながら親子二人で運びました。

伐採したクヌギの木の切り株
息子が農道まで運び出したクヌギの木の原木
軽四トラックに積んで3回運びました

 かなりの量だったので、人間牧場まで2回に分けて運び、少し太めの小枝は薪にするためあと一回は自宅へ持ち帰りました。これらの原木はこれから2~3ヶ月間野積みして寝かせ、乾燥した4月頃を見計らって電動ドリルで穴を開け、シイタケ菌を打ち込み人間牧場下のホダ場で養生する予定です。このホダ木にシイタケが生え始めるのは早くて来年の春、遅ければ来年の秋頃となる予定です。

 シイタケ栽培はクヌギの木の確保、クヌギの木の伐採、クヌギの木の運搬、クヌギの木の乾燥、シイタケ菌のコマ打ち、ホダ場での養生などなど、気の遠くなるような幾つもの工程を経なければなりません。そのため盛んだったホダ木を使うシイタケ栽培は、農家の人の高齢化とともに姿を消しつつあり、替わって菌床栽培のシイタケが主流になりつつあるようです。それでもホダ木栽培のシイタケは風味も良く、間もなく春になって日中の気温が10度以上になると春の恵みの雨水を吸って、シイタケが生えてきます。楽しみがまた一つ増え、また私の目指す自給率が高まりました。

「力持ち 息子手助け してくれた お陰でホダ木 順調ゲット」

「トラックで 運んだホダ木 ドリル穴 開けて種ゴマ 植菌予定」

「1年間 ホダ場寝かせて シイタケが 何とも息の 長い作物」

「また一つ わが自給率 高まりて 暮らし彩り 豊かになりて」

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人間牧場

〇週めくり金次郎語録

 夫れ小を積めば  
 即ち大と為る
 万石の粟は、則ち一粒の積
 万町の田は、則ち一耒の積
 万里の道は、則ち一歩の積
 九仞の山は、則ち一蓑の積なり
 故に小事を務めて怠らざれば
 即ち大事必ず成る 
               (二宮先生語録巻四より)

 小を積めば、やがては大となる。万石の米は一粒を積んだもの。万町の田は一鋤を積み重ねたもの。万里の道は一歩の積み重ね。高い山は一杯の土を積み上げたもの。つまり小事を務めて怠らなければ、必ず大事は成就するということである。

積小偉大の味わい深い言葉です。

「始まりは ゼロから一・二の 積み重ね やがて大きな 成果となりぬ」

「一や二を 疎かせずに 努力せよ 積小偉大 しっかりわきまえ」

「十年で 一千万円 貯め造る 人間牧場 ささやか成果」

「凡人が 故に大きな 望みなど 叶わぬけれど 積小誰でも」 

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人間牧場

〇粗食と美食

 私は戦後の貧しい時代、そして貧しい家庭で育ちました。一番の楽しみは風邪を引いた時で、風邪を引いて寝込むと学校が休め、日ごろは殆ど口にすることのなかったバナナを買って優しくして貰うので、「風邪を引きたい」なんて馬鹿なことを願ったりしたものですが、元来丈夫に産み育ててくれた両親のお陰で、少々青鼻を垂らしていても、風邪など殆ど引かなかったのです。

 そんな少年時代の影響でしょうか、麦ご飯やサツマイモなど今では考えられないような粗食に耐えたお陰で、今でも嗜好が野菜中心の粗食型故なるか、太ることもなく健康な体形を維持しています。今思えば「ご飯とパンはどちらがいいか?」とか、「野菜と肉はどちらがいいか?」など悩む必要はなく、「何を食べるか」よりも「何が食べられるか」が問題だったのです。

 今日本人はなんだかんだと言いながら平和な世の中を反映して、美食の中で過ごしています。デパートやスーパーの食品売り場へ行けば、買って持ち帰り食卓に並べさえすればすぐに食べれる総菜が幾らでも手に入り、町の中には外食を楽しむお店が沢山あって、滅多に口にすることのなかった握り鮨でさえ、目の前をグルグル回ってお金さえ出せば、好きなものを好きなだけ食べることができるのですから、まるで夢の中の世界に生きているようです。

 しかし脂分・糖分・塩分過多で味付けされた美食には落とし穴もあって、知らず知らずのうちに体内に変化が起こり、運動不足も重なって健康を害した人もかなり増えているようです。昔はお金持ちの代名詞のように言われていた糖尿病などは、美食だけが原因ではないものの、国民病ともいわれるほど広がっています。何故粗食が体に良いのか、何の疑いもなく食べていた健康の源である食事の在り方を今一度見直してみたいものです。

「粗食しか 食べられなかった 幼少期 お陰で丈夫 長持ち体質」

「近頃は 金さえ出せば 欲しい物 何でも揃う 便利な世の中」

「粗食から 美食なる程 増えて行く 病気の原因 何故か?考え」

「今朝何を? 食べたか忘れる お粗末さ もっと食事に 思いを寄せて」

 

 

 

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人間牧場

〇偶然にも四季禄に壱円札の話が・・・・

 昨日の朝、息子から貰った昔の「壹円」札について、自身のfacebook「shin-1さんの日記」に記事を書きました。書き終わっていつものように新聞受けから新聞を取り出し、書斎で読み始めました。愛媛新聞13面文化ページの四季禄に、宗雪孝夫さん(絵画セラピー研究センター主宰)が、「母(上)」という文章を書いて投稿しているのを見て、私と全く同じような「壹円」札の話題を同じ日に書いたことを大いに驚きました。

昨日の朝刊四季禄

 ~(前略)「屋敷には屋根裏があり、煤茶けた梁の下に幾つもの行李が積まれていた。母の通知表や卒業証書と共に壱円札が挟まっていた。アルミン一円玉が主流だったが田舎では東京オリンピックの頃でも壱円札は普通に使えた。壱円札には恰幅のよい老人が描かれていた。その老人が毎朝校門横で出迎えてくれた二宮金次郎と同一人物だったことを、学芸員となって古い紙幣の寄贈を受けたときに初めて知った。金次郎像は薪を背負いながら本を読んでいる。「負薪読書像」で評される。読んでいる本は『大学』で、開いているページには『一家仁一國興仁、一家譲一國興譲、一人貪戻一國作乱、其機如比』と書かれている。貪戻とは貪って人の道に背くこと。上に立つものが一人利を貪って道理に悖ることをすると国が乱れる。思いやりの仁も謙譲の美徳も、為政者に誠の心がなければ人々の心には届かない。金次郎は労働に勤しみながらその精神を『大学』から会得し生涯に渡って実践した。」(後略)~

 今度お札の肖像画に取り上げられる渋沢栄一は、その精神を継承し、経済と道徳、政治と道徳が権衡し、義と利が合一せねば真正なる文明も富貴も期し難いと語って「経済道徳合一説」を説いています。何気なく日々の暮らしで使っているお札の肖像にも深い意味があることを、私たち国民はもっと知るべきであると、息子から貰った古い「壹円」札から教えられました。

 それにしても小学校2年生の時、「二宮金次郎さんは何の本を読んでいるのだろう」と子どもらしい素朴な疑問を持ち、無謀にも下灘小学校の校庭隅に建っていた二宮金次郎像の台座によじ登ったことが、今になって思えば私の人生を大きく変える一歩であったことは紛れもない事実なのです。

「息子から 貰った古い 壱円札 ブログに書いた その日偶然」

「四季禄に 書いた記事読み 札肖像 二宮尊徳 納得手合い」

「次肖像 渋沢栄一 経済と 道徳融合 尊徳同じ」

「勤労や 至誠分度 推譲の 四つの教え 不変な教え」

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人間牧場

〇閏住の菜の花

 今年は宇宙の神秘と暦の悪戯で、124年ぶりに3日の節分が2日となり、昨日は春の始まりを告げる立春でした。今年の冬は特に北日本で積雪が多く、千台を超える車が高速道路で立ち往生し、その処理に自衛隊に派遣要請が出たり、除雪作業中に亡くなった人も沢山いるようで心が痛みました。

昨日の愛媛新聞に紹介された閏住の菜の花

 歳をとると寒さは苦手で、特に新型コロナの影響で日本全体に漂う暗い雰囲気がより一層寒さを感じさせています。それでも季節は巡り、昨日の愛媛新聞にはこの時期すっかりお馴染みとなった、閏住の菜の花の話題が取り上げられ、facebookには沢山の書き込みコメントが載っていました。

 先月下浜の水仙が新聞で紹介された時もそうでしたが、長年双海町の花づくりに関わっていることを知っている仲間や友人から、相変わらず花見のついでに煙会所や人間牧場へ立ち寄りたいというリクエストが届き、嬉しいことながら多少戸惑いも感じつつ出会いを重ねています。

 昨日は少し遠い宇和島から、5人の熟女たちが菜の花を見て松山へ行くついでに、私の顔を見たいので立ち寄りたいと、立ち寄った妹の経営する「くじら」というお店から電話が入りました。運よく在宅だったものの、家が分かりにくいので迎えに出て欲しいとか、庭に干している切り干し大根が欲しいとか、また家庭菜園のブロッコリーや大根が欲しいとかねだられ、楽しいひと時を過ごしました。春は出会いの季節でもあります。

「地元紙に 閏住菜の花 載りました 早速あれこれ 話題沸騰」

「閏住の 菜の花畑 近くある 妹の店 まるで取次」

「ついでだと 理由をつけて やって来る おばちゃん連中 土産ねだられ」

「待ち遠しい 節分立春 やって来た 黄色菜の花 何かワクワク」

 

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人間牧場

〇こそ丸という薬の裏話

 刑務所に服役している人も私たちと同じように風邪を引いたり、お腹が痛くなったりします。その都度刑務官に申し出てお薬を貰って飲むそうですが、その薬代は全て国費で賄われるため仮病を使う怠慢な服役者もいて、病気かどうか外見上は見分けがつかず、薬代が運営費を圧迫するので、飲んでも害にならない小麦粉をオブラートに包んで偽薬を作り飲ませたところ、薬だと信じて飲んだ80%の服役者に薬が効いたそうです。

こそ丸の容器

 これはある創作落語「小麦粉も信じて飲めばお薬に」の一節ですが、私の愛用し持ち歩いている「木になるかばん」の中に、「こそ丸」という薬入れのプラスチック容器が入っています。ラッパのマークの胃薬「正露丸」を思わせる「こそ丸」というこの薬は、数年前友人から貰った物です。新聞の片隅に「夕方のテレビニュースでこそ丸のことが紹介されると、申し込みが殺到し売り切れた」という話でしたがその数日後、広島に住む親しい友人が一個送ってくれました。

こそ丸の効能書き

 届いたこそ丸のキャップを取るとお薬らしきものは入っておらず、A4の効能書きが出てきました。薬品名の由来「親がおればこそ、子がおればこそ、主人がおればこそ、妻がおればこそ、友だちがおればこそ、写真がおればこそ、社長がおればこその『こそ』です。」の横に、「錠剤が見える人と見えないひとがいます」と書かれていました。なるほどと納得して効能書の成分(愛情、謙虚、感謝、元気、但し配合・割合については企業秘密)、薬の効果、服用の仕方、副作用、お値段(105円)、追記、製造(財団法人操風会岡山旭東病院)と書かれた文章を読みました。

 最後の「特許」森岡まさ子(広島府中市上下町MGユースホステル創始者・平和の伝道師)を読んで納得しました。森岡さんは既に他界していますが晩年上下町で出会い、「会う人も会う人も福の神」と書いたハガキをいただきました。以後私はこの言葉が好きで、自分の出版した「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という本にサインを請われるとよく書き、毎日3枚書いているハガキにもこの言葉を好んで書いています。人は目に見えるものを見ながら生きていますが、目に見えない心情も大事で、目に見えない優しさや想いを持つと人生は豊かな心で生きられるのです。

 2日前、西条市中央公民館で開かれた地域教育東予ブロック集会開会式でいきなりあいさつするよう指名され、思いつくまま木になるかばんから「こそ丸」の容器を取り出し、「コロナ禍における今こそ目に見えない大切な忘れ物に気づこう」とアドリブながら話しました。取るに足らない私の話でしたが、どうしてどうして参加して私の話を聞いた高校生など多くの参加者から、「目に目にない大切なものに気づかされた」と10指に余る心温まるメールをいただきました。こそ丸という薬の裏話でした。

「わが愛用 木になるかばん 入れている こそ丸薬 これがおもろい」

「友人に 貰ったこそ丸 容器には 効能書きのみ 薬が見えぬ」

「集会の 開会式で こそ丸の 話をしたら 沢山反応」

「本当は 見えるものより 見えぬもの 大事と教え 納得しつつ」 

 

 

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〇外反母趾の手術予約

 昨日は地元の整形外科で書いてもらった紹介状と、レントゲン写真データーを持って、予約済みの愛大附属病院へ行きました。予約ながら月曜日ということもあって、病院ロビーには沢山の患者さんで混雑気味でした。予約時間12時30分の30分前に受け付けを済ませるよう指示を受けていたので少し余裕を持ち、自宅を10時過ぎに出て東温市の病院には少し早めに到着しました。

愛大附属病院の整形外科受付

 初めて受診する病院なので診察券を作ったり問診をするのに少し時間がかかりましたが、いつものことながら予約済みとは言えど、診察したりCTやレントゲン検査などつなぎの待ち時間が長く、診察を終えたのは午後3時過ぎを回っていましたが、これから主治医となるであろうお医者さんと、今後のスケジュールを打ち合わせを終えホッと一息といったところです。

 診察の合間の待ち時間に、手持ちのタブレットで自画像を撮り、「止まった時間」と題して心情を吐露しfacebookにアップしたところ、多くの人から心温まるお見舞いや心配の書き込みをいただき、予想以上の人騒がせに恐縮してしまいました。先生の話によると私の左足の外反母趾は手術しか回復の見込みがなく、8月6日に手術の日が設定されました。他の人の手術が立て込んでいて、私の順番はまだ半年も先のようです。

 手術は約1時間半全身麻酔で行うとのこと、ギブスをはめて2週間入院し、その後地元の他の病院へ転院して2週間過ごし、完治するのには退院して1ヶ月間くらいかかるとのこと、気の長い治療です。自分ではまだ若いと自負していても後期高齢者のレッテルはぬぐえず、回復に時間がかかることも覚悟しなければなりません。8月といえば猛暑の夏、「避暑旅行と思ってゆっくり治そう」とは妻の言葉でした。

「紹介状 持って病院 訪ねたり 診察待たされ 意気も消沈」

「半年後 手術の予約 入れました 今年の夏は 覚悟の日々に」

「冷房の 効いた病院 避暑旅行 そういう考え あると思えば」

「松葉杖 ついた自分の 身姿を 想像しつつ 病院後に」

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〇第5回地域教育東予ブロック集会(その2)

高校生発「私たちの地域づくり」~かかわりをチカラに つんがりをカタチに~」は、シンポジウムとインタビューダイアログの2本立てでした。前半のシンポジウム「高校生もガンバッテマスヨー」では、県立西条農業高校の石黒黒茶伝統文化伝承プロジェクトと、県立伯方分校の生徒会チャレンジの2事例の発表があり、コーディネーター西山さんの笑いを誘う楽しい進行で大いに盛り上がりました。

 後半のインタビューダイアログでは、「Withコロナ時代のコミュニティスクールと地域学校協働活動」をテーマに、小松立志隊と新居浜泉川校区コミニティスクールの事例が紹介されました。吉田さん・山中さん・明瀬さんの3人がインタビュアーとなり、途中参加者が持っているスマホのQRコードを使うバーチャルリアルの新しい試みもあって、楽しいひと時でした。

 私には県内外に友人知人が沢山います。この日壇上に上がったFeice Book仲間の篠原茂さんもその一人で、日常的にメールのやり取りをしています。篠原さんは市会議員さんながら長らく泉川地区の地域づくりやコミュニティスクールに深く関わり、今も美化活動や読み聞かせ活動を日常的に行っていて、頭の下がる思いで日ごろの精力的な実践活動の様子を見ています。これだけ親しいのに篠原さんの話をじっくり聞いたのは初めてでしたが参考になるお話でした。

 予定通り午後4時40分に閉会し、中尾さんの車で感想を述べあいながら帰途につきました。途中車の行く手に真っ赤な夕日が見え、ふたみシーサイド公園とともに恋人の聖地に選定されている伊予灘サービスエリアに立寄り、記念碑などを見学しながら日本一と自認する双海の夕日に思いを馳せました。春になるとツツジが美しく咲くJR高野川駅のすぐ目の前に住んでいる中尾さんの家からは、こんな海に沈む綺麗な夕日が日常的に見え、わが家からも夏になると同じように夕日が見える幸せ話で大いに盛り上がりました。

「人の声 人の笑顔は 久しぶり マスクをしてるが みんな納得」

「今時の 高校生は 凄いねえ 昔は悪ガキ いっぱいいたが」

「少子化で 学校存続 危ないと 警鐘鳴らせど 右肩下がり」

「メル友の 話初めて 聞きました 熱弁感心 大きな拍手」 

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